詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

なぜ、期間短縮?

2022-01-29 13:56:01 |  自民党改憲草案再読

 読売新聞の、次の記事。

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220128-OYT1T50179/ 

濃厚接触者の待機期間、7日間に短縮…首相「社会経済活動とのバランス取る」

 岸田首相は28日、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」対策として感染者の濃厚接触者に求める待機期間について、現在の10日間から7日間に短縮すると表明した。エッセンシャルワーカーは2回の検査を組み合わせ、5日目に解除する。首相官邸で記者団に語った。
↑↑↑↑↑
 これは、あまりにも状況を無視した政策だ。感染者が現象に向かっている、ワクチンの接種が進んでいるという状況なら、まだわからないでもないが、感染者は急増している。28日の感染者は8万人を超えた。それなのに、3回目の接種をすませた国民は、たった2・7%にすぎない。
 私の知っているスペイン人は、3回目の接種を受けているが感染したという。2歳の孫が感染したという人もいれば、家族6人が感染したという人もいる。私でさえ、そういう情報をもっているくらいだから、政府はもっと情報をもっているだろう。
 いまは、濃厚接触者の待機期間を短縮するかどうかではなく、ワクチン接種をどれだけはやく進めるか、それを考えるべきだろう。
 なぜ、突然、こういうことを打ち出したのか。

 岸田首相が28日、首相官邸で後藤厚生労働相らと協議して決めた。オミクロン株の感染拡大で濃厚接触者も急増し、職場を欠勤する人が増えているため、一定の感染拡大リスクを受け入れつつ待機期間を短縮しなければ、医療機関や企業の業務継続が困難になると判断した。
↑↑↑↑↑
 「医療機関や企業の業務継続が困難になる」と書いてあるが、医療機関の問題なら、医療機関に限定して期間を短縮すればいいだろう。医療ではなく「企業」が問題なのだ。
 安倍が登場して以来、情報操作で株は上がったかもしれないが、実質的な経済は悪化をたどっている。円高でも売れるヒット商品が何もない。円安が進むから、輸出商品をもっている企業は潤うが、輸入品を加工して販売している企業は赤字になり、それが日本で消費される商品の値上げにつながっている。国民は、どんどん貧乏になっている。「企業の業務」を優先するために、貧乏な国民は健康を無視して働かされる。そして、実際に、働かなければさらに貧乏になる、なけなしの貯金を取り崩し生きていくということになる。 あまりにもひどい。
 すくなくともワクチン接種3回が、国民の過半数になるまでは、まず感染防止を最優先に考えるべきだろう。

 さらに、米軍関係者の外出制限を31日で解除するとも言う。感染状況が改善しつつある、というのが理由だが、米軍関係者が市中で感染し、ふたたび基地内で感染が爆発し、それがさらに市中に広がるとは考えないのか。

 で。
 コロナとは一見関係ないのだが、こういうニュースもある。

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220128-OYT1T50176/ 

「佐渡島の金山」世界遺産推薦へ、首相表明…韓国は相星駐韓大使を呼び抗議

 岸田首相は28日、「佐渡島の金山」(新潟県)を世界文化遺産の候補として国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)に推薦する方針を発表した。来年の登録を目指し、2月1日の閣議了解を経てユネスコに推薦書を提出する。
 首相は首相官邸で関係閣僚と協議後、「早期に議論を開始することが登録実現への近道との結論に至った」と記者団に述べた。
 昨年12月、佐渡島の金山が国内推薦候補に選ばれた際、文化庁は「推薦の決定ではなく、今後政府内で総合的な検討を行う」と異例の付言をしていた。
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 一時は「推薦見送り」と報道されていたが、方針転換である。何があったのか。読売新聞は、こう書いてる。

佐渡金山推薦、政権安定へ保守派に配慮…首相が「正面突破」

 岸田首相は28日、「佐渡島さどの金山」を世界文化遺産候補として、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)に推薦すると決断した。反発する韓国への配慮などで先送りすれば、自民党内や保守層の理解が得られないと判断し、「正面突破」を選んだ。
 「色々な意見があった。それぞれの立場で色々なことを言っていたが、冷静に検討を続け、判断した」
 首相は28日夜、首相官邸で記者団に、こう強調した。これに先立ち、推薦を求める「立場」の安倍元首相にも電話で自ら説明した。安倍氏は「いい判断だと思う」と評価したという。首相は表明後、「自分一人で決めた」と周囲に漏らした。
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 なぜ、安倍に電話で説明しなければならないのか。
 安倍との対立を避ける、ただ、その一点だろう。何も考えていない。対立を避けると書くと、まるで岸田が自分で何事かを判断しているように見えるが、そうではなく、安倍の指示に従っているということだろう
 コロナ対策も、岸田が主導しているのではなく、アベノミクスの安倍が主導し続けているということだろう。
 安倍と、安倍をよいしょしつづける読売新聞のために、日本はひたすら「壊滅」へ向かっている。

 

 

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特ダネの読み方

2022-01-26 14:11:47 |  自民党改憲草案再読

特ダネの読み方

 2022年01月26日の読売新聞が、非常におもしろい。私はコロナワクチンの三回目の接種後であり、ぼんやり読んでいたのだが、フェイスブックである人が「共通テスト問題流出か」という特ダネを取り上げていた。「どこから、どうやって漏れたんだろう」。この疑問は二つ。ひとつは会場から「①どうやって?」。もうひとつは「②ニュースの情報源は?」 
 ①は、まあ、デジタルカメラをつかってということだろうなあ。いろいろなカメラがあるから、見過ごされたのだろう。
 私の興味は②。
 一面の記事。(西部版・14版)
↓↓↓↓↓
 大学入学共通テストの試験時間中に「世界史B」の問題が外部に流出した疑いのある問題で、警視庁が偽計業務妨害の疑いで捜査を始めたことがわかった。問題を写した画像を受け取った複数の大学生が、SNSで回答を返信しており、大学入試センターは不正行為が行なわれた可能性があると見て警視庁に相談している。

 ここから考えられるのは「大学入試センター」と「警視庁」。どちらかに懇意の人間が檻、そこから記者は情報をつかんだ。しかし、つづきを読むと、少し事情が違ってくる。↓↓↓↓↓
 問題を受け取った大学生によると、画像は15日午前9時半から午前11時40分にかけて行われた「地理歴史・公民」の試験時間中に送られてきた。
 東京大の男子学生(19)は午前11時6分、インターネット通話アプリ「スカイプ」を通じて、世界史Bの問題用紙が写った画像計20枚を受け取った。学生は送られてきた19問中14問を解き、午前11時28分と同39分の2回にわけて返信。東大の別の男子学生(21)は同8分に計10枚の画像を受け取り、同26分までに解答を送り返した。

 「問題を受け取った大学生によると」と読売新聞は書いている。つまり、記者は問題の学生に取材している。「大学入試センター」か「警視庁」が、まだ「事件」が発覚する前に、学生の存在を教え、さらに「住所」などの個人情報を教えたのか。もし、そうだとすると、その「情報源」は、かなり危険なことをしていないか。
 読売新聞が取材できたのは一人の学生(19)なのか、もうひとり(21)にも取材できているのか、よくわからないが、ともかくひとりからは確実に取材している。もしかすると、その学生が読売新聞に情報を提供したのではないのか。先に「大学入試センター」か「警視庁」に相談したが、ニュースにならない。それで読売新聞に声を掛けてみた、ということではないのか。読売新聞記者は、それをもとに「大学入試センター」と「警視庁」に問い合わせてみて、「裏付け」を取った上で記事にした。
 私は、そう読んだ。

 で。
 私はこの「事件」の行方にも興味があるが、それよりもきょうの読売新聞にはもうひとつ「特ダネ」がと載っており、そのニュースの方が一面のトップだったということだ。
 証券会社が、新規上場株の公開価格を低く設定していた。独禁法違反の恐れがある、というのである。
↓↓↓↓↓
 企業が新規上場する際、事前に投資家に販売する時の「公開価格」を巡り、公正取引委員会は広く普及する値決めの商慣行が独占禁止法に違反する恐れがあるとの見解を示すことが分かった。優位な立場にある証券会社が一方的に価格を低く設定する行為が多くみられると問題視している。公開価格が低くなると新興企業が十分な資金を調達できないため、公取委が改善を促す。
 政府関係者が明らかにした。公取委は近く、見解を示す報告書を公表する。

 疑問は。
 この新規上場株問題は、きょうニュースにしなくても、あすでも「特ダネ」として掲載できるのではないか。社会的な関心は、少なくとも「共通テスト」の方がはるかに高いはずである。そして、各ジャーナリズムがいっせいに後追い報道をする。受験シーズンであり、受験生にも衝撃が大きいだろう。つい最近も、東大で傷害事件があったばかりだ。「新規上場株」問題は公取委が報告書を発表してからでも十分だろう。
 ここから、さらに問題は、と繰り返してみる。
 共通テストの方は「情報源」がよくわからない。「大学入試センターは不正行為が行なわれた可能性があると見て警視庁に相談している」と書いてあるだけである。一方、「新規上場株」問題はどうか。「政府関係者が明らかにした」と情報源を「政府関係者」に絞り込んでいる。
 おもしろいと思うのは、ここである。
 「共通テスト」のニュースは「情報源」がわからない。そして、取材記者は、たぶん「社会部記者」。それに対して「新規上場株」は「情報源」が「政府関係者」。取材記者は「政治部」か内容から見て「経済部」。読売新聞では「政治部」「経済部」が「社会部」より優遇されているということだろう。そして、それは「政府関係者」を優遇するということである。せっかく「政府関係者」がニュースを提供してくれた。それを一面トップにしないと、次から情報がもらえなくなる。そういう「思い」が働いているのだろう、と私は勘繰ってしまう。「共通テスト」は「情報源は学生だろう? 次も特ダネ情報をくれるわけじゃないだろう? 政府関係者とのつきあいを優先させるべきだ」。あくまで私の「妄想」だけれど、そう思ってしまう。
 さて、ここからもう一歩。
 読売新聞は、国民のことなんか気にしていないなあ。政府関係者が何をやりたいかを宣伝し、その見返りとして取材を優遇してもらう。さらには電通に働きかけてもらって広告を確保する。そういうことを考えているんだろう。私の「妄想」だけどね。これからも、どんどん政府のやりたいことをそのまま宣伝するだろう。「敵基地攻撃」だとか「台湾有事」だとか。

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検査行なわず?

2022-01-25 11:25:10 |  自民党改憲草案再読

 2022年01月25日の読売新聞。https://www.yomiuri.co.jp/national/20220124-OYT1T50166/ 
濃厚接触者、検査行わずに症状で診断可能に…厚労相が表明

 政府は24日、新型コロナウイルスの感染拡大時の外来診療について、感染者の濃厚接触者に発熱などの症状があれば、医師の判断で検査を行わずに感染の診断を可能にするなどの新たな対策を発表した。オミクロン株の急拡大を受け、自治体の判断で外来診療のあり方を見直せるようにする。

 一見、診断→治療のスピードアップに見えるが、ほんとうなのか。もし、濃厚接触者に「自覚症状」がなかったときはどうなるのか。検査をおこなわないまま「行動制限解除」ということになるのか。診断に検査が必要ないなら、検査なしで自由行動、ということになってしまうだろう。いままでつづけてきた「検査」→「感染者数発表」という流れはどうなるのか。
 だいたいねえ。
 コロナが発覚して以来、ずーっと自民党政権は「検査数」を抑制してきた。検査しないことで、感染者の実数を隠してきた。態勢が整わないとか、テキトウな理由をつけているが、あれから2年もたつ。いまだに検査体制が確立されないというのは、どうみたって何もしていないということだ。
 きっと最初にもどって「検査したって、検査で感染者が減るわけではない」というところへもどるのだろう。確かに検査をしようがしまいが、感染する、しないには関係がない。しかし「感染させる可能性があるかどうか」には密接な関係がある。症状がなくても、感染者が動き回り、他人と接触すれば、感染が拡大する。「感染しない/感染したらどうするか」と同時に「感染させない」ことが大事なのに、あまりにもずさん。
 「検査体制」で「感染させない」を無視しておいて、飲食店に「感染拡大防止のため営業自粛(禁止)」を求めるというのは、やり方として矛盾しているだろう。私が飲食店経営者だったら、絶対に文句を言う。
 と、書いてきて、思うのだ。
 今回の措置は「医療体制」に配慮したもの。「蔓延防止」にもとづく「営業抑制」は飲食店への働きかけ。一方は「医師(病院)」、他方は「中小の飲食店」。どちらが金持ち? 一概には言えないけれど「病院」だね。金持ちの「苦労」にはどんな対策でもひねりだすが、貧乏人の「苦労」には知らん顔。というよりも、貧乏なのは「自己責任」。貧乏人だから助けてもらえない。助けてほしかったら、最初から自民党に献金しておけ。献金しないものには「公助」があるとは期待するな、ということだな。自民党が「公助」に支出するときの「公」とは「お友だち」ということだ。安倍のお友だち、菅のお友だち、岸田のお友だち(まだ発覚していないみたいだが)なら助けるが、あとは知りません。
 ほんとうに、むごい。

 

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なぜ、安倍晋三なのか(2)(情報の読み方)

2022-01-03 21:02:59 |  自民党改憲草案再読

なぜ、安倍晋三なのか(2)(情報の読み方)

 あまりにばかばかしいので書くのをやめようかと思ったが、このばかばかしさは書かずにおいたらきっと問題になる。
 2022年01月03日読売新聞(西部版・14版)の4面に、「語る新年展望」の2回目。だが、ノンブルは「1」のままである。そして、なんと「1日掲載の続き」とカットの下に注釈がついている。これはほんらい、1面に「頭出し」があって、そのつづきであることを知らせるためのものである。「1日掲載の続き」ならば「2」になるはずである。1日の紙面で1面に「頭出し」(といっても、分量から言うとトップ記事になるはず)をして、それを4面で受ける。それが、どういう理由かわからないができなかった。しかし、同時掲載ができなかったらできなかったで「2」にしてしまえばいいのに、それもできないので「1日掲載の続き」になった。
 背景には二つの理由がある。
①1日の紙面会議で1面トップを何にするかで、編集局内で対立があった。1月1日の1面トップというのは、当日決まるというよりも、綿密に準備するのがふつうである。安倍のインタビュー記事で決定済みのはずだった。それが当日の局デスクが反対し、4面掲載になった。
②しかし、取材側(聞き手 編集委員・尾山宏)では「1面トップ」(4面に連動)ということで、安倍と話をつけてきた。それが急遽変更になったために、連載の2回目を「2」にするのではなく、あくまで「1」であることを強調するために「1日掲載の続き」とことわりを入れる。なぜか。「2」にすると、1日の新聞を読んでいない読者(元日に政治面まで読むような読者は少ない)は「安倍は2番手か。1番手はだれだったのだろう。(やはり、安倍はもう過去の人なのだ)」という印象を持つ。これではいけない。安倍への「約束違反にもなる」。だから、なんとしても「1」であることを印象づける必要があったのだ。
 ここからわかること。
 読売新聞内部にも「安倍晋三信奉者」以外の人間がいる。しかし、それは完全に「安倍信奉者」の勢力を上回っているわけではない。「安倍信奉者」の勢力は、新聞の「体裁」の変更を要求し、押し通すだけの力を持っている。連載を「2」にしても何の問題も起きない(少なくとも、読者は、また安倍のつづきかと思うだけである)のに、「印象操作」にこだわり、それを押し切るだけの力を持っている。
 これは、日本の政治の「先行き」を予測する上で、とてもおもしろいことだ。自民党内にも、安倍ではだめだという勢力と、やっぱり安倍でないとだめだという勢力が拮抗しているのかもしれない。読売新聞は「安倍でないとだめだ」に肩入れし、その方向で「印象操作報道」を試みていることになるのだが、たぶん、他のマスコミもその方向に向かって動くのだろう。そして、安倍が「再々登板」をするという方向で動いていくのだろう。
 今回の記事の最後にこう書いてある。

 私の体調はだいぶ回復しました。ただ、薬の投与は続いており、完全に、というわけではありません。再々登板の可能性をよく聞かれますが、私が「もう1回挑戦します」と言ったら、みんな腰を抜かすでしょうね。それは考えていません。

 「再々登板」を一応否定する形になっているが、安倍が再々登板に挑戦するといえば、「みんな腰を抜かす」のではなく、「みんなから袋叩きにあう」というのが一般的な見方ではないのか。少なくとも私は「腰を抜かさない(驚かない)」。石を投げつけてやりたい気持ちになる。そういう人がいることを安倍は認識していないし、聞き手の尾山宏もきっとにこやかに「いやそんなことはありませんよ」と言いながら、記事の締めはこれでいいですね、というようなことを語ったのだろう。「みんなを驚かしてやりましょう。やっぱり安倍さんしか頼りになる人はいないんですよ」とかね。だからわざわざ「私の体調はだいぶ回復しました」と言わせてもいるし、それを印象づけるように、最後に語らせている。

 胸くそが悪いというか、腹が立って仕方がないというのは、こういうことである。今回の安倍の記事で読むべきことは、安倍の思想ではなく、安倍をよいしょし、まだ安倍に縋ろうとしているマスコミがあるということ、それはどういう報道の仕方をするか、ということだろう。
 読売新聞の姿勢が、非常によくわかる連載のスタートである。

 

 

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なぜ、安倍晋三なのか

2022-01-01 18:15:01 |  自民党改憲草案再読

なぜ、安倍晋三なのか。

 2022年01月01日読売新聞(西部版・14版)の4面に、「語る新年展望」という連載が始まった。「有識者」インタビューだが、その1回目が安倍晋三である。こういう「企画」は読売新聞は、もともと1面でスタートさせた。岸田ではなく安倍であるところに問題があって、4面になったのかもしれない。「いくらなんでも、前の前の首相のことばが1面トップではおかしいだろう」という声があったのかもしれない。私も、そう思うが、扱いが1面から4面にまわったとしても、やはり違和感を覚える。なぜ、2022年の展望を語るのにトップバッターが安倍なのか。
 しかも、安倍は、ここで岸田にこんな注文をつけている。
↓↓↓↓↓
 岸田首相には、対中国でフロントライン(最前線)に立っているのは日本であり、日本こそ各国をまとめるリーダーシップを発揮しなければならない、ということを意識してもらいたい。
↑↑↑↑↑
 私は岸田を支持しているわけではないが、これはあまりにも奇妙な注文ではないか。
 自民党以外の人間ならまだわかるが、自民党が選んだ総裁の姿勢に、総裁をやめた人間が注文をつける。注文をつけるくらいなら、安倍が総裁をつづければよかっただろう。辞任しておいて、後継者の後継者にまで注文をつけるとはどういうことなのだろうか。安倍は、まだ「トップ」のつもりなのか。
 そして、それをそのまま記事にする読売新聞の「見識」はどこにあるのか。岸田よりも安倍がいい、安倍を支持するということなのか。たぶん、そうなのだ。安倍の「返り咲き作戦」が読売新聞の手で進められようとしているのだ。

 では、安倍を返り咲かせて、どういう「世界展望」をもくろんでいるのか。
↓↓↓↓↓
①今年最大の焦点は、台湾情勢です。中国に現状変更の試みをやめさせる努力が欠かせません。
②台湾有事となれば、沖縄・尖閣諸島も危機にさらされます。日本は、日米同盟を強化するとともに、自らの防衛力を高めなければなりません。
③今、領土を奪われる危険にさらされているのは日本です。
↑↑↑↑↑
 中国が台湾を侵略するかもしれない。これが「台湾有事」と呼ばれるもの。そのとき危機にさらされるのは台湾である。中国は一貫して「台湾」を国人は認めていない。中国の一部であると主張している。日本政府の基本的立場も同じだし、読売新聞も同じである。(台湾を「国」と表記した寄稿原稿を、書き直させるくらいである。)沖縄・尖閣諸島は台湾に地理的に近いが、中国は沖縄・尖閣諸島は中国の領土であるとは主張していない。尖閣諸島については議論はあるが、台湾に対する主張とは違うだろう。どうして、「今、領土を奪われる危険にさらされているのは日本です」と言えるのか。その根拠が、まったく説明されていない。
 このことに関係する問題はふたつ。まず、その一。
↓↓↓↓↓
 「自由で開かれたインド太平洋」の構想を提唱し、中国の振る舞いに対してずっと警鐘を鳴らしてきた日本が、いざという時に後ろに引けば、協力してくれる国々から「何だ、日本は。口先だけだったのか」と見られてしまう。
↑↑↑↑↑
 「自由で開かれたインド太平洋」というのであれば、中国がインド太平洋で行動を制限されるのはなぜだろう。「自由で開かれたインド太平洋」とは中国の行動を制限するためのものでしかない。日本が自由にインド太平洋を航行できるを言いなおしたものにすぎない。「自由で開かれたインド太平洋」が「口先だけ」のことなのに、中国批判が「口先だけだったのか」と他の国から見られたからといって、どうということはあるまい。だいたい、武力に頼らず「口先だけ」で相手を説得するのが「外交」だろう。「口先(言論)」を放棄して、論理を展開するのは別の目的があるからだ。
 それが問題点の二つ目。
↓↓↓↓↓
 変則的な軌道で飛ぶ北朝鮮の弾道ミサイルや、中露の極超音速滑空兵器に、今のミサイル防衛体制は太刀打ちできません。新たな矛に対処する盾を日本が持つ頃には、もう次の矛が出来ている。これ以上、ミサイル防衛に資源を投入するより、打撃力を持つ方が合理的なんです。
↑↑↑↑↑
 これは「防衛」は無意味だ。「防衛」するより「敵(基地)攻撃」の方が「合理的」と言っている。そんなことを言えば、中国も北朝鮮もそう考えるだろう。日本はどんどん軍備を増強している。「防衛」を考えるよりも、日本攻撃を考える方が「合理的」だ。日本から核ミサイルを打ち込まれる恐れもない。日本の背後にはアメリカがいるが、アメリカを直接攻撃するよりは日本を攻撃する方が「合理的」だ。アメリカとも和解しやすい。どうしたって、そう考えるだろう。
 日本に安倍がいれば、中国にも安倍のような考え方をする人間がいるに違いない。「防衛よりも敵基地攻撃が合理的」と考える人間がいるはずだ。
 問題は、武力増強が、ほんとうに「合理的」であるかどうかである。
 武力は人を殺し、生活を破壊する。それ以外の何の役に立つか。役立つとしたら軍需産業を儲けさせるのに役立つだけだ。日本がアメリカから軍備を購入すればアメリカの軍需産業が儲かるだけだ。アメリカの軍需産業が儲かれば、アメリカの軍需産業はバイデンを支持するだろう。それは、けっして安倍を支持するということでも、岸田を支持するということでもない。単に、安倍、岸田を利用するというだけのことである。
 そんな無駄遣いをするよりも(安倍にとっては、首相.に返り咲けるわけだから無駄遣いとは考えないのだろうが)、新しい魅力的なデジタル製品を開発するとか、画期的な電気自動車開発することに力を注いだ方が、日本を発展させるのに有効だろう。自民党は2012年の改憲草案の前文に「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と書いている。なぜ「経済活動」なのか、私には疑問だが、「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」がほんとうの願いなら、「活力ある経済活動」を促すために何をすべきか提言すべきだろう。自分の金儲けではなくて。
 読売新聞も同じ。安倍批判をしたら電通から広告を回してもらえなくなるということを「身内」のことだけを考えるのではなく、「活力ある経済活動」とは何なのか、それを支えるために言論はどうあるべきなのかを考えた方がいいだろう。

 

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「外交ボイコット」と言え。

2021-12-25 20:41:49 |  自民党改憲草案再読

読売新聞に、こんな記事。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20211225-OYT1T50019/ 

北京五輪 人権考慮、閣僚派遣見送り…米と足並み 政府発表

 政府は24日、来年2月に開幕する北京冬季五輪・パラリンピックに政府代表団を派遣しない方針を発表した。閣僚など政府高官の派遣を見送る。香港や新疆ウイグル自治区などの人権問題を考慮した。すでに「外交的ボイコット」に踏み出している米国や英国などと足並みをそろえた。
 岸田首相は24日、中国に自由、基本的人権の尊重、法の支配の保障を働きかけていることを指摘した上で、「北京五輪への対応については、これらの点も総合的に勘案し、自ら判断を行った」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 中国の人権問題に抗議し、北京五輪に政府代表団を派遣しない。ここまでは納得できる。
 問題は、次の部分。

 自民党の安倍元首相ら保守系議員らが政府に「外交的ボイコット」を求めていたが、首相は「日本から出席のあり方について特定の名称を用いることは考えていない」と語った。「ボイコット」と呼ばないことで、中国側に一定の配慮を示したものだ。

 この「特定の名称を用いることは考えていない」という、ばかげた表現に、私は笑いだしてしまった。そして、その「表現」に配慮して、「外交ボイコット」という文言を見出しにとらない読売新聞に怒りを覚えた。
 「実態」(事実)を無視して、政府がつかうことばをそのままつかう。それでジャーナリズムといえるのか。「外交ボイコット」ということばをつかわなければ、外交ボイコットにならないのか。
 こんなことを認めていたら、「核兵器」ということばをつかわずに、「戦争抑止力兵器」ということばをつかうようになるだろう。被爆者を「戦争終結にともなう必然的犠牲者」と呼ぶようになるだろう。「先制攻撃」と呼ばずに「敵基地攻撃」というのも同じである。
 すでに「丁寧な隠蔽(完璧な隠蔽)」を「丁寧な説明」というのが自民党トップの表現として定着している。政府が言っていることばをそのままつかうのではなく、実態が国民にわかることばに言いなおすのがジャーナリズムの仕事である。そのまま「正確に」報道するのは、単なる「宣伝」にすぎない。
 それでなくても、中国は「外交ボイコット」されたとは言わないだろう。コロナ感染拡大に配慮し、外国政府要人の招待を控えたと言うだろう。いまの時期、北京五輪に外国要人がこなくても、中国は痛くも痒くもない。コロナ拡大という「名目」がある。それを利用できるからである。
 だからこそなのである。「外交ボイコット」ということばをつかわないことには、中国の人権姿勢を批判したことにならないのだ。それだけではなく、それは中国の人権侵害を認めることになるのだ。岸田の「ことば」は間違っている、と言う必要があるのだ。

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オミクロン株の怪

2021-11-30 10:59:02 |  自民党改憲草案再読

オミクロン株の怪

 2021年11月30日の読売新聞(西部版・14版)。一面の二番手の見出しと記事。

外国人の新規入国停止/全世界対象 オミクロン株拡大

 政府は29日、新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」の感染拡大を受け、留学生などを対象に条件付きで外国人を受け入れていた水際緩和策をとりやめると発表した。これにより、全世界からの外国人の新規入国を原則停止する。30日午前0時から実施し、当面年末まで継続する方針だ。(略)
 日本人帰国者に自宅などでの待機期間を条件付きで最短3日間まで短縮していた措置も停止する。今月26日からは日本人帰国者を含めた入国者数の上限を1日あたり3500人程度から5000人程度に拡大していたが、3500人に戻す。
 水際対策の強化は1か月間続け、流行状況などを踏まえ、その後も継続するかどうかを判断する考えだ。

 突然、なぜ?
 たしかにWHOは警告を発しているが、感染拡大の「実数」がよくわからない。2面には、こんな記事。

 南アフリカでは、流行していたベータ株が6月にほぼデルタ株に置き換わった。11月以降にはオミクロン株が急増してデルタ株から置き換わり、同月15日時点で75%以上に達した。ヨハネスブルクのある同国ハウテン州では、同12~20日に調べた77検体が、すべてオミクロン株だった。欧州疾病対策センターは「著しい感染性の高さが懸念される」と、強い警戒感を示す。
 香港では、検疫用ホテルに滞在していた2人の感染が確認された。南アに渡航歴のある無症状の1人が、マスクを着用せずにドアを開け、向かいの部屋にいたもう1人に感染させた可能性があるという。

 この記事を読むとたしかに危険な感じがする。ただし香港の事例は「可能性があるという」というだけなので、「事実」かどうかわからない。危機感をあおっている感じもする。「もう1人」は、単に、入国時のPCR検査のときに検出されなかっただけかもしれない。ドアを開けて、マスクなしで向こうの部屋のひとと会話するときの、ふたりの距離はどれだけなのか。ほんとうにそれで感染したのか。「事実」が確認できない段階で、「作文描写」を挿入するのは危険すぎる。「可能性があるという」ときの「いう」の主語はだれなのか。「もう1人」を診察した医師が言ったのか。ホテル従業員が言ったのか。情報源しだいで「信憑性」も違ってくる。
 読売新聞の記事は、非常に危険なことをやっている。「という」と書けば、責任逃れができると思っているみたいだ。

 岸田がすばやく対応したのは、2面の記事を読むと、安倍、菅の対応が「後手後手」だんたのを反省し、「先手対応」をとるというとらしいのだが、どうにもよくわからない。
 1面には「感染防止G7連携/保健相緊急会合で生命」という見出しの記事がある。そのなかに、こんな部分。

 緊急会合はG7議長を務める英国が招集した。日本から参加した後藤厚生労働相は会合後、記者団に、「新しい変異株は感染力などが不明だ。科学的な知見を集め、どう対応していくのか考えていく」と述べた。

 後藤の発言どおりだとすれば、何もわかっていない。「科学的な知見」というか、科学的にわかっていることがあまりにも少ない。少しの情報しか公開されていない。突起の変異が、いままでの株より多い。だから感染力が強いと推定されている。いままでのワクチンが効かないかも、と昨日の新聞に書いてあったと記憶するが……。
 突起の変異が多くなったら、どうして感染力が強いのか。デルタ株と比較すると、そのスピードはどう違うのか。突起の変異が多いために、逆に自滅していくということも考えられるのではないか。もちろん、こういうことは素人考えなのだが。
 こんなときこそ、科学者が出てきて説明しないといけない。科学者は科学的根拠がないことはいいにくいだろうが、知っている事実を提示し、「こう考える」と言わない限り、私には疑問しか残らない。「こう考える」という部分がいいにくいとしたら、「事実」だけ語る。その「事実(データ)」をもとに、岸田が「私はこのデータをこう解釈する」と言わないと、何も語ったことにならない。
 すでにデータが科学者と岸田との間で共有されているのだとしたら、その「事実」を公開しないのは「情報」の隠蔽である。
 「情報」を隠蔽したまま、つまり「情報操作」をして、その結果を政策に反映させるとどうなるのか。独裁につながっていくだろう。

 加藤は「科学的な知見を集め、どう対応していくのか考えていく」と語っているが、いままでに集めた「科学的知見」をまず公開することが必要だろう。政府が入手した「科学的情報」は即座に公開すべきだろう。「科学的情報」を素人が分析するのは危険だが、「科学的情報」もないままの「政府の方針(政策)」を鵜呑みにすることは、もっと危険だ。
 いま、日本のコロナ感染状況は非常に落ち着いているが、なぜ、突然、日本だけ急速にコロナが終息に向かっているのか、その「科学的検証」もおわっていない。菅の政策は正しかったとは、まだ、言えない。そういう評価は、とても危険だ。
 同様に。
 岸田の「先手対策」が成功し、コロナの拡大が防げたとしたら、それはそれで、やはり危険を伴う。岸田の言うことは正しい、国民は岸田の言うことを黙って聞けばいい、という風潮を生み出すだろう。「岸田を批判するのは反日だ」というような発言が急増するだろう。その発言に、意味のない根拠を与えることになってしまうだろう。
 政権のやっていることが正しいかどうかは、「結果」だけではなく、「経過」を含めて判断しないといけない。「結果」には「偶然」がともなうときがある。「経過」の判断には、そのときそのときの「情報」が必要だ。

 こんな突然の方針転換をするかぎりは、きっと重大な情報があるはずである。
 それを追及しないジャーナリズムというのはなんなのだろう。安倍、菅の対策が「後手後手」だったから、岸田は「先手対策」を打ち出したという「よいしょ作文」を書いているひまがあったら、もっと科学者から意見を聞いて、それを記事にする方が先だろう。
 「情報」を見つけ出すのは、ジャーナリズムの重要な仕事であるはずだ。

 

 

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補正予算

2021-11-27 15:51:03 |  自民党改憲草案再読

補正予算

 2012年11月27日の読売新聞。1面に補正予算案の記事。(見出し、記事はネット配信のもの。https://www.yomiuri.co.jp/economy/20211126-OYT1T50188/

補正予算案を閣議決定、過去最大の35兆9895億円…コロナ対策に18兆円

 政府は26日の臨時閣議で、新たな経済対策などを盛り込んだ2021年度補正予算案を決定した。一般会計の歳出は35兆9895億円で、補正予算としては20年度第2次補正の31・9兆円を上回って過去最大となる。12月6日に召集される臨時国会に提出し、年内の成立を目指す。
 財源を確保するため、国の借金となる国債を22兆580億円発行する。このうち、赤字国債は19兆2310億円、公共事業などに使い道が限られる建設国債を2兆8270億円発行する。21年度の税収の見通しを6兆4320億円引き上げるほか、20年度の歳入から歳出を差し引いた「剰余金」の6兆1479億円を活用する。
 新たな経済対策を実行する費用としては、31兆5627億円を計上した。このうち、新型コロナウイルス感染症の拡大防止に18兆6059億円、岸田首相が掲げる「新しい資本主義」の政策に8兆2532億円を充てた。自治体に配る地方交付税交付金は3兆5117億円を追加した。

 見出しに「コロナ対策に18兆円」、記事には「経済対策など」と書いてある。これだけ読むと、コロナで脆弱化した経済を立て直すために補正予算を組んだと読むことができる。
 ところが、政治面(4面)を読むと、こんな記事がある。
 https://www.yomiuri.co.jp/politics/20211126-OYT1T50305/ 

防衛補正 最大7738億円…予算案 哨戒機など前倒し取得

 政府が26日に閣議決定した2021年度補正予算案で、防衛省は補正予算案としては過去最大となる7738億円を計上した。22年度当初予算の概算要求に計上していた哨戒機や弾薬を前倒しで取得する。自衛隊の対処能力を迅速に高めるほか、防衛力強化の姿勢を米国に示す狙いもある。
 岸防衛相は26日、防衛省で開かれた会合で「安全保障環境がこれまでにない速度で厳しさを増す中、防衛費は我が国防衛の国家意思を示す大きな指標となる」と述べた。
 補正予算案では、中国の軍事力強化などを念頭に、ミサイル防衛能力や南西地域の島しょ防衛体制の強化を図るため、新規の装備品取得に全体の3割超にあたる2818億円を計上した。補正予算での装備品購入が続いている近年でも異例の規模で、当初予算の5兆3422億円と合計すると、今年度の総額は6兆円超となる見通しだ。
 具体的には、船舶や潜水艦を監視するP1哨戒機3機の取得に658億円を計上。弾道ミサイルを迎撃する地対空誘導弾「PAC3」の改良型、巡航ミサイルから自衛隊基地を防護する地対空誘導弾の取得費として、それぞれ441億円、103億円を盛り込んだ。 防衛省は、今回の補正予算案と来年度当初予算案を一体とし、「防衛力強化加速パッケージ」と位置づけている。日本の防衛力を巡っては、4月の日米首脳会談の共同声明で強化に向けた「決意」を明記したほか、自民党も10月の衆院選の公約で、「国内総生産(GDP)比2%以上も念頭に増額を目指す」と掲げた。
 中国は東シナ海の沖縄県・尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返しているほか、中露合同での軍事活動も活発化させている。北朝鮮も今年に入り弾道ミサイルを相次いで発射しており、今後も防衛費の増加傾向は強まるとみられる。
 ただ、補正予算で主要装備品を調達する近年の傾向については、政府・与党内でも「緊急性の有無が分かりにくく、防衛費の総額も把握しづらい。本来は本予算に盛り込むべきだ」との指摘がある。

 防衛費とコロナ対策と経済対策。何の関係がある? コロナが拡大し、経済が疲弊している。そのてこ入れに予算を組むのだったら、防衛費は関係ないだろう。防衛費を削減してでも、緊急のコロナ対策、経済対策に予算をつぎ込むべきだろう。なぜ、これまでで最大の規模の補正予算を組まないといけないのか。
 記事の最後に、防衛費を補正予算で組み込むことに対する疑問が「付け足し」として書いてあるが、付け足しではなく、最初に書くべきだろう。その疑問から補正予算そのものを見直さないといけない。
 だいたい前文に書いてある「防衛力強化の姿勢を米国に示す狙いもある」とは、いったいどういうことなのか。「防衛力強化の姿勢を米国に示す」ことが、たとえば中国や北朝鮮が日本への侵略をあきらめる(させる)こととどういう関係があるのか。もし、中国、北朝鮮の行動に対して「牽制する」というのなら、前文は、防衛力強化の姿勢を「中国や北朝鮮」に示すでないと、「意味」が通じない。
 さらに、記事の前文に「22年度当初予算の概算要求に計上していた哨戒機や弾薬を前倒しで取得す」とあり、見出しにも「前倒し」ということばをつかっている。これは、どうみてもおかしい。いま、コロナ対策に全力を尽くさないときだとするならば、防衛費予算は「先送り」して、22年度予算に概算要求計上している防衛費をコロナ対策に回すべきだろう。やっていることがあべこべだろう。
 で、ここから見直すと。
 コロナ問題で経済が疲弊したのは日本だけではない。アメリカも同じ。アメリカの経済復興に日本はどう協力するか。軍備を買う。武器をアメリカから買うのだ。つかいもしない(つかえば戦争になってしまう)ものを買うというのは、金を捨てるのと同じである。つまり、これはアメリカのご機嫌とりのためにやることなのだ。アメリカのご機嫌とりのために「防衛費」を「前倒し」するのである。アメリカに支払う金を優先するのである。
 中国にしろ北朝鮮にしろ、いまは「外国へ侵攻する」(外国を相手に戦争をする)ということよりも、コロナ対策に全力を注いでいるだろう。こんなときに、わざわざ中国、北朝鮮は危険な国だと主張して、武器を購入するなんて、どう考えてもおかしい。北朝鮮のミサイル発射など、北朝鮮は外国に対して攻撃能力があるということを外国に示すというよりも(示す相手があるとすれば、それは日本ではなく、アメリカ)、北朝鮮の国民に向けて示しているだけだ。それは北朝鮮国内の不満を緩和するためだろう。狙いは、コロナ対策や経済対策に対する国民の不満を目先を変えてそらしてしまうということだろう。
 これって、安倍がやった「北朝鮮対策」と同じ。北朝鮮は危険だ、と言い募って、国内での安倍政権への不満を隠す。安倍は「日本が分裂している場合ではない。北朝鮮に対抗するために、日本は団結しなければならない。安倍批判をしているときではない」といいたかったように、北朝鮮の金は「コロナ対策も他の対策も、アメリカに圧力をかけて解決する。北朝鮮はアメリカと対等である。いや、アメリカこそ北朝鮮に屈するべきである」という論を展開するためにミサイル実権をやっている。日本が相手にされていないのは、拉致問題がぜんぜん進展しないこと、日本が拉致問題についてアメリカに協力を求めるしかないということからだけでも明らかだろう。独自に何もできない国を北朝鮮が相手にするはずがない。

 2012年の自民党改憲草案の「軍事独裁」を実現に向けて、予算が先取り実施されているのだ。

 

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自民党憲法改正草案再読(41)

2021-11-25 11:25:05 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(41)

 削除と追加。跡形もなく削除された条項がある。次の最高法規である。

(現行憲法)
第十章 最高法規
第97条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条
1 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
(改正草案)
第十一章最高法規
 (現行の第97条、削除)
第101 条(憲法の最高法規性等)
1 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 これは、何を意味しているか。
 条項を読んでいるだけではわからない。ここで読まなければならないのは「コンテキスト」である。「文脈」である。
 現行憲法は、どういう「文脈」でできているか。
 第97条は「この憲法が」で始まるが、主語は「憲法」ではない。第97条に書いてあるのは「基本的人権」である。「基本的人権」のことは、すでに「第三章国民の権利及び義務」に書いてある。それを改めて「最高法規=憲法」を定義する(第98条)前に、もう一度書いているのは、人権がいちばん大事だからこそ、それを定めた憲法が最高位の法であるというためなのだ。人権を守るために、憲法をつくった。そういう「歴史」を明確にするために、まず「人権」について書くのである。
 「人権」がなければ「憲法」がない。「人権」が「憲法」を必要としているのだ。
 第97条と第98条は、いわばひとつづきの「文脈」なのである。改正草案は、この「文脈」を否定している。つまり、それは「歴史」を否定するということである。明治憲法は人権を尊重しなかった。その「反省」が、現行憲法を必要とする根拠である。
 いきなり第98条で「この憲法は、国の最高法規」とはじめたのでは、その憲法が絶対的存在として守ろうとしているものが何かわからない。「憲法」だから「最高法規」といっているだけだ。「憲法」の下に「法律」や「命令」があるという「上下関係」を説明しているにすぎない。これは逆に言えば、「憲法は国民の人権を守るためのものではない、国を守るためのものなのだ」という主張である。「国」とは、もちろん「権力(内閣/内閣総理大臣)」のことである。
 だからこそ、第99条は大幅に改変される。「削除」されたものが、別の形で「追加」される。

(現行憲法)
第99条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
(改正草案)
第102 条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

 現行憲法に「国民」ということばはない。極端に言えば、国民は憲法を尊重しなくてもいいし、憲法を守らなくてもいい。つまり、憲法改正を訴えることができるし、この憲法が嫌いだからこの国を出て行くということもできる。(第22条の2項に、こう書いてある「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」)国民は(その基本的人権は)最高法規である「憲法」を超越する。その「超越」するものを、「全体的存在」として保障するために、憲法があるのだ。
 これを改正草案は逆に言いなおす。
 「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」。現行憲法では、「第三章」で「公共の福祉」ということばを何度かつかっている。国民は「公共の福祉に反することをしてはいけない」。「憲法に反してはいけない」ではないのだ。基本的人権についての考え方は、ひとそれぞれだろう。どう考えるかは自由。しかし、もしその「自由」が「公共の福祉に反する」ならば、それは規制される。改正草案は、この「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言いなおしている。その問題に触れたとき、何度も書いているが「及び」は「=(イコール)」である。「公益=公の秩序」。そしてそのときの「公」とは「国民個人の対極にあるもの」、つまり「権力(昔のことばで言えば「お上」)」である。極端に言いなおせば、安倍政権時代なら「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序」であり、菅政権時代なら「菅の利益、菅の利益を上げるための秩序」、岸田政権なら「岸田の利益、岸田の利益を上げるための秩序」である。
 だから改正草案の「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」は、実は「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序」を守るために、「全て国民は、この憲法にしたがって奉仕しなければならない、を尊重しなければならない」、「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序を守ることが、憲法を守る」ということなのだ、と言うのである。
 これでは、あまりにも「独裁」のための憲法改正であることが露骨にあらわれてしまう。そこで、どうするか。
 よく読んでもらいたい。
 改正草案からは「天皇又は摂制」が消えている。「天皇」を除外する。「安倍の利益、安倍の利益を上げるための秩序を守ることが、憲法を守る」のかわりに「天皇の利益、天皇の利益を上げるための秩序を守ることが、憲法を守る」ことが大事、と思わせるのだ。以前言われた「国体」というものが何を指すのか、私にはよく分からないが、たぶん「天皇(の利益)」のことだったのだろう。「天皇」を守るは「天皇制」を守るということである。それは、しかし、ほんとうに「天皇」を守るというよりも、「天皇」の存在を借りて、安倍の利益を守るということなのだ。しかし、そういう批判を封じるために、ここでは「天皇」を削除しているのだ。
 こういうことを「天皇の政治利用」という。

 このあと「補則」が書かれている。

(現行憲法)
第十一章 補則
第100 条
1 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
第101 条
 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。
第102 条
 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。
第103 条
 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。
(改正草案)
附則
(施行期日)
1 この憲法改正は、平成○年○月○日から施行する。ただし、次項の規定は、公布の日から施行する。
(施行に必要な準備行為)
2 この憲法改正を施行するために必要な法律の制定及び改廃その他この憲法改正を施行するために必要な準備行為は、この憲法改正の施行の日よりも前に行うことができる。
(適用区分等)
3 改正後の日本国憲法第七十九条第五項後段(改正後の第八十条第二項において準用する場合を含む。)の規定は、改正前の日本国憲法の規定により任命された最高裁判所の裁判官及び下級裁判所の裁判官の報酬についても適用する。
4 この憲法改正の施行の際現に在職する下級裁判所の裁判官については、その任期は改正前の日本国憲法第八十条第一項の規定による任期の残任期間とし、改正後の日本国憲法第八十条第一項の規定により再任されることができる。
5 改正後の日本国憲法第八十六条第一項、第二項及び第四項の規定はこの憲法改正の施行後に提出される予算案及び予算から、同条第三項の規定はこの憲法改正の施行後に提出される同条第一項の予算案に係る会計年度における暫定期間に係る予算案から、それぞれ適用し、この憲法改正の施行前に提出された予算及び当該予算に係る会計年度における暫定期間に係る予算については、なお従前の例による。
6 改正後の日本国憲法第九十条第一項及び第三項の規定は、この憲法改正の施行後に提出される決算から適用し、この憲法改正の施行前に提出された決算については、なお従前の例による。

 「補足」をわざわざ「附則」と書き直しているくらいだから、ここにも何かしらの「秘密の企て」があるのかもしれないが、私にはよくわからない。


(「自民党憲法改正草案を読む」は、今回で終了です。近日中に一冊にまとめる予定です。)

 

 

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自民党憲法改正草案再読(40)

2021-11-20 10:56:34 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(40)

 2021年11月20日の読売新聞に、「首相『改憲一部先行も』、4項目同時こだわらず」という記事が載っている。

 岸田首相は19日、内閣記者会のインタビューで、憲法改正を巡り、自民党がまとめた自衛隊の根拠規定明記など4項目の改憲案の同時改正にこだわらず、一部を先行させる形もあり得るとの認識を示した。
 首相は「4項目とも現代社会に必要な改正だが、結果として一部が国会の議論で進めば、4項目同時にこだわるものではない」と述べた。「これから先、主戦場は国会での議論になる」とも語った。

 何を、どう変えるかよりも、「変える」ことに主眼がある。これは、完全におかしい。憲法は「変える」ためにあるのではない。変える必要があるとすれば、今の憲法では国民の人権が守れないという事態が生じたときだろう。自民党の掲げている「改憲4項目」には、たとえば「夫婦別姓を認める」「同性婚を認める」というものはない。いずれも、いま社会で起きている「要求」(認められないために、人権が侵害されているという訴え)なのだが、知らん顔をしている。
 少し脱線するが、先日、ケビン・マクドナルド監督の「モーリタニアン 黒塗りの記録」(ジョディ・フォスター、ベネディクト・カンバーバッチ主演)を見た。9・11事件の「関連容疑者」をめぐる「実録」映画である。そのなかで非常に興味深かかったのは、「容疑者」を弁護するジョディ・フォスター、告発するはずのベネディクト・カンバーバッチがともに「憲法」を根拠に論理を展開していることだ。ジョディ・フォスターは「容疑者の人権」を守ろうとする。ベネディクト・カンバーバッチは「国の安全」を守ろうとする。二人にとって、憲法を守ること、国家に憲法を守らせることが、人権を守ることであり、国を守ることである。憲法を守れなかったら、人権も国家も守れない。立場は違うが、憲法を守らない限り、何もできないと主張していることだ。
 こういう意識が自民党にあるかどうか。絶対にない。
 自民党が守ろうとしているのは「権力」だけである。
 私たちは、安倍政権時代に起きた「人権侵害」の例を知っている。安倍の知人の男から女性が強姦された。だが、その男は逮捕、起訴されなかった。財務省の職員は、文書改竄を命じられ、それを苦に自殺した。けれどその深層は明らかにされていない。ともに安倍に問題が波及するからである。国民の人権ではなく、安倍の「利益」を守るために、憲法がねじ曲げられている。
 その流れを汲む岸田が、安倍の路線を引き継いで改憲を進めようとしている。憲法を守る、ではなく、憲法を変えることで、権力を守ろうとしている。憲法の基本を逸脱し、憲法そのものを破壊しようとしている。

 憲法改正について、現行憲法と改憲草案は、どう違うか。ともに2項あるが、1項ずつ見ている。

(現行憲法)
第九章 改正
第96条
1 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
(改正草案)
第十章 改正
第100 条
1 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

 「発議」の主体(主語)が、現行憲法では「国会」、改正草案では「衆議院又は参議院の議員」。「発議」のための条件が非常に緩和されている。現行憲法では「国会(衆議院、参議院の両方)」の賛成が必要なのに、改憲草案では「衆議院又は参議院の議員」のどちらかの議員だけで発議できるのである。しかも現行憲法では「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」が必要なのに、改憲草案ではそうは書いていない。改憲草案は「発議」のあと、「両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決」する。
 ところで、この「議決」とは何なのか。
 現行憲法には「議決」ということばは出てこない。国会はあくまでも「発議」する。国会は「憲法をこういう具合に改正したい」という案を国民に示すだけである。つまりその「発議」は国民の「承認」を必要とする。このときの「承認」とは実質的には「議決」である。国民投票によって、その成否が決まるのである。それまでは、いかなる「議決」(決定)も存在しない。繰り返しになるが、「国会」は議決などしない。あくまでも「発議」だけである。
 改憲草案は、そうではない。国会で「議決」までしてしまう。「議決」したものの「承認」を国民に求める。
 これは単なる「用語」の問題か。手続き的には同じことを言いなおしているだけか。
 そうではない。ことばというのは、とても重要だ。「議決」されたものを「承認」するのと、「議決されていない案」を投票にかけ、賛否を問い、「承認」を受けるのでは、印象がまったく違う。提案されただけなら、まだ、どんな意見もあらわれる可能性がある。しかし、「議決された」ものは、すでに「賛成」が「反対」を上回っているのである。「議決された」ものを覆すためには、そのための「論理展開」が必要である。それは「提案されたもの」の賛否を議論することとは全然違し、労力も必要になる。
 これは簡単に言いなおせば「心理」の問題になるかもしれないが、この「心理」の与える影響は大きい。もう決まっている。反対する人間はただ反対したいだけで、何もしない、という批判が出てくるだろう。自民党の多用することばで言えば、「野党は反対するだけで建設的ではない」。そういう「風潮」を利用して、改憲を押し切るのである。
 必要な賛成の数も、改憲草案では「有効投票の過半数」と変更されている。現行憲法では、「有権者の過半数」とも「投票総数の過半数」とも理解することができる。「その」という指示詞があるので、たぶん「投票総数の過半数」と読むのが正しいだろう。「投票総数の過半数」と「有効投票の過半数」は大きな問題になる可能性がある。書き込んではいけない何かを投票用紙に書いたとする。たとえば「9条を守れ」というようなひとことを書いたとする。その票が「無効票」と判断されたとき、それは「有効投票数」にカウントされるのか。私は「選挙」にはくわしくないからわからないが、きっと自民党に有利なように解釈されるだろう。つまり無効投票に数えられることになるだろう。無効投票が増えれば、それだけ有効投票数が減る。「分母」が小さくなり、「過半数」の数も小さくなる。少ない「賛成」票で改正案が成立してしまう。改正するのに少ない賛成ですむことになる。
 また現行憲法が、この国民投票を「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」と定義している。「特別の」ということばをつかっている。ここに、とても重要という意味合いが含まれると思う。しかし、改憲草案は「特別の」を削除し「法律の定めるところにより行われる国民の投票」と変えている。「国民投票」に何があるか。いくつあるか。私は知らないが、その「国民投票」と「同列」の投票になる。「特別」ではなくなる。これも、国民の目をごまかすことにならないか。

 第2項はどうか。

(現行憲法)
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
(改正草案)
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。

 現行憲法の「国民の名で」と「この憲法と一体を成すものとして」が削除されている。これは、どういうことなのか。なぜ、削除したのか。
 むずかしい。
 逆に考えてみよう。現行憲法は、なぜ「国民の名で」と「この憲法と一体を成すものとして」ということばを書き込んでいるのか。そこにはどんな意味が込められているのか。これは簡単だ。
 「国民の名で」というのは、この憲法が国民のものであるという「証拠」である。所有物には名前を書く。政府(権力)のものではない。国民のものなのだ。だから、「国民の名で」というのである。
 「この憲法と一体を成すものとして」というとき、「憲法」と「何が」「一体を成す」のか。「国民」である。「憲法」は「国民」なのである。逆に言えば「国民」が「憲法」なのである。つまり、「政府(内閣、岸田や安倍、菅)」が「憲法」なのではない。
 「国民の名で」と「この憲法と一体を成すものとして」を削除したのは、「国民が憲法である」という本質的意味を否定するためである。内閣が憲法である、と主張するためである。独裁のために、「国民の名で」と「この憲法と一体を成すものとして」を削除したのだ。
 追加されたことばも重要だが、同様に削除されたことばも重要である。なぜ削除したのか。削除するとどうなるのか。そのことを考えないといけない。きのうも書いたが、繰り返し書いておく。削除には追加と同じように、そして時には追加以上に重大な意味がある。

 ここで、もう一度、映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」にもどろう。人は行動するとき、何を自分の指針にするか。「神」という人がいるだろう。この映画ではベネディクト・カンバーバッチは「神」を信じる人としても描かれていた。一冊の本(そのなかにあったことば)という人もいるだろう。そして、その「ことば」のなかには、「憲法」もある。「憲法」を指針にして行動する人もいるだろう。たとえば、この映画では、ジョディ・フォスターが演じた弁護士は、そうである。友人・同僚との「人間関係」よりも「憲法」をよりどころとしている。「憲法」を守ることが生きることなのだ。
 日本にもそういう人がいるだろう。9条を、そして国民の権利について書かれた条項(そのことば)を指針にして、それを守るために生きている人もいるだろう。憲法は、あくまでも国民のものなのである。自民党の一部の権力者のために、憲法が変えられてしまうのは、たまらなくいやなことだ。

 

 

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自民党憲法改正草案再読(39)

2021-11-19 12:12:20 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(39)

 緊急事態条項のつづき。

第99条(緊急事態の宣言の効果)
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 1項。「法律の定めるところにより」という条件がついているが、どれだけの効力があるのか。「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」となれば、先の「法律」さえ即座に変更してしまうことができるだろう。さらに「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とつづく。「支出」には「支出する」という方法は「支出しない」という方法がある。「自然災害」のとき「支出しない」ということは考えにくいが、絶対に「ない」とは言えない。「支出の規模」で支出に差をつける。岸田を例にあげれば、広島県で自然災害が発生したとき、その復旧予算を即座に支出する。しかし沖縄県への自然災害へは即座に支出しないばかりか、同じ災害規模であっても支出額を小さくする、ということが起きるかもしれない。「内閣総理大臣」に一任してはいけないのだ。
 自然災害ではないが、第98条1項にある「内乱等による社会秩序の混乱」を、たとえば辺野古基地反対という住民運動に適用するとどうなるか(政府の方針に従わないのは「内乱」である、と内閣が判断したときはどうなるのか)。沖縄県への「支出」を減らすということが起きる。「緊急事態」宣言が適用されているわけではないが、先取りする形での予算配分はすでに起きている。こういうことを踏まえれば、緊急事態条項ができれば、さらに激しくなる。いわゆる「アメとムチ」政策がもっと露骨におこなわれることになる。
 2項に「事後に国会の承認を得なければならない」とあるが、この「事後」が明確に定義されていない。三日以内、一週間以内というような「期間」は「法律の定めるところにより」とあいまいである。その「法律」さえ、1項によれば「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」なのだから、意味がない。
 だいたい、憲法は国家権力を拘束するものなのに、緊急事態条項には「内閣は〇〇をしてはいけない」がない。「内閣は……できる」と許可を与えている。国会の承認が必要と書いているが「事後」である。いつが「事後」なのか、分からないままでは、「まだ事後になっていない」といつまでも引き延ばすこともできる。
 内閣に権限を与えておいて、一方で、国民に対してはどうか。
 3項は「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」と国民に「義務」をおしつける。「何人も」とあるから、そこには当然のことながら日本に住んでいる外国人も含まれるだろう。
 その場合「第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」というのだが、その「基本的人権」は日本に住んでいる外国人にも適用されるのか。自民党が考えている「基本的人権」とは何なのか。
 改正草案では、こうなっている。
第14条(法の下の平等)
1 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第18条(身体の拘束及び苦役からの自由)
1 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第19条(思想及び良心の自由)
 思想及び良心の自由は、保障する。
第19条の2(個人情報の不当取得の禁止等)(←注・新設条項)
 何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。
第21条(表現の自由)
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。
第21条の2(国政上の行為に関する説明の責務)(←注・新設条項)
 国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。

 「国民」と「何人」がつかいわけられている。「全て国民は、法の下に平等」であるが、外国人は平等ではない、が押し進められるかもしれない。外国人の情報は、国によって積極的に収集されるかもしれない。(もちろん、国民の情報も収集されるだろう。)政策の説明は「国民」に対してはおこなわれるが外国人に対しては何もしないかもしれない。
 外国人への「抑圧」が大きくなるだろう。自由が拘束されることになるだろう。
 しかし、それよりもさらに注意しなくてはならないのは、改正草案が「「第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条」と条項を選んでいることである。ここに書かれていない条項、第15、16、17、20条はどういう条項か。改正案ではなく、現行憲法を引いてみる。
第15条
1 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第16条
 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第17条
 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第20条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 第15条は簡単に言えば「選挙権(罷免権)」、第16条、第17条は「請願権/賠償請求権」、第20条は「信教の自由保障」。これが、すべてなくなるのである。
 非常事態宣言が出されると、国民は選挙権をなくす。権力に対して請願することもできないし、損害賠償もできなくなる。信教の自由もなくなる。国の命令に対して「私の信じている宗教では、そういうことは禁じられているので、命令に従うわけには行かない」ということができなくなる。
 改正草案に新設される形で書かれている「緊急事態条項」は、単に「追加」だけではないのである。同時に「削除」を含んでいる。何が「削除」されたのか。それは本当に「削除」してもいいものなのか。なぜ、自民党は、それを「削除」しようとするのか。狙いを読み取らなければならない。
 読み返せば簡単である。緊急事態なのだから、国が(内閣総理大臣が)何をしようが、その責任は問われない。国民は国に対して、いかなる責任追及も、賠償請求もできない。私は宗教を信じていないが、信じている人にとっては、それは「生死」にかかわることである。その「生死」を選ぶ権利もないのである。
 国民は国会を通じて、つまり国民が選んだ代表を通じて国に対して働きかけができる、と自民党は言うかもしれない。しかし、その国会は、緊急事態宣言下ではどう機能することができるのか。
 5項は、衆議院は解散されない。つまり、緊急事態宣言が出されたときの「議席構成」のままである。自民党が支配していれば、その支配がつづくだけである。国会をとおして、国民が活動するということができないのである。
 で、ここからもう一度前にもどってみる。第99条の3項。こんなことばがある。

国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置

 国民の生命を守る、はわかる。つぎにくる「身体」は「生命」を言い換えたものだろう。しかし、その次の「財産」はどうなのか。「生命/身体」がなければ、私は人間は存在しないと考えているから、それが最重要なのはわかる。しかしその次が「財産」なのか。私は貧乏人だからなのかもしれないが「財産」と聞いてもぴんとこない。「財産」よりも精神の自由の方が大切なのではないのか。私は宗教を信じていないが、宗教を信じている人は財産よりも宗教を大事だと思うのではないのか。だからこそ、財産をなげうっても宗教にすがるのではないのか。
 だいたい自民党の改正草案は国民の「財産」を守るという意識があるのか。自分たちの、自民党議員が属する社会の「財産」を守ろうとしているだけなのではないのか。「緊急事態」が宣言されているわけではないが、安倍以降の政治は、すべて同じだ。国民の「財産」など彼らの眼中にはない。国民の貧困がどんどん加速しているが、その貧困の拡大の一方で、一部の富裕層の「財産」も拡大している。貧困の拡大は一部富裕層の拡大と直結している。国民の多くが貧乏になればなるほど、一部の人間は豊かになるのだ。
 こういうとき、せめて「精神の自由」があれば、と思うが、つまり権力に対して反抗する運動があれば、それが生きる力になるだろうと想像することができるが、緊急事態事項は、「政府に対する批判」をきっと「内乱等による社会秩序の混乱」と判断し、国民の弾圧に向かうだろう。
 最近「台湾有事」ということがしきりに言われるが、現実問題として、台湾を舞台にして米中が衝突し、日本もそれに参加し、そのために中国から報復があり、さらに核戦争にまで拡大するということは、あまりにも突飛な想像だろう。それよりも、無駄な「自衛隊」という名の軍隊は「自民党防衛隊」となって国民弾圧に向かう、「自民党防衛隊」が国民に向かって動く、軍事独裁がはじまると考える方が現実的ではないだろうか。
 岸田政権が軍事独裁政権になったとしたら、海外から批判が起きるかもしれない。しかし、そんなことでは核戦争は起きない。外国の軍隊が日本国民の基本的人権を守るために日本に侵攻してくるということはないだろろう。
 「自衛隊」の「合憲化」「緊急事態条項」の新設は「軍事独裁」に直結する。

 

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自民党憲法改正草案再読(38)

2021-11-14 11:21:10 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(38)

(改正草案)
第九章 緊急事態
第98条(緊急事態の宣言)
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

 重複するが、もう一度引用しておく。きのうは茂木の発言に引っ張られすぎた。
 「緊急事態条項」のいちばんの問題点は、「主語」が「内閣総理大臣」であることだ。主語、テーマの視点からこれまで読んできた憲法を振り返ってみる。
 「前文」は、現行憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と始まる。「国民」が主語。そして、国というのは「国会(国民の代表者)」を通して動くという「テーマ」が語られる。「テーマ」を遂行するよりどころが「憲法」である。改正草案は「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」と「日本国」がテーマ。国民は「脇役」になっている。
 「第一章 天皇」は、現行憲法も改正草案も「天皇は」で始まる。これは「主語」というよりも「テーマ」である。
 「第三章 国民の権利及び義務」は現行憲法「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」、改正草案「日本国民の要件は、法律で定める」。このときの「日本国民(たる要件)」は「テーマ」である。「主語」にみえるが、「主語」であることを明確にするために、「テーマ」を掲げる。「テーマ」を隠すために、改正草案は「これを」を削除している。
 「第四章 国会」は、現行憲法、改正草案とも表記に一部違いはあるが「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」。ここでも「国会」が「テーマ」でるあることを明示している。
 「第五章 内閣」は、現行憲法が「行政権は、内閣に属する」、改憲草案が「行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する」。書き方は違うが「行政権=内閣(内閣=行政権)」と「内閣」を定義している。「主語」ではなく、ここでも「内閣」は「テーマ」である。
 「第六章 司法」は、表記が一部違うが現行憲法、改正草案とも「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」である。ここでも「司法権」とはどういうものか定義される。この定義によって「司法」が「テーマ」であることが明確になる。
 「第七章 財政」は現行憲法、改正草案とも「国の財政を処理する権限は」とはじまる。これも「テーマ」が何であるかをしめしている。
 「第八章 地方自治」は、現行憲法が「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて」ではじまる。改憲草案は「地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし」とはじまる。やりは「地方自治」が「テーマ」であることが提示される。「主語」にみえるが「テーマ」である。
 憲法は、まず、「テーマ」を掲げ、それを定義し、それから細部をつめていくという構造になっている。
 ところが「緊急事態」は違うのだ。
 「内閣総理大臣は」とはじまる。「主語」が先にくる。「緊急事態」とは何か、という「テーマ」の定義がない。これでは、この章は「内閣」の章のなかに組み込まなければならないことになる。なぜ、内閣の章に組み込まなかったのか。内閣の章に組み込めば、内閣の「独裁指向」が鮮明になりすぎるから、それを避けたということである。
 つまり。
 言いなおせば、この「緊急事態条項」というのは「内閣独裁」を推進するためにつくられた特別のものなのだ。
 「内閣」は何をするのか。「緊急事態」とは何なのか。

内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは

 「認めるときは」の主語は「内閣」である。「内閣が必要と認めるときは」である。

法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる

 「法律の定めるところにより」と断り書きがあるが、「閣議にかけて、緊急事態の宣言を発する」の「主語」は「内閣」である。
 つまり「内閣」が独断で、今起きていることは緊急事態であると認め(判断し)、閣議にかけて緊急事態と「宣言する」。「内閣」という「主語」で貫かれた条項なのである。
 「安倍昭恵は私人である」とか、なんとかかんとか(忘れてしまった)の意味はこれこれであるというどうでもいいことが(安倍昭恵はどうでもいい問題ではないかもしれないが)、「閣議決定」されている。いずれも安倍の「発言」が問題になったときである。そのレベルで「緊急事態」であるかどうかが判断され、閣議で宣言されるのである。つまり、内閣総理大臣の思いのままに、「緊急事態」が発令されるということである。
 安倍昭恵問題もそうだが、すでに戦争法制定のとき、国会周辺に押し寄せたデモを取り締まるために地下鉄の出入り口まで操作するということが起きている。「緊急事態」ということばはつかわれていないが、それは安倍の私的に「緊急事態」を宣言し、それに警察、機動隊が同調したということだろう。
 こういうことがあったあとで、2項で、「国会」を持ち出してきても、「国会」は主語でもなんでもない。お飾りである。
 2項は、よくみると、奇妙な文体である。

緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない

 最初にあらわれた(そして3項でもあらわれる)「内閣総理大臣は」という「主語」が隠され「緊急事態(の宣言)」という「テーマ」が冒頭にあらわれる。この文章は、内閣総理大臣を「主語」にすると、どうなるか。

内閣総理大臣は、法律の定めるところにより、緊急事態の宣言について、事前又は事後に国会の承認を得なければならない

 である。こう書いてしまうと、やはり内閣総理大臣の独断が目立ってしまうので、それを隠すために「緊急事態の宣言は」と書き始めているのだ。
 こういう「文体の罠」にもっと私たちは注意しないといけない。
 新型コロナのようなことが起きたとき、「緊急事態宣言」が必要なのかどうかということと同時に、それを定めたことばがどのように書かれているか、その「文体」にまで踏み込んで、そのことばの狙いをつかみ取らないといけない。
 2項で消えたはずの「内閣総理大臣」が3項で復活してきている。「内閣総理大臣は」「閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない」と内閣総理大臣の独断に拘束をかけているようにみえるが、先日書いたように、「百日」の運用次第で、どうとでもなる。
 4項は、国会を登場させることで、内閣総理大臣の「独断」を解消しようとしている。4項によって、内閣総理大臣の「独断」が否定されるわけではない。

 

 

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自民党憲法改正草案再読(37)

2021-11-13 16:16:39 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(37)

 2021年11月13日の読売新聞(西部版・14版)の一面に、自民党幹事長・茂木のインタビューが載っている。「緊急事態条項の創設優先/自民・茂木氏 改憲論議を加速」という見出し。記事の前半部分。

 自民党の茂木幹事長は12日、読売新聞のインタビューに応じ、衆院選で憲法改正に前向きな日本維新の会や国民民主党が議席を伸ばしたことを踏まえ、改憲論議を加速し、緊急時に政府の権限を強化する「緊急事態条項」の創設を優先的に目指す方針を示した。
 茂木氏は「新型コロナウイルス禍を考えると、緊急事態に対する切迫感は高まっている。様々な政党と国会の場で議論を重ね、具体的な選択肢やスケジュール感につなげていきたい」と述べた。

 予想していたとおりにコロナウィルスと緊急事態条項を結びつけてきた。まるで緊急事態条項がなかったために日本のコロナウィルス感染が拡大したかのような主張である。まだコロナウィルス対策の検証もすんでいないのに、である。
 問題点はあれこれあるが、諸外国で「緊急事態条項」に類する「憲法」をもとにコロナ対策を進めた国があるか。そして、その国はその対策によって対策の効果を上げたのか。世界的に見てコロナ封じに成功した国は中国やニュージーランドなどわずかである。中国はたしかに「緊急事態条項」のようなものを適用したのかもしれない。権力が国民の自由を奪い、強引にコロナウィルスの移動を封じた。もし、茂木が目指しているものがそうであるなら、それは「中国共産党の政策」をコピーすること、自民党が「中国共産党」になり、独裁をなしとげるということだろう。コロナ対策を口実に、中国共産党並みの独裁を進めるということだろう。
 だいたい、諸外国のよう「都市のロックダウン」は日本には合わない、
というのが安倍や菅の主張ではなかったのか。いったい、「緊急事態条項」をもうけることで、コロナ対策をどう進めるのか。それを明確にしないで、「新型コロナウイルス禍を考えると、緊急事態に対する切迫感は高まっている」と言っても空論だろう。緊急事態条項新設のためにコロナを利用しているにすぎない。
 コロナ感染がはじまったときから、私は何度も隔離病院を建設する、PCR検査を徹底することが重要と書いてきたが、緊急事態条項があれば病院の建設が進み、PCR検査が進んだのか。緊急事態条項がなかったから病院建設ができず、検査もできなかったのか。違うだろう。ワクチンにしても緊急事態条項があれば、国産ワクチンができたのか。接種が進んだのか。緊急事態条項がなくてもできるのにしなかった。それが問題なのだ。
 緊急事態条項があれば、安倍のマスクを全国民に配布することができ、余剰のマスクのために無駄な管理費をつかなくてもすんだのか。違うだろう。
 コロナ感染状況は、日本は、11月13日現在落ち着いてみえる。これは緊急事態条項を新設すると茂木が言ったから、そうなったのか。違うだろう。また世界的に見れば、ヨーロッパでは再び拡大しているようにみえる。拡大がおさまらない。緊急事態条項のもとで対策を進めていないから?
 事実を無視して、自分の都合で「コロナ対策」を口実にして、緊急事態条項を盛り込もうとしている。こんな「非科学的」な論理で憲法を変えるのは、あまりにも乱暴である。
 その「緊急事態」。これは新設なので、現行憲法と比較できない。そのため問題点を指摘することがむずかしい。私は「法律」をほとんど読んだことがない。(憲法は何度も読んでいる。)どうやれば、問題点を指摘できるか。わからないまま、書き進めるしかない。

(改正草案)
第九章 緊急事態
第98条(緊急事態の宣言)
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

 茂木の言っている「新型コロナウイルス禍」は、第98条1項の「武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害」のどれにあたるか。人為によらないものだから「自然災害」か。
 ぜんぜん、わからない。
 そして、この「ぜんぜん、わからない」ということが、非常に問題なのだ。
 たとえば「我が国に対する外部からの武力攻撃」ということばは衝撃的で、私はうろたえてしまうが、今現在ある「法律」でいえば、「安全保障関連法」では集団的自衛権を認めている。日本が直接攻撃されなくても、ある戦闘が日本の存亡の危機に直結する場合は自衛隊が海外へ行って戦闘に参加することができる。最近話題になっている「台湾有事」の場合も、自衛隊が出かけていくのだろう。そうすると、それは中国(と、仮定しておく)から見れば「我が国に対する外部からの武力攻撃」にあたるから、当然のこととして日本へも攻撃を仕掛けてくるかもしれない。それは「攻撃」というよりも「反撃(防衛)」だろう。それでも日本は「我が国に対する外部からの武力攻撃」と定義し、緊急事態条項を宣言するのだろうか。もし、そうであるなら、日本がある国に先に何か行動を起こし、その国から反撃させ、「外部からの武力攻撃」と定義し、緊急事態宣言をすることもできるだろう。「集団的自衛権」が存在しないなら、安全保障関連法が存在しないなら、まだ、かろうじて「我が国に対する外部からの武力攻撃」の定義を受け入れることができるが、日本が、ある国で武力活動をできるようにしておいて「我が国に対する外部からの武力攻撃」というのは、あまりにも自分勝手である。
 「内乱等による社会秩序の混乱」の「内乱」の定義もわからない。いつの選挙だったか、安倍にヤジを飛ばしただけで市民が警察に拘束される(あるいはつきまとわれる)ということがあった。この事件など「内乱等による社会秩序の混乱」を先取り実施したものといえるだろう。「社会的秩序の混乱」も「他の聴衆が演説を聞くのを妨害した」というのが「混乱」にあたるというに違いない。だから、きっと、「自民党は政権から下りろ」というのは「内乱」にあたるし、政権交代を目指し立憲民主党と共産党が共闘するのも「内乱」あたる。しかし、たとえば立憲民主党と連合の対立は「内乱」でも「社会的秩序の混乱」ない。むしろ、自民党にとっては「連合による社会的秩序を回復させるための戦い(共産党を排除する戦い)」ということで、推奨されるだろう。「内乱」にしろ「社会的秩序」にしろ、それは、あるひとがどのような立場で社会に参加しているか、社会をどう定義しているかによって違ってくる。
 コロナ問題で考えれば、集団で飲食店で飲み食いするのは、コロナ感染を抑制したい側から見れば「社会的秩序」を乱すもの(混乱させるもの)だが、飲食店側から言わせれば十分な補償をしないことが「社会的秩序」を「混乱」させるもの、ということになる。店がつぶれる。失業者が出る。食べていけない。それは「被害者」にとって「社会的秩序の混乱」である。客がきて、飲食し、金が稼げるというのが飲食店の考える「社会的秩序」である。
 いったい、コロナ対策で、自民党は何をしたのか。それは、どんな効果を上げたのか。どんな問題があったのか。検証しなければいけないことがたくさんあるはずだ。それを放置しておいて、コロナ対策を進めるためには「緊急事態条項」が必要だというのは、それこそ、いまある「社会的秩序」を混乱させるものだろう。
 2項では、「事前又は事後」の「事後」が特に問題になるだろう。たいていの場合、緊急事態なのだから「事前」というのはむずかしい。「外部からの武力攻撃」や「自然災害」は予期しないときに起きる。だから「事前」に国会の承認を得るということは、まず、ありえない。「事前」が可能なのは「内乱等による社会秩序の混乱」である。「共産党が武力革命を計画している」という「情報」をもとに緊急事態宣言をし、共産党を拘束するということはあるかもしれない。私のように憲法改正反対ということを口にしている人間も「社会的秩序の混乱」を招くということで、「緊急事態」とはいわないが、その動きが大きくなる前につぶしておけ、という動きが出てくるかもしれない。
 「事後」にいたっては、いったい期限がいつなのか、わからない。3項に「百日」というひとつの目安があるが、その百日にしろ、いま起きていることは百日前に起きたこととは別問題(あるいは、さらに発展した問題)だから、百日の限定は当てはまらないと言って、緊急事態宣言の「継続」ではなく、第二の「緊急事態宣言」、第三の「緊急事態宣言」という具合に更新し続けることができるのではないか。更新と延長は違うと、自民党はきっというに違いない。

 

 

 

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自民党憲法改正草案再読(36)

2021-11-12 11:05:40 |  自民党改憲草案再読

 

自民党憲法改正草案再読(36)

(現行憲法)
第八章 地方自治
第92条
 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
(改正草案)
第八章 地方自治
第92条(地方自治の本旨)
1 地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う。
2 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。
第93条(地方自治体の種類、国及び地方自治体の協力等)
1 地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし、その種類は、法律で定める。
2 地方自治体の組織及び運営に関する基本的事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律で定める。
3 国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない。地方自治体は、相互に協力しなければならない。

 現行憲法の文言は改正草案第93条2項に吸収されている。前後に、たくさんのことばが追加されている。新設された改正草案の第92条は、現行憲法の「地方自治の本旨」を定義し直したものだろう。現行憲法に「定義」がないのは、たぶん、憲法の「本旨」が国家権力を拘束するものという意識で制定されているからだろう。地方自治体も「権力」であるけれど、国家権力とは性質が違う。地方自治は「住民参画/自主/自立」が基本であるという1項の定義はいいのだけれど、2項の「義務」ということばに私は注目した。
 現行憲法では、納税、勤労、教育が国民の義務である。
 新設された第92条では、「国民の義務」ではなく「住民の義務」が追加されている。これは、おかしくないか?
 国会、内閣、司法、財政の各章には、「国民の義務」は書かれていない。それは憲法が権力を拘束するものであって、国民を拘束するためのものではないからだ。国会の仕事はこれこれ、内閣の仕事はこれこれ、司法の仕事はこれこれ、とつづく。そこには「国民」が何かしなければならないという表現は出てこない。
 それが突然、ここに出てくる。
 菅は「自助共助公助」と言ったが、そのことばに従えば、地方自治は、たぶん「共助」にあたる。国(公)に頼る前に、自分たちでなんとかしろ。そのためには住民が税金を別途に払え。国は地方自治のために金など出さない、ということだろう。
 国は国民を支配する。地方自治は住民を支配しろ、ということなのだろう。権力の二段階構造。支配の二段階構造。そして、これは、何かあったとき、責任は「地方自治」にとらせる、国には責任はないという態度に豹変するだろう。国家権力の自由を最大限にするために国→地方自治という権力構造をつくりあげる。権力構造には、どうしたって「財政」が必要である。それは地方自治でかってに工面しろ、ということだな。
 それを明確に語っているが、新設された第93条3項だ。「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」のなかに「役割分担」と明確に書いてある。国がすることと、地方自治体がするのことは「別」なのだ。「協力しなければならない」とは都合のいいことばである。国はこれこれのことをするから、ほかのことは地方自治体がやれ、というのである。
 これにさらに「地方自治体は、相互に協力しなければならない」とつづく。地方自治体は「共助」しなければならない、というのである。「公助」(国)に頼るな。国と地方は別のもの。
 「権限委譲」ということばがあるが、権限を委譲するのではなく、仕事を押しつけるのが国なのである。
 コロナ対策を見てみればわかる。国がPCR検査の基準(高熱が4日以上つづく)を決めて通達し、それに従わせる。「基準を充たしていないので検査できない」と保健所にいわせる。現場の判断、裁量にまかせない。そのくせ問題が大きくなると、基準の解釈が間違っている、と言う。
 これが、これから起きるのだ。国は「権力の二重構造」を利用して、国が批判された場合、その責任を地方自治(現場)に押しつける、ということが起きる。

(現行憲法)
第93条
1 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
(改正草案)
第94条(地方自治体の議会及び公務員の直接選挙)
1 地方自治体には、法律の定めるところにより、条例その他重要事項を議決する機関として、議会を設置する。
2 地方自治体の長、議会の議員及び法律の定めるその他の公務員は、当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する。

 改正草案のいちばんのポイントは「日本国籍を有する者が直接選挙する」。「住民」を「日本国籍を有する者」と言いなおしている。定住している外国人を締め出している。外国人にも税金を支払わせているが、その使い道について外国人は何言うな、ということである。権力構造を国と地方自治の二重構造にしたように、ここでは人間が「日本人」と「外国人」に二重構造でとらえられている。これは、差別の助長につながるだろう。いまでもよく耳にするが「日本がいやなら日本から出て行け」(日本に定住するな)という差別が国の推進する政策になる。もちろん、国はそうは言わない。地方自治体にそう言わせるのである。それが問題化すれば、個別の地方自治体での差別問題という形で国は知らん顔するだろう。こういうことは実際に起きている。「ヘイトスピーチ」について、国は対処する法律をつくろうとしていない。自治体にまかせている。「人権」の問題こそ、国できちんとした対応をしないといけないのに、それをしない。
 外国人差別だけではなく、日本人の問題である「夫婦別姓」「同性婚」も同じ。「同性婚」については地方自治体の取り組みで「パートナー制度」と呼ばれるものができているが、いつまで「容認」されるか。自民党の国会議員の中には、「同性愛者には生産性がない」と、平然と差別するひともいる。

 「権力の二重構造」と、私は、いま書いたばかりだが、次の改正草案読むと、「二重構造」ではなく、「中央集権化」だということがわかる。つまり、国による支配の強化のために国→地方自治という上下関係を明確にしているのが、この改正草案の狙いなのだ。

(現行憲法)
第94条
 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
(改正草案)
第95条(地方自治体の権能)
 地方自治体は、その事務を処理する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

 「財産を管理し」「行政を執行する」権能が、改正草案では削除されている。地方自治体は、独自に「財産を管理し」「行政を執行する」ことができない。地方自治体の財産の管理、行政執行は国に従わなければならないのである。「二重構造」ではなく、「中央集権」の強化である。
 ここから、最初に問題にした住民負担の義務、「負担を公平に分担する義務を負う」を見ると、どうなるか。国が地方自治体を通じて、新たに税を取り立てるのである。地方のことは地方でやれ、である。
 これを明確にするために、さらに次の条項を新設しようとしている。

(改正草案)
第96条(地方自治体の財政及び国の財政措置)
1 地方自治体の経費は、条例の定めるところにより課する地方税その他の自主的な財源をもって充てることを基本とする。
2 国は、地方自治体において、前項の自主的な財源だけでは地方自治体の行うべき役務の提供ができないときは、法律の定めるところにより、必要な財政上の措置を講じなければならない。
3 第八十三条第二項の規定は、地方自治について準用する。

 2項は国の責任になるが、あくまで補足。「自主的な財源をもって充てる」が原則。それをさらに説明しているのが第3項。「第八十三条第二項」とは「国の財政」について定めて部分である。地方自治について定めたものではない。それを地方自治の財政にも適用する。その文言は、こうである。「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない」。地方財政の健全化は、地方自治の責任、と切って捨てているのだ。
 もちろん、ただ切って捨てるだけではなく、国が補助するときもある。ただし、それはいわゆる「アメとムチ」である。沖縄にその顕著な例を見ることができる。基地建設に反対するなら沖縄への予算を減らす。

(現行憲法)
第95条
 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
(改正草案)
第97条(地方自治特別法)
 特定の地方自治体の組織、運営若しくは権能について他の地方自治体と異なる定めをし、又は特定の地方自治体の住民にのみ義務を課し、権利を制限する特別法は、法律の定めるところにより、その地方自治体の住民の投票において有効投票の過半数の同意を得なければ、制定することができない。

 「地方自治特別法」に、どういうものがあるのか。どういう法律が制定されたことがあるのか。私は、何も知らない。聞いた記憶がない。
 私が気になるのは、現行憲法にあった「国会」という文言が改正草案では消えていることである。
 第8章は「地方自治」がテーマ。法律の制定は国会がする。「国会」という主語がぜっ絶対に必要な部分である。そこから「国会」という文言を削除したということは、国会を無視して地方自治の行政(財政を含む)を国が支配するということにつながらないか。

 

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自民党憲法改正草案再読(35)

2021-11-11 10:57:36 |  自民党改憲草案再読

(現行憲法)
第87条
1 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。第88条
 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。
第89条
 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
(改正草案)
第87条(予備費)
1 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基づいて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 全て予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
第88条(皇室財産及び皇室の費用)
 全て皇室財産は、国に属する。全て皇室の費用は、予算案に計上して国会の議決を経なければならない。
第89条(公の財産の支出及び利用の制限)
1 公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。
2 公金その他の公の財産は、国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。

 第87、88条は表記の改正。第89条の改正が複雑だ。宗教活動に公金を支出してはならないという部分に「第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き」と挿入している。「第二十条第三項ただし書」って、何?

(現行憲法)
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
(改正草案)
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

 「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」が「ただし書」にあたる。現行憲法にはなかったものを追加している部分である。しかし「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」というのは非常にむずかしい。たとえば、ずーっと問題になり続けている「靖国神社(参拝/慰霊)」。死者を悼むことは「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」と言える。しかし、死者を靖国神社で慰霊することが「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」と言えるかどうかは問題である。神道には反対という人もいれば、キリスト教徒なのに神社に奉納されるのは人権侵害だと考える人もいるだろう。宗教の問題はあくまで個人の問題(個人の尊厳の問題)であって「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」を超える。何を信じるか、それを強制することは許されない。
 第20条での「信教の自由侵害を国に認める」という条項(国が宗教を押しつけることを推進する条項)を「財政」の面から補強するのが、改正案の目的である。何をするにしても金がかかる。宗教の押しつけを金で支援するためのものである。
 靖国神社での慰霊を強化することで、「安心して国のために死んでこい」と国民を戦場にかり出すために新設された条項だといえる。
 改正草案では「事前、博愛団体」への公金支出を別項仕立てにしている。その際、現行憲法の「公」を「国若しくは地方自治体その他の公共団体」と改正し、「支配に属しない」を「監督が及ばない」と改正している。国や自治体が「監督」できるようになるのだ。「支配に属する」と「監督が及ぶ」は微妙に違う。ある団体(組織)がどこに属するかというのは、単なる「構造」である。指揮命令系統があったとしても強固ではない。監督は、組織を超えて、国・地方自治体が「監督する」ということだろう。この条項は、逆に読めば国・地方自治体の「監督(指導)」に従わないならば、公金を支出しない(支出してはならない)という具合に読み替えることができる。
 これに関連することが最近起きた。「表現の不自由展」。すでに開催が許可されたものが、名古屋市長が批判し、それに国が同調することで、認可されていた予算が撤回された。「表現の不自由展」は、直接的には「宗教」の問題ではないが、公金の支出には関係する。すでに起きていること(改正草案の先取り実施)は、憲法が改正されればさらに頻繁に起きるだろう。
 「表現の不自由展」のとき、税金が国の方針(?)批判する(反日行為)もののためにつかわれるのは許されないという声があったが、税金を支払っているのは自民党支持者だけではない。共産党を支持する人もいれば、どの党をも支持しない人もいる。
 これ戦死者の慰霊に結びつけて言えば、靖国神社に奉納されたくない人もいればキリスト教徒もいるということである。そういうことを配慮せずに「国の監督」という名のもとで、信教の自由が侵害され、しかもそこに公金がつかわれるのだ。そういうことが確実に起きるのだ。

(現行憲法)
第90条
1 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
(改正草案)
第90条(決算の承認等)
1 内閣は、国の収入支出の決算について、全て毎年会計検査院の検査を受け、法律の定めるところにより、次の年度にその検査報告とともに両議院に提出し、その承認を受けなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律で定める。
3 内閣は、第一項の検査報告の内容を予算案に反映させ、国会に対し、その結果について報告しなければならない。

 第90条の改正は私が何度も書いている「文体」の問題を端的にあらわしている。現行憲法は、まずテーマが「決算」であることを明確にしている。その「決算」のテーマのもとでふたつの「主語」が動く。会計検査院と内閣である。会計検査院が検査し、内閣が国会に提出する。
 ところが改正草案は「内閣は」と書き始める。内閣の仕事として、会計検査院の決算検査を受け、それを国会に提出し、承認を受けなければならない。これでは「テーマ」は「決算」ではなく、「内閣の仕事」になってしまう。この「文体」のままなら、「財政」ではなく「内閣」の章に含まれるべきものである。
 テーマを隠し、内閣(権力)を前面に打ち出す。すべてのことを内閣が「監督」する、「監督」という名の独裁をする。それが、ここにもあらわれている。
 そのことは、現行憲法の第2項が、いままで憲法に登場してこなかった会計検査院を定義するために書かれていることからもわかる。第1項だけでは会計検査院が何なのかわからない。だから、第1項を補足する形で第2項が書かれている。
 改正草案は、このあたりの「文体」がでたらめである。第1項で内閣を主語にし、第2項で会計検査院を主語にし、第3項でまた内閣を主語にしている。「文体」が統一されていない。これは逆に言えば「理念」がないということである。内閣の独裁を押し進めるために、できることだけ詰め込んでおこう、というのが改正案のやっていることなのだ。

(現行憲法)
第91条
 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。
(改正草案)
第91条(財政状況の報告)
 内閣は、国会に対し、定期に、少なくとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。

 現行憲法にあった「国民」が削除されている。「国会」にだけ報告すればいいことになる。国民の軽視がここにもあらわれている。
 ここでは書き出しが現行憲法も改正草案も「内閣」である。これはこの条項が先に書いている「決算」の補足であるからだ。「決算」をテーマにして定義しているが、そのなかで別個、「内閣」の主語にすることで補足する必要がなるので、そういう「文体構成」になっているのである。
 これは「財政」のはじまりが、まず財政の定義ではじまり、税収、支出、つまり予算とはどういうものかを定義した後で、その予算を補足するために「内閣」を主語にした第80条が書かれているのと同じである。
 予算があって、具体的な支出があって、その検査があって、そのあとの仕事は「内閣」が報告するということ。
 「テーマ」と「主語」の明確な区別。それが現行憲法の「文体」であり、「テーマ」の強調が「これを」ということばでの重複提示スタイルなのである。改正草案は、このスタイルを「これを」削除することで見えにくくする。「テーマ」は存在しない。存在するのは「内閣」だけである、という「独裁」指向が、こういうところに隠れている。
 「文体」問題は、見逃してはいけない問題なのである。

 

 

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