林達夫「切支丹運動の物質的基礎」(林達夫著作集2)(平凡社、1982年03月23日、初版第9刷発行)
林達夫「切支丹運動の物質的基礎」は、キリスト教の布教は、どうやって日本でおこなわれたのか。彼らが日本で布教できたその背景の、経済的基盤はどうなっていたのか、ということについて書いている。私は学校教育の「歴史」は好きではないが、こういう文章を読むと「歴史」というのはとてもおもしろいと思う。「過去」のできごとではなく、「いま」の問題としても見えてくる。
いや、実際、彼らが日本に来て、どうやって布教したのか。「情熱」や「使命感」だけではできない。そこには何らかの「戦術」というか「政略」がないと、できない。
林達夫は、彼らが、日本とポルトガルとの貿易のなかに割り込んで、商人となることで金を稼いだということを明らかにしている。彼らは、世界に支店をかまえる「ヨーロッパ最大の商業会社」だったのだ。
びっくりして、目が覚めてしまった。
スペインを中心とした国がアメリカ大陸に進出し、「布教」したのも、その背景には「商業主義」があった。金儲けがあった。金儲けをしたい集団と手を組んで、布教はおこなわれた。これは日本でも同じだ。
宗教(キリスト教)が「金儲け」をしていいのか。私は信徒ではないから、そういうことは気にしないのだが、どんな世界にだって、人間が生きていくとき、「理念」から逸脱していく何かがある。そこに、人間の生き抜く力がある。
それを肯定するか、否定するかは、これは別問題なのだが。
ここから、私は、ぜんぜん関係ないことを思い出すのだ。
私はかつて仲間と一緒に詩の同人誌「象形文字」を発行していた。そのときの同人のひとりに阿部泰久がいる。彼の詩は、なんというか「理念」を書いていなかった。言い直すと、「荒地派」のような詩ではなかった。むしろ、キリスト教の「商業活動」のように、どこか「生活」に密着しているものがあった。別なことばで言うと、そんなこと詩にしなくたっていいじゃないか。隠しておいた方が、詩(理念)っぽくない?というようなこと。詩集がどこかにあるはずだが、ちょっと見つけ出せないので、具体的な引用はしない。そこには「理念」ではなく、生きている人間の「視点」の確かさがあった。
阿部は、この「視点」を掘り下げる形で、詩から俳句へとことばの運動を変えて行った。
この「視点」は、別の「視点」から見ると、なんというか「間違い」であった。つまり、その当時の流行の詩からは少し「ずれていた」。そのためにとんでもない批判、こころない批判をするひともいた。しかし、どんな「間違い」にも、それぞれの「存在理由」がある。
それはキリスト教布教が貿易に関与し、商業会社として動いてもいたということに少し(かなり)似ている。
ここからまた脱線するのだが。
私は詩の講座で詩を教えている。日本語教師として、外国人に日本語を教えている。日本語教師として大きな声では言えないが、私が目指しているのは「間違える」ことを教えたい。
私は「学校の先生」にはいい印象を持っていないが、それは「先生」が「正解を教える」ことに忙しくて、「間違える」ということを教えないからだ。
いつ、どこでも「間違い」は存在する。「正しい回答」と同じように、存在する。存在してしまう。
それはなぜなのか。
なぜ人間は間違え、その間違いを後で修正するにしても、間違えるという瞬間はなぜ存在してしまうのか。言い換えると、ひとはなぜ間違えることができるか。
これは、私が「永遠の課題」のようにして考え続けていること。
人間は、間違えることができる。そこに人間のヒミツガあると思う。
どんな間違いの中にも、何かしらの真実、一理がある。それなりの理由がある。そこに「生きる力」のヒミツがある、と私は考えている。
これは、また逆のことも言える。
どんな「正解」のなかにも、「間違い」のきっかけはある。物理の発見が、ただ人間の幸福のためにだけ役立つかといえばそうではなく、原爆が開発され、多くの人が犠牲になったように。もし物理学者が「間違い」つづけていたら、1900年にわかっていることだけが「真実」だったら、原爆は完成しなかっただろう。また別の武器が開発されたかもしれないが。
林達夫の書いている文章の趣旨とは関係がないが、つまり、こういう感想は、学校作文(論文)では「間違い」なのだが、いまの私には、こういうことを書くだけの「理由」がある。書かずにはいられない「理由」があるということだろう。それは、他人に説明しても、たぶん、わからない。「間違い」だから。
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