監督 イェジー・スコリモフスキー 出演 ヴィンセント・ギャロ、エマニュエル・セニエ
主人公はひたすら米軍から逃げる。逃げ切れるあてもなく、ただ雪の原野をさまよう。生きるために偶然出会った人を平気で殺しもする。これをヴィンセント・ギャロがひとこともしゃべらず、ただ肉体だけの動きで演じ切る。
わ、おもしろそう。絶対におもしろいに違いない。第67回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・主演男優賞受賞とふたつも賞を取っているし・・・。
でも、予想外におもしろくない。ヴィンセント・ギャロが魅力的に感じられない。なぜかというと、その肉体の動きが「共感」を誘わない。雪原をさまよう時の歩き方に疲労感がない。私の肉体と重なる部分がないのだ。
タイトルが思い出せないのだが、昔、囚人(だったと思う)がひたすら木を削っているシーンから始まる映画があった。その木の削り方――それは私の木の削り方とは違うかもしれないが、肉体のなかで蓄積していく時間が納得できる。共感ができる。
「ショウシャンクの空に」や「抵抗 死刑囚は逃げた」の場合でも、映画の中で動いている肉体をそのまま自分で反復できる。反復(ものまね)を誘うということが映画の基本だと私は思っている。実際にまねできなくても、やってみたいと感じさせる「ランボー」なども、ね。
でも、この映画は変にリアルで、変に超人間的で、私の肉体には合わない。
アリ塚のアリを食べるところなど、もっと先に食べるのものがあるのでは、と疑問が先に立つ。木の皮を食べるところも。
寒さと空腹と絶望が、どうにも実感できない。毛糸の帽子をかぶり、しっかり防寒しているからかなあ。
雪が私の知っている日本の雪と違うからかなあ。
まあ、最後の方はいいんだけれど。
特に乳児の母親のおっぱいにしゃぶりついて母乳を吸うところがいいなあ。食べ物(?)として母乳は納得できるし、食べるだけではなく、そこに人間の触れ合いがある。生きる希望がわいてくるね。
青い布が流れてくる幻想(?)もいいし、紅い木の実をつまんで食べている向こうに女の幻影が浮かぶのもいい。
口のきけない女との、最後の安らぎもいいなあ。
ようするに、女が出てくると画面がきゅっとしまる。ヴィンセント・ギャロの肉体が身近になる。共感できる。女に傷の手当てを受けながら悲鳴を上げるシーンなど、そのまあ、「痛い、やめてくれ」と代わりに叫びそうになる。私の痛みではないのに、痛みがわかる。腹に傷を負ったこともないのに、痛みが分かる。
ラストシーンの、馬に乗りながらヴィンセント・ギャロが血を吐くときの、その色。そしてヴィンセント・ギャロがもう乗っていない馬という唐突な終わり方もいいんだけれど。死んでしまったことでなんとなくほっとする。救われた気持ちになる。
あのまま生き続けていたらつらいね。せっかくの「共感」が消えてします。
主人公はひたすら米軍から逃げる。逃げ切れるあてもなく、ただ雪の原野をさまよう。生きるために偶然出会った人を平気で殺しもする。これをヴィンセント・ギャロがひとこともしゃべらず、ただ肉体だけの動きで演じ切る。
わ、おもしろそう。絶対におもしろいに違いない。第67回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・主演男優賞受賞とふたつも賞を取っているし・・・。
でも、予想外におもしろくない。ヴィンセント・ギャロが魅力的に感じられない。なぜかというと、その肉体の動きが「共感」を誘わない。雪原をさまよう時の歩き方に疲労感がない。私の肉体と重なる部分がないのだ。
タイトルが思い出せないのだが、昔、囚人(だったと思う)がひたすら木を削っているシーンから始まる映画があった。その木の削り方――それは私の木の削り方とは違うかもしれないが、肉体のなかで蓄積していく時間が納得できる。共感ができる。
「ショウシャンクの空に」や「抵抗 死刑囚は逃げた」の場合でも、映画の中で動いている肉体をそのまま自分で反復できる。反復(ものまね)を誘うということが映画の基本だと私は思っている。実際にまねできなくても、やってみたいと感じさせる「ランボー」なども、ね。
でも、この映画は変にリアルで、変に超人間的で、私の肉体には合わない。
アリ塚のアリを食べるところなど、もっと先に食べるのものがあるのでは、と疑問が先に立つ。木の皮を食べるところも。
寒さと空腹と絶望が、どうにも実感できない。毛糸の帽子をかぶり、しっかり防寒しているからかなあ。
雪が私の知っている日本の雪と違うからかなあ。
まあ、最後の方はいいんだけれど。
特に乳児の母親のおっぱいにしゃぶりついて母乳を吸うところがいいなあ。食べ物(?)として母乳は納得できるし、食べるだけではなく、そこに人間の触れ合いがある。生きる希望がわいてくるね。
青い布が流れてくる幻想(?)もいいし、紅い木の実をつまんで食べている向こうに女の幻影が浮かぶのもいい。
口のきけない女との、最後の安らぎもいいなあ。
ようするに、女が出てくると画面がきゅっとしまる。ヴィンセント・ギャロの肉体が身近になる。共感できる。女に傷の手当てを受けながら悲鳴を上げるシーンなど、そのまあ、「痛い、やめてくれ」と代わりに叫びそうになる。私の痛みではないのに、痛みがわかる。腹に傷を負ったこともないのに、痛みが分かる。
ラストシーンの、馬に乗りながらヴィンセント・ギャロが血を吐くときの、その色。そしてヴィンセント・ギャロがもう乗っていない馬という唐突な終わり方もいいんだけれど。死んでしまったことでなんとなくほっとする。救われた気持ちになる。
あのまま生き続けていたらつらいね。せっかくの「共感」が消えてします。
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