松岡政則『ぢべたくちべた』(思潮社、2023年07月31日発行)
松岡政則『ぢべたくちべた』の「通りすがり」。その書き出し。
ひるめしは道端食堂で
塩ゆでの田螺をピリ辛ダレで喰うた
じんわりと情の深まる滋味で
「じんわり」はだれでもがつかうことばである。「じわり」というときもあるが、「じわり」よりも重い感じが私にはする。重いといえば「ずしり(ずっしり)」という表現もあるが、「じんわり」の方がゆっくりだ。私の印象、私が自分の思っていることをつたえるとしたら。
なぜ、こんなことを書くかというと。
私はときどき詩の講師をしている。そして、受講生に対して、「この『じんわり』を自分自身のことばで言い直すとなると、どうなる?」と質問する。
これに対する答えは、なかなかむずかしい。「じんわり」で「わかってしまう」からである。「わかっている」ことをことばにするのは、ほんとうはむずかしい。かりすぎているために、ほかのことばが思いつかないのである。
この「わかりすぎている」感じ。それを松岡は、次の行で、こう言い直している。
なぜとなくここで生まれたような気がしてくる
これが、すばらしい。
「じんわり」とは「ここで生まれたような」、つまり、最初からそれを知っていたような/それ以外のことを知らないような、何か絶対的なもの、に触れて、それが「正しい」というか、拒否できないもののように感じられることなのだ。
突然ではなく、とても静かに、それが体を包む。
何かを「喰うた」とき、それは肉体の仲に入るのだけれど、その肉体の中で静かにひろがり、肉体という枠をすりぬけて、外の世界とつながり、その外の世界が静かに肉体を包む。肉体の内と肉体の外の区別がつかなくなる。
こういうことは、やはり静かに、ゆっくり起きてほしい。急に、突然だったら、きっとうろたえる。
じんわりと情の深まる滋味で
なぜとなくここで生まれたような気がしてくる
松岡は、各地(主に東南アジアだが)を歩き、そこに住む人の声を聞き、そこに住むひとと同じものを食べる。そうすることで、そこに住むひとと「一体」になっていく。「じんわり」と。その融合の仕方が、とても気持ちがいい。
じんわりと情の深まる滋味で
なぜとなくここで生まれたような気がしてくる
と松岡は書くのだが、この「ここで生まれたような気がしてくる」は、過去の記憶ではなく、「いま、ここで、生まれ変わる」と言い換えた方がぴったりすると思う。松岡は、旅をして、声を聞いて、その土地のものを食って、新しく生まれ変わって、生きるのだ。
それが新しい体験なのに、懐かしい体験でもあるかのように。
ここには「矛盾」があるのだが、だからこそ、それは信頼できる「真実」なのだ。
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