詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」

2022-08-30 19:58:14 | その他(音楽、小説etc)

高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」(文藝春秋、2022年09月号)

 高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」は第167回芥川賞受賞作。
 読み始めてわりとすぐ近くに、次の文章が出てくる。(287ページ)

 藤さんがにやにやしながら声をかけてくる。二谷は曖昧に、と自分では思っている速度で頷き返すが、藤さんからするとそれは首を縦に振っている同意の仕草であって、曖昧に濁した感じはつたわっていないらしく、「だよなー」とさらに強めの声を出され、二谷は今度こそまっすぐに強く頷かされた。

 あ、うまないなあ。いいなあ、と思わず声を上げる。二人の人間がいて、自分の意図がつたわらない。そして、押し切られる。その変化がおもしろい。特に「藤さんからするとそれは首を縦に振っている同意の仕草であって」という言い直し(?)というか、客観化が鋭い。
 これは楽しみだなあ。
 ところが、289ページの、藤が芦川の飲みかけのペットボトルからお茶を飲み、それを芦川につげる。芦川は、そのペットボトルに口をつけ、感想を言い合うという部分の「しつこさ」で私は、なんともいえない恐怖に襲われた。
 この作者は「しつこい」だけなんだ。
 そして、その「しつこさ」は、あることがらを一点から書くというのではなく、最初に引用した部分に特徴があらわれているが、第二の視点をからめて書くことにある。一人称で書かず、常に別の視点での表現をからめてくる。
 これは、おもしろいと言えばおもしろいといえばおもしろいのかもしれないが、私はぎょっとする。二つの視点が、なんというか「共犯」というよりも、「いじめ」のように相手の反応をみながら変わっていく。まあ、新しさがそこにあると言えるのかもしれないけれど、「いじめ」を主導するのでもなく、けれども加担する感覚といえばいいのか。ついていけない。
 自分がどう見られているかだけを気にして動いている。
 だから「おいしいごはん」が一回も出てこない。「料理」は、食べている人に対して「おいしいでしょう」と確認を求めてこない。確認を求めるのは人間である。「私のことをどう思っている?」ということを確かめるために「食べる」というのは、私の感覚から言えば気が狂っている。
 どの「食べる」シーンも、ただただ「わっ、まずそう」という感じしかない。なぜか。あらゆる食べ物が「人事(いじめ)」の調味料で、こってりしている。食べずに、いじめるなら、いじめることに徹底しろよ。これでは「食べる」のはだれかを「いじめる」ため、ということになってしまう。
 なにが「おいしいごはんが食べられますように」だ。

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小さな記事の大きな罠(読売新聞の情報操作の仕方)

2022-08-30 10:37:25 | 考える日記

 中国周辺海域で起きていることに関する小さな記事(2面、1段見出し)が2022年08月29日、30日の読売新聞(西部版)につづけて載っている。
 前半が08月30日の記事、後半(*以降)が31日の記事。
↓↓↓
【ワシントン=蒔田一彦】米海軍第7艦隊は、ミサイル巡洋艦2隻が台湾海峡を現地時間28日に通過したと発表した。ナンシー・ペロシ米下院議長が今月2、3日に台湾を訪問して以降、米艦艇の台湾海峡通過は初めてだ。報道担当者は声明で、「米軍は国際法が許す限りどこでも飛行し、航行し、活動する」と強調した。
 ミサイル巡洋艦のアンティータム、チャンセラーズビルの2隻が通過した。報道担当者は「国際法にのっとって航行の自由が適用される海域での定例の通過を行った」とし、「自由で開かれたインド太平洋への米国の関与を示すものだ」と説明した。

 防衛省は29日、中国海軍の情報収集艦1隻が28日に沖縄県の沖縄本島と宮古島の間を南下し、太平洋に入ったと発表した。領海侵犯はなかった。
↑↑↑
 何が問題か。
①米海軍第7艦隊は、ミサイル巡洋艦2隻が台湾海峡を現地時間28日に通過した
②中国海軍の情報収集艦1隻が28日に沖縄県の沖縄本島と宮古島の間を南下し、太平洋に入った
 ①と②は、同じ日に起きている。しかし、①のニュースはアメリカ発にもかかわらず29日の新聞、②は防衛省が発表しているのに一日遅れ。防衛省の発表が遅かった、というかもしれないが。
 でも、日本の領海近くを通ることが問題なら(危険なら)、その情報はいち早く発表、報道すべきだろう。なぜ、一日遅れ? ②に、国際法上の問題点がない(なんら違法性がない)から、そんなことをいちいち報道しなくてもいい、と判断しているからだろう。
 で、ここから次の問題が起きてくる。
 「米軍は国際法が許す限りどこでも飛行し、航行し、活動する」「国際法にのっとって航行の自由が適用される海域での定例の通過を行った」というのが、アメリカの主張なら、中国だって「中国軍は国際法が許す限りどこでも飛行し、航行し、活動する」「国際法にのっとって航行の自由が適用される海域での定例の通過を行った」と言うだろう。「主語」を変えれば、アメリカの主張と中国の主張はまったく同じ。
 なぜ、アメリカの主張にだけ「自由で開かれたインド太平洋への米国の関与を示すものだ」という「理由」がつけくわえられるのか。中国だって「自由で開かれたインド太平洋への中国の関与を示すものだ」と言えるだろう。同じ論理が展開できるはずである。

 なぜ、読売新聞はアメリカの主張だけを記事にするのか。中国の主張を記事にすれば、主張の違いがアメリカと中国の間にはないということがわかるからである。「法的根拠、主張」が同じであるということを読者に知られたくないのである。つまり、アメリカは正しいが、中国は悪い、ということを「印象づけたい」のである。
 こういうことは、30日の紙面にあるもうひとつの記事と比較すればわかる。
↓↓↓
 海上保安庁は29日、長崎県沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で海洋調査をしていた同庁の測量船が、韓国海洋警察庁から調査中止を要求されたと発表した。日本政府は、不当な要求だとして外交ルートを通じて韓国政府に抗議した。(略)(日本の測量船・平洋は)韓国海洋警察庁から「韓国の海域での調査は違法。直ちに退去せよ」と求められた。平洋は「日本のEEZにおける正当な調査」と回答。
↑↑↑
 韓国と日本の「主張」が併記されている。「日本の排他的経済水域」なのか「韓国の海域」なのか、私にはわからないが、まあ、接近しているのだろう。どちらが正しいか、私には判断できない。たぶん、読売新聞にも判断できない。だから両者の主張を「併記」している。
 ところが、「あいまいな海域」ではなく「国際海峡(で、よかったかな?)」を通行することに対して、一方は「主張」を正当化するように報道し、他方は危険な行動をしているように報道する。これは、どうしたって「不公平」というものだろう。
 アメリカ軍が「狭い」台湾海峡を通るのなら、中国が「広い」太平洋を航行したって問題はないだろう。なにもアメリカの西海岸にまで中国の艦艇が行ったというのではないのだ。
 中国は、アメリカ西岸近くまで艦艇を航行させたって「国際法」には違反しない。燃料のむだと、アメリカからの反発があるだけだろう。アメリカ西岸へ艦艇を集結させるかもしれない。
 そうであるなら、中国は、やはりアメリカ軍が中国大陸の近くまで航行してきていることを不快に思うだろう。それに反発するのは当然だろう。
 中国が嫌いは嫌いとして、それは読売新聞の「感情」。国際法上問題がないのなら、はっきりそう報道しないといけない。「領海侵犯はなかった」なら、それはニュースではないのだ。「宣伝」のための情報なのだ。一方にだけ「正当化」の理由を語らせ、他方には何も言わせないというのは、一方だけが「正当」であると宣伝するのと同じだ。
 小さな記事の積み重ねが、大きな「情報操作」になる。

 

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