詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三木清「人生論ノート」の読み方。(習慣について、から)

2022-08-25 20:58:33 | 考える日記
修養(する)ということば、定義できます?
三木清の「人生論ノート」の「習慣について」のなかに修養ということばが出てくる。(全集、228ページ)
もちろん18歳のイタリア人は、その意味を知らない。
どうするか。
修養、ということばが出てきた文章を丁寧に読んでいく。
そのことばは一緒につかわれたことばは何か。
一緒につかわれていることばは、また別のことばといっしょにつかわれている。
これを、因数分解をするみたいに、組み合わせたり、ときほぐしたり。
そうこうするうちに、ちゃんと「道徳」と結びつけることができる。
大感激してしまった。
授業のあと、別の先生に、18歳の青年が、どうやって「修養」を理解したか、話さずにはいられなかった。
正直な話、辞書をつかわず、書かれていることばだけを手がかりに、意味を把握するというのは、日本人にもむずかしい。
でも、それをやってしまう。
*
きょうやったのは、まず前回の復習。
「習慣について」の最初の段落を読み返す。
形、が何回も出てくる。
あらゆる生命あるものは形をもっている
生命とは形である
習慣はそれによって行為に形ができてくる
習慣は単に空間的な形ではない
空間的な形は死んだもの
習慣はこれに反して生きた形
弁証法的な形である
生命的な形ができてくる
形をつくるという生命に内的な本質的な作用に属している
ここから、
生命=形(生きた形)
行為=形(弁証法的形)
ならば、
生命=行為(習慣)=弁証法=「形をつくる」
言い直せば、
習慣(人間の行為)は、人間(命)の形をつくること
それは空間的であるだけではなく、時間的なこと。生きること。
これを、まずしっかり理解する。記憶する。
 
つぎに、三木清が「形をつくる」というような表現を、どういうときにつかっているかを探す。
第一段落には書いていないが、「生きる=形をつくる」は、結局「道徳」をつくる(徳を身につけること)というのがわかる。
 
「修養」が登場する部分には「つくる」に関係することばとして、「技術」が出てくる。
修養というものはかような技術である
「技術」をつかった文章に
意識的に技術的にするところに道徳がある
すべての道徳には技術的なものがある
ここで道徳と技術(つくる)が結びつく。
意識的に技術を身につけるように、道徳を意識の技術として身につける。
この技術をみにつける過程が「修養」。
このための「訓練(練習)」のようなものが「修養」。
 
これが「修養」の定義(三木清の定義)。

こういう論理を18歳のイタリア人が展開する。
びっくりするでしょ?
私は、そのときどき、少しずつヒントを出すが、考えるのはあくまて18歳の青年。
 
 
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何のための世論調査?(読売新聞の記事の書き方/読み方)

2022-08-25 17:12:38 | 考える日記

 2022年08月25日の読売新聞(西部版・14版)一面に、「読売・早大協同世論調査」の記事。「「岸田首相は改憲派」50%/原発再稼働 賛成58%」という見出し。統一教会問題で世の中が騒いでいるときに、この世論調査は何? なぜ、内閣支持率がない? 「詳報」を読むと、支持するは61%ある。それを見出しに取らないのは、なぜ?
 からくりがある。
↓↓↓
 読売新聞社と早稲田大学先端社会科学研究所は全国の有権者3000人を対象に世論調査(郵送方式。回答率69%)を共同実施し、岸田首相のイメージを多面的に探った。有権者の50%が首相を「改憲派」とみており、「護憲派」との回答は39%だった。(略)規制基準を満たした原子力発電所の運転再開については、「賛成」58%が「反対」39%を上回り、同じ質問を始めた2017年以降、計5回の調査で初めて賛否が逆転した。
↑↑↑
 いつ調査したのか、書いていない。「詳報」が14・15面に掲載されているが、その前文は
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 読売新聞社と早大先端社会科学研究所が共同実施した全国世論調査(郵送方式)では、岸田内閣への支持は、実績よりも、「ハト派」と「タカ派」の顔をうまく使い分ける岸田首相のイメージが先行したものであることが読み取れた。ロシアのウクライナ侵略などによる安全保障環境の変化も内閣支持率にプラスに働いていた。
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 ここにも、書いてない。「新聞」は、「いつ」が重要だ。隅から隅まで読んで、「調査方法」というのを見つけた。
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 全国の有権者から無作為に3000人(250地点、層化2段無作為地抽出法)を選び、郵送法で実施した。7月11日に調査票を対象者に郵送し、8月17日までに返送されたのは2138。
↑↑↑
 つまり、これは岸田内閣の改造(8月10日)前に郵送された質問への「回答/分析」なのである。何のために? たぶん、岸田が9月に行うといわれていた内閣改造をにらんで、岸田をアピールするための世論調査だったのだ。しかし、調査票を送ったあと、そしてその回答締め切り前に内閣改造があり、統一教会問題が拡大し、何がテーマなのか、わけのわからない世論調査になってしまったのだ。
 内閣改造後の世論調査はどうだったか。8月11日の記事には、こうある。(ウェブサイトhttps://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20220811-OYT1T50203/ )
↓↓↓
内閣支持下落51%、旧統一教会対応「不十分」55%…読売緊急世論調査(見出し)
 読売新聞社は第2次岸田改造内閣が発足した10日から11日にかけて緊急全国世論調査を実施した。岸田内閣の支持率は、改造直前の前回調査(今月5~7日実施)から6ポイント下落の51%となり過去最低となった。不支持率は34%(前回32%)と過去最高だった。
 岸田首相が新閣僚らに対し、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)との関係を自ら点検し、見直すよう求めたことについて、十分な対応だと「思わない」は55%と半数を超えた。
↑↑↑
 今回、支持率を「61%」と書いてしまうと、調査結果としては「正しい」が、いまの実態とあわないかもしれないから、書かなかったのだ。
 ということは。
 私は、今回の世論調査について、先に「何がテーマなのか、わけのわからない世論調査」と書いたが、時系列を整理し直すと、「わけがわかる」調査の結果報告である。
 つまり
①8月10日に岸田内閣改造が行われた。その直後の世論調査では内閣支持率が6%下がった。
②統一教会問題も、どんどん拡大している。いま再び世論調査をすれば、内閣支持率はもっと下がるかもしれない。(これは、私の予測である。)先日の毎日新聞の世論調査では支持率が36%と急落した(8月20、21日調査)。
③改造前に調査票を送った世論調査を利用できないか。なんとか岸田をアピールすることはできないか。
 その「狙い」のもとに「岸田のイメージづくり」(イメージ再確認)が行われているのだ。
 前文に、「岸田内閣への支持は、実績よりも、「ハト派」と「タカ派」の顔をうまく使い分ける岸田首相のイメージが先行したものであることが読み取れた。」と書いてあった。この文章を、まっとうに読めば、イメージが先行しているだけで、実績はひどいものである、ということになるが、読売新聞は、けっして、そうは書かない。14面の見出しは、こう書いてある。

内閣支持 イメージ先行/岸田像「クリーン」「敵少ない」

 これを読めば、ふつうは、岸田はクリーンだ、敵が少ない、そのことが内閣支持を支えている、と読める。
 ここで「クリーン」とういうことばが選ばれたのは、まあ、実際にイメージとして「クリーン」を選んだのが38%だったからなのだが、それがほんとうに岸田の「イメージ」なのか、記事を読むと、ぜんぜんわからない。安倍や菅を「クリーン」と感じる人より、岸田が「クリーン」と感じる人が多いというだけである。
 いま、統一教会との関係が週刊誌をにぎわしている。なんとしても、岸田は「クリーン」をアピールしたいのだ。
 一面に、「クリーン」ということばをとるのは、さすがにまずいと思ったのだろうが、なんとしても「クリーン」を打ち出したくて、わざわざ特別面で見出しにとっているのだ。
 いま調査すれば、まったく違う数字になることはわかっている(つまり、調査内容は向こうということ、はわかっている)。
↓↓↓
 岸田内閣の支持率は、8月の内閣改造後に実施した電話方式の調査で51%となり、7月の参院選の直後の65%から大幅に下落した。今回の調査は、急落する前の回答が大半を占めるため、支持率は61%だった。岸田首相を「クリーン」と考える人に限ると内閣支持率は77%に上り、首相の「清潔なイメージ」は支持を下支えする要素の一つといえる。
↑↑↑↑↑↑
 記事には、今回の61%なの、「急落する前の回答が大半を占める」ためと書いてある。そうであるなら、「クリーン」というイメージも、支持率が急落する前のイメージにすぎない。けれど、その急落する前のイメージであることを無視して、「クリーン」を最前面に打ち出している。
 なんとも、ずるいというか、ここまでして岸田にすりよらなければならない理由が、私にはわからない。
 「支持率は61%」という調査内容が「無効」なら、その後の回答も無効である。状況の変化を知らない段階で、答えた世論調査にすぎない。こんな調査結果の公表の仕方では、調査に回答した人の意識も反映したことにならないし、こんな公表の仕方で読者から金を取るのはサギだろう。「間違い」(事実と違うこと)は、どこにも書いていない。しかし、そこに書かれていることが、「いま」を反映しているかというと、そうではない。そこにいちばん大きな問題がある。それを知っているからこそ、読売新聞は「いつ」を誰にもかわらないところに隠すように書いている。

 

 

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