詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇177)Obra, Joaquín Llorens

2022-08-20 16:55:38 | estoy loco por espana

Obra Joaquín Llorens 
T.Hierro 87x57x17 C.G

 

ひとつの作品だが、見る角度によって印象がまったく違う。
左の写真では、動きがリズミカルで、どこまでもその動きが展開していきそう。
果てしなくつづくモーツァルトの音楽のよう。
右の写真では、動きが止まっている。しかし、それは、それまでの動きのあとの休止、終了という感じ。余韻が残っている。
さらにおもしろいのは、影と作品の関係。
どちらの写真を見ても、下に伸びた細い円柱が、四角いメインの水平の影につながっている。まるで、影をぶら下げているように見える。
影もまた、作品の一部なのだとわかる。

Se trata de una única obra de arte. Sin embargo, da una impresión completamente diferente según el ángulo desde el que se mire.
En la foto de la izquierda, el movimiento es rítmico y parece esarrollarse eternamente, como la música interminable de Mozart.
En la foto de la derecha, el movimiento es estacionario. Sin embargo, parece ser una pausa o final después de los movimientos anteriores.   Hay una sensación persistente.
Lo que es aún más interesante es la relación entre las sombras y la obra.
En ambas fotos, las finas columnas que se extienden hacia abajo están conectadas con las sombras horizontales del cuadrado.
Parece como si las sombras estuvieran colgando.
Puedes ver que las sombras también forman parte de la obra de arte.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大橋政人『反マトリョーシカ宣言』

2022-08-20 16:34:40 | 詩集

大橋政人『反マトリョーシカ宣言』(思潮社、2022年09月01日発行)

 大橋政人『反マトリョーシカ宣言』の巻頭の詩、「肉の付いた字」。

肉水
肉草

肉雨
肉花

肉雪
肉火

肉土
肉歩

肉体
肉歩

 「肉体」は、わかる。ほかのことばは知らない。「肉歩」が繰り返されている。自分の肉体で歩いて書いた詩、ということか。
 次は「花力」。


と言ったら
やっぱ
草力でしょ
花は
花力


と言ったら
やっぱ
雨力でしょ
雪は
雪力


と言ったら
やっぱ
雲力でしょ
空は
空力

 そうすると、「肉」は「肉力」か。
 まあ、ただ、そう思っただけ。
 そして、「反マトリョーシカ宣言」と大橋は言うのだけれど、この二つの詩を読むと、どうしたって私は「マトリョーシカ」を思い出してしまう。人形の中に、同じ人形が入っている。同じように、同じことばの構造の中に、同じことばの構造が入っている。
 こういう感想は、意地悪だろうか。
 しかし、人間は、たぶん、正直な人間は、何を書いても「マトリョーシカ」になってしまうのだと思う。
 だから「反」なんてふりかざさずに、ただ、そのままでいればいいと思う。
 詩集の中で、私がいちばん気に入ったのは「空も悪い」。

空が大きいから
私は小さい

空が広がっているので
私はすぼまっている

夜には
星が光るが
あんなにもいっぱい
星が必要だったのか

朝には
太陽が出てくるが
太陽の考えていることが
太陽の真意が
太陽の本音が
いくつになってもわからない

空が大きいから
私は小さい

私も悪いが
空も悪い

 いいなあ。「空が大きいから/私は小さい」と「空が広がっているので/私はすぼまっている」は「マトリョーシカ」の関係。その一連目の「空が大きいから/私は小さい」がもう一度登場して「マトリョーシカ」性が強調される。これは、「マトリョーシカ」を開いていったところ? それとも閉じ込めていったところ? それは、区別したってはじまらない。同じこと。
 で。
 転調する。

私も悪いが
空も悪い

 これが

空も悪いが
私も悪い

 だったら、全然、おもしろくない。「空/私」という、もうひとつの「マトリョーシカ」がつづくだけ。開いていくのなら開くだけ、閉じ込めていくのなら閉じ込めるだけ。でも、逆転する。「マトリョーシカ」は、それだけでは「マトリョーシカ」ではない。それを、開くか、閉じるかする人間(私)がいるから「マトリョーシカ」なのだ。
 つまり、「主役/主語」はあくまで「私」。
 最初の詩にもどれば「肉体」は「歩く」。でも「歩く」「肉体」にとって、「主語/主役」は「肉体」というよりも、やはり「私」なのだ。
 「花力」も、やはり「私」が生きている。「私」ということばは書かれていないが、繰り返される「と言ったら」という一行に私は注目する。「私」が言うのである。「私」が「言ったら」その「言った」ことばに中から「マトリョーシカ」があらわれる。「花」と言えば、「花力」という「マトリョーシカ」が。それは「花」より小さい? つまり「花の内部」にある? それとも「花」を突き破り、「花」を包み込む「大きさ」をもっている? つまり「花」より「花力」は大きい?
 さて。
 「空」と「私」は?

空が大きいから
私は小さい

 ほんとうかな? 
 「私」ではなく「私力」だった、どう?
 そう考えると、

私も悪いが
空も悪い

 がおもしろくならない? 「悪い」って、とても楽しいことに思える。「悪い」ことを、してみたくならない?
 「マトリョーシカ」ならば、中を、全部出してしまう。あるいは、中に、全部閉じ込めてしまう。
 で、「悪い」のは、どっち?と考えてみる。
 この「考えてみる」がいちばん「悪い」ことだね。だから、楽しい。ほら、子どもって、「してはいけません」と言われると、絶対に、それをしたくなるでしょ?
 「反マトリョーシカ宣言」と言われると、私なんかは、賛成、というかわりに、反対と叫んで、大橋のことばを「逆撫で」してみたくなるのである。
 そういう詩集。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日銀の目標?(読売新聞の記事の書き方/読み方)

2022-08-20 08:58:04 | 考える日記

 2022年08月20日の読売新聞(西部版・14版)一面に、「物価上昇」の記事。↓↓↓
 総務省が19日発表した7月の全国消費者物価指数(2020年=100)は、値動きの大きい生鮮食品を除く総合が102・2だった。前年同月と比べ2・4%上昇した。上昇は11か月連続で、日本銀行が物価目標とする2%を4か月連続で超えた。資源価格の上昇や円安で、エネルギーや食品を始め幅広い品目に影響が広がっている。
↑↑↑
 この記事に、「虚偽」はあるか。一見、ないように見える。
 だが、「日本銀行が物価目標とする2%を4か月連続で超えた」という書き方は、これでいいのか。たしかに日銀は物価上昇率を2%と設定していた。いつ設定したか、誰も思いだせないくらい前にである。そして、それは延々と実現されなかった。いまになって、突然、実現されている。その理由が、日銀の政策が成功したのなら、こういう書き方でいいだろうが、実際は、違う。
 読売新聞は、あいまいにごまかしている。「資源価格の上昇や円安で、エネルギーや食品を始め幅広い品目に影響が広がっている。」しかし、これが物価上昇の原因だ。ロシアのウクライナ侵攻で石油や天然ガスが高騰した。小麦などの原料も高騰した。そのあおりで、電気代、ガス代、食品が値上がりした。日銀がリードして、石油、天然ガス、食品を値上げに導いているのなら、読売新聞の書き方で問題がないだろうが、それは「事実」とは反する。
 「経過」あるいは「原因」を追及せず、「結果」だけを書いている。おそらく総務省のレクチャーに「日本銀行が物価目標とする2%を4か月連続で超えた」という表現があったのだろう。それをそのままつかっている。その表現が意味するものを吟味していない。これは単なる垂れ流し以上に、タチが悪い。いまの書き方では、総務省(政府)が「日本銀行が物価目標とする2%を4か月連続で超えた」と宣伝しているということがつたわりにくい。
 逆に見ていくといい。
 物価が2%上昇すると、家計はどうなるのか。赤字が2%増えるということである。日銀が目標としていたのは「物価の上昇」だけではないだろう。物価が上昇しても、それに対応できる「賃金の上昇」がなければ、意味がない。家計は苦しくなるだけだ。景気がよくなって、その反映として物価が上がっているのではなく、不景気なのに物価だけが上がっている、という「現実」にを無視している。

 読売新聞は、一方で、こんな記事を書いている。(08月17日)
↓↓↓
【ロンドン=池田晋一】英統計局が17日発表した7月の消費者物価指数の上昇率は前年同月比10・1%だった。1982年以来40年ぶりの高い水準で6月の9・4%から0・7ポイント拡大した。
 ロシアのウクライナ侵略に伴う光熱費の高騰や、食料品など幅広い値上がりが物価全体を押し上げた。イングランド銀行(中央銀行)は10~12月に消費者物価のインフレ(物価上昇)率は13%を超えるとみており、物価高は当面続く可能性が高い。
↑↑↑
 ここには、イングランド銀行の「物価上昇目標」は書かれていない。かわりに原因をはっきりと「ロシアのウクライナ侵略に伴う」と明記し、「物価高は当面続く可能性が高い」と予測している。
 イギリスで起きていることは、日本でも起きる。(すでに、世界で起きている。)
 最初の記事のつづきには
↓↓↓
 秋以降、食品を始め多くの値上げが見込まれている。民間調査機関の予測では、上昇率は年内に3%に達するとの見方が強まっている。
↑↑↑
と書いてある。
 「日銀の予測(目標)」は?
 前段で「日銀の目標」を書いたのなら、後段でも「日銀の目標」を書かないと意味がない。日銀の目標が「2%」だったのに、年内には「3%」になる。海外の物価の動きを見ると10%を超えるかもしれない。
 そうなったら、社会は、どうなる?

 そうなったらなったで、また、総務省がレクチャーしてくれる通りに書く? 国民をごまかす「表現」を教えてくれるから、気にしなくていい、いわれるままに書けばいい、ということか。

 物価の2%上昇の問題は、「日銀の目標」が達成されたかどうか、ではない。しかも、その「達成」が日銀主導の政策によるものでもないのだから、物価の抑制も日銀にはできなということを意味する。今後、どんどん物価があがることが予測される。どう対処するのか、それを先取りする形で追及しないといけないのに、知らん顔をしている。
 私は年金生活者。年金は、6月から減少した。物価は2%上昇し、さらに上昇すると予測されている。これは、私の生活はさらに苦しくなる、ということを意味している。「最低賃金」はアップするらしいが、それが年金にそのまま反映されるわけではない。逆に減っている。老人はかってに死んで行け、ということだろうか。それは「日銀の目標」だろうか。「読売新聞の目標」だろうか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする