詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

朝日カルチャーセンター福岡「谷川俊太郎の世界」・10月07日

2019-10-08 11:34:59 | 現代詩講座
朝日カルチャーセンター福岡「谷川俊太郎の世界」・10月07日の講座

 受講生の作品を読んだ。

再生  池田清子

いつからはじまったのか
思い当たるふしがある
なぜそうなったのか
思い当たるふしがある

何度崩れても
どれだけ壊れても
また 再生

何ていじらしい
我が細胞
我が組織

フレー、フレー、フレー!

青柳「一連目が音楽性があっていい。三連目の、我が細胞、我が組織というのは意味はわかるが、もっと具体的な方がいいのでは。何ていじらしいとかいている、そのいじらしいを活かしていくといいのでは。最後の、フレー、フレーもいい」
谷内「いま、具体的に、という指摘があったけれど、我が細胞、我が組織を具体的に言いなおすと?」
池田「免疫細胞、皮膚細胞」
谷内「うーん、具体的とは言えないかもしれない。私も一連目はとてもいいと思った。思い当たるふし、というのは、どういうことですか? 具体的に言いなおすと」
池田「細胞が崩れていくはじまり」
谷内「あ、私は、まったく逆に読んだ」
池田「えっ」
谷内「何かが崩れてしまう。思い返すとあのときが崩壊のはじまりだったというのは、多くの人が言う。私は逆に、あのときから再生がはじまったのだ、と読んでいいなあと思いました」
池田「それは考えたことがなかった」
 というようなことをきっかけに、私が話したのは、「再生」をどんなふうに具体的に言いなおすか、「再生」ということばをつかわずに表現するか。再生ということばから何を連想するか。新芽、卵、生き物ということばが聞かれた。新芽は希望の象徴、とも。
 再生に似たことばに(再生ほど強くはないが)回復ということばがある。免疫細胞という説明が池田さんからあったが、免疫細胞は病気を連想させる。病気が治る。回復する。それも再生というものだと思う。だから、たとえば麻痺していた指が動くようになったとか、頬に赤みがさしてきたというのも再生といえるかもしれない。そういった「自分の肉体」そのものを「いじらしい」ということばをつかわずに具体的に書けば詩の世界はひろがるかも。
 再生は感情でも起きる。不孝があって泣き暮らしている。そこから立ち直るというのも再生だし、また逆に、泣き暮らしのあと平常な生活にもどり、そのあとふっと悲しみを取り戻す、泣いてしまうというのも「再生」かもしれない。悲しむことができる、悲しみに堪えるだけの力がついた、という証拠になる。
 そういうことを具体的に書けば、とてもいい詩になる。そういう「再生」が「いつからはじまったのか」、いろいろ考え「あ、あのとき、花の美しさに驚き、笑ったな」とか、「家に帰り明かりをつけた瞬間に泣いてしまった」とか。
 そういう詩を読んでみたい。


そよぎ  青柳俊哉

夕雲の森には
雪をかぶったブナやケヤキにまじって
シダ類のようなものも低く波うっていて
それらがそよぐたびに
雪の光のつぶがただよっている
ただよう松の実のきらめきも
葦の葉のうえでゆれている月の光のつぶも
月の光の中にきえていく水鳥の翼の
くらい藻のようなそよぎも
雪の森をさまようアゲハ蝶の羽の
黄色い波つぶもようの
ほたるの光のようなものもただよっている
それらがただよいながら
永遠に休らうようにしずかにねむっている 
あまりにもしずかすぎる
夕雲のそよぎである

池田「感性に感心した」
谷内「感性に感心したという抽象的なことばよりも、もっと簡単なことばで感想を言った方が、いろいろいえると思う。私には書けない、とか。どこがいちばん気に入りました?」
池田「(笑い)それらがそよぐたびに、それらがただよいながらと繰り返されていて、そのあいだを風がそよいでいるように、イメージが漂っている感じが、いろいろなことばで書かれている。夕雲というのは夕方の雲のことですか?」
青柳「冬の夕暮れの雲です。他の季節とは違った美しさがある。この詩は実は一枚の絵を見て思いついた。雪をかぶった木が海の底でそよいでいる。気持ちがいい。やすらぐ。巨大な樹木のうねりを感じた。何篇かの詩を組み合わせてみた。以前の詩では抽象的なことばだったものを具体的なことばに書き換えた」
谷内「私は葦の葉のうえでからの三行が好きです。とくに月の光の中に消えていくの、消えていく動詞が印象的。存在するものが書かれているのに、消えていくということばがあると、そこにあるものが強くなる」
青柳「西脇の詩に、末尾を「の」で繋いでいく作品がある。それを意識して「も」を繰り返してみた」
谷内「それはおもしろいですね。いま、「の」をつかっている部分も「も」にしてみるのもいいかもしれない」

ただよう松の実のきらめきも
葦の葉のうえでゆれている月の光のつぶも
月の光の中にきえていく水鳥の翼も
くらい藻のようなそよぎも
雪の森をさまようアゲハ蝶の羽も
黄色い波つぶもようも
ほたるの光のようなものもただよっている

谷内「「の」を「も」に変えてしまうと意味が違ってしまう部分が出てくるけれど、池田さんがイメージが漂っているといったけれど、この詩は意味よりもイメージが強い。そうだったら、意味にならないように最初から最後までイメージにしてしまうのも楽しいかもしれない。ちょっとそういう練習みたいなものをしてみましょうか。ただよう松の実のきらめきもという行を利用して、末尾をかならず「きらめきも」で終わる行を書いてみる」
 そうやってできたのが、次の九行。

ガラスの器のきらめきも
テーブルに落ちた影のきらめきも
ふやけた皮膚のきらめきも
小さなこどもたちの顔のきらめきも
あわてて逃げる蝶の怒りのきらめきも
詩を書いているペン先のインクのきらめきも
遠くに見える星のきらめきも
ことばにならない悲しいきらめきも
永遠の悲しい詩のきらめきも
 詩になっているとはいえないけれど、そうやって書いたものを削ったり、動かしたりしていると、イメージ同士が呼び合ってひとつの世界になっていくことがあると思う。
谷内「青柳さんの詩のイメージを中心にして言うと、私は雪の森にアゲハ蝶が出てくるのはいいと思う」
池田「冬に蝶っているんですか?」
谷内「凍蝶、ということばもありますね」
青柳「イメージとして書いたものだから、何が登場してもいいと思う」
谷内「私も何が登場してもいいと思う。ただ、蝶という夏の生き物を出した後、ほたるが出てくる。これはイメージの飛躍、攪乱、拡散という感じを邪魔してしまう。夏を感じさせないものの方がイメージが自由になると思う」





*

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