2019年冬のプサン市草梁洞で、日本式家屋らしき
住居に出会った。
直線的な屋根の形状から、この住居が、日本統治
時代に建てられた、日本式の家屋であることが
推測できる。
平屋作りということもあってか、まだまだ丈夫そうに
見える家である。
(終わり)
2019年夏のプサン訪問では、街歩きの途中、昭和の商店街に迷い
込んだような錯覚を覚えた通りがあった。
そこは、プサン市中区のヨンジュ(瀛州)洞。
瀛州洞は、「ヲタク」が拠点とする草梁洞の隣町だが、商店街を
歩くのは、今回が初めてだった。
(終わり)
韓国独立後、現職も含め12人の大統領が韓国を治めた。そのうち
2人の大統領を輩出した高校が、プサン市の西区にある。
名は慶南高校。日本統治時代の旧制中学以来の歴史を持つ高校だ。
2017年冬、「ヲタク」はプサン駅前からバスに乗り、その慶南高校を
訪れた。
中国同様、韓国の高校の正門は立派だ。ちゃんと守衛室もある。
さて、同校が輩出した1人目の大統領が金泳三氏。
校庭の一角には同窓会が建てた氏の胸像がある。
おそらく、同校が輩出した2人目の大統領である現職、文在寅
(ムン・ジェイン)大統領の銅像も建つことだろう。
△看板に描かれた野球選手はイ・デホ
なお、同校の「교기/校技」(学校が公式に認定)は野球。
一時期、日本のソフトバンクで活躍したイ・デホは同校野球部の
出身である。
散策の途中、校庭に落ちていた硬球を発見した。
硬球の他に、石燈籠の残骸も見つけた。
意地悪な見方をすれば、この残骸も野球も、さらに言えばこの高校
自体も、みな同じ旧制中学時代の「遺物」なのかもしれない。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
2016年夏のプサン訪問では、水晶洞の日本式家屋を見学した。
幸い、今年の6月から一般公開が始まっていたので、家屋の
内部まで見学できた。
この豪邸は、言うまでもなく、日本統治下のプサンでは、日本人
成功者の居宅だった。
韓国解放後、おそらくは一旦、「敵産家屋」として当局に没収され、
その後、韓国の民間人に払い下げられたはずだ。
日韓国交正常化後の7、80年代には、日本人観光客の「キーセン
パーティ」の宴会場として利用され、現代日韓関係の裏面史の
舞台ともなった。
この件については、少し気になっていたので、管理人の女性にも
確認したのだが、その女性も、この豪邸が、一時期、キーセンハウス
として使われていたことは事実だと語ってくれた。
ただ、近年では、複数の韓国映画のロケで活用されるなど、歴史的な
建造物としての評価を高めた。
そして、最近、国の「近代文化遺産」として正式に登録され、国や
自治体の手で、しっかり管理、保存されることになった。
一般公開後、当面は地元の公益団体により、喫茶店やゲストハウス
として運営される計画だとのこと。
現在のところ、華奢な細工部分も含め、一部を除き、驚くほど
保存状態がいい。
韓国解放後も、その時代時代の持ち主によって、この家屋が大事に
あつかわれてきた証(あかし)だろう。
解放後の激動の歴史を思えば、奇跡と言ってよいのかもしれない。
数奇な運命をたどったこの家屋が、今後とも、地域住民や観光客らに
愛され大事にされ続けることを、祈らずにはおれなかった。
なお、この家屋の見学を終え、草梁洞に向け歩いて帰っていた
「ヲタク」は、偶然、別の日本式家屋を目にした。
一見、廃屋のように見えたその家が、今後、解体されるのか、改装
されるのか、「ヲタク」には予想できなかった。
(終わり)参加カテゴリ:地域情報(アジア)
目にした。
まずは、1軒目。

屋根瓦に施してある緑色のコーティングが珍しい。
その家の近所にも、2軒の日本式家屋が残っていた。

奥の家の屋根瓦には同じく緑色の樹脂がコーティングしてあるが、
手前の家屋の屋根にはコーティングがない。
・・ ・・ ・・
次に並んで2軒。
手前の家屋の屋根には、白の漆喰(しっくい)まで残っている。

・・ ・・ ・・
最後の1軒は、かなり大がかりな補修がされているので、
一見しただけでは、日本式家屋であることがわからない。

しかし、厚くコーティングされた屋根の形状を見るに、おそらくは、
かなり昔に建てられた日本式家屋であろう。

(終わり)


あらためて言う必要もないが、日韓併合は日本による朝鮮の
植民地化であり、日本国家の犯した大きな過ちであった。
しかし、日本の朝鮮植民地統治時代、自分の人生をかけ朝鮮に
渡り、まじめに汗を流し、朝鮮で小さな財産を築いた無辜(むこ)の
日本人が多く存在したことも事実だ。
誰が彼らを責めることができよう。

△草梁洞に残る老朽化した日本式家屋
正当なる歴史の審判が下り、大日本帝国が戦争に敗れた後、
そうした日本人の多くは全ての財産を失い、無一文で朝鮮から
日本に引き揚げた。
残された家屋などは、朝鮮人(韓国人)の手に渡り、現在に
至っている。

△現在は小さな材木商の店
日本による朝鮮植民地支配は、多くの朝鮮人を苦しめた
ばかりか、結果的に、朝鮮とかかわった少なからざる日本人の
人生やささやかな夢をも破滅させたことを忘れてはならない。
そういう意味からも、日韓併合とは、二度と繰り返してはならない
歴史である。
(終わり)


ことができた。

△「謎の日本式家屋」の正体は現役の住宅
2006年の夏、中華街横の健康センターを訪ねたおり、偶然、
目にした「謎の日本式家屋」を探訪するという「宿題」だ。

△プサン駅前の和風商店
今回、宿題をこなすついでに、プサン市東区草梁の街なかで目に
とまった和風家屋を、まとめて写真に収めて来た。

△現役の薬局
おそらく、今回写真に収めた全ての家屋は韓国解放以前に
建築されたものだ。

△ジャガイモ鍋の店
こうした和風家屋は、時間の経過とともに草梁の街からも
急速に姿を消しつつある。

△現役の住宅
こうした家屋をすぐに見分け、抑えがたい親近感を抱いてしまう
のは、日本人「ヲタク」の自然な性(さが)なのだろうか。

△揚げ物屋
日本人の「善意と悪意」がしみ込んだこうした歴史的建築物が、
ぜひ、静かにその役割を全うしてくれることを祈りたい。
(終わり)


6階のベランダから街の様子を眺めていると、面白いものが
目に入って来た。実に不可解な光景だったと言ってもよい。

△写真中央付近に屋根瓦が見える
どう見ても日本式の家屋だった。
もちろん、プサンでは、戦前の日本式家屋が現在でも現役で
使用されている例をたまに目にする。しかし、そうした家屋も
全体的に大幅な改装が施され、屋根瓦は樹脂のようなもので
覆われていたり、カバーがかけられたりしているのがほとんだ。
ところが、その家は違っていた。
どう見ても屋根瓦が純日本式だ。いや、屋根だけ見ると、日本の
家そのものだと言ってもいい。

△どう見ても和風建築の屋根瓦だ
この家屋の場合、日本から瓦を取り寄せ葺き替えをしたに違い
ない。さもないと、何十年間もこんなにきれいな状態で屋根瓦を
維持することは不可能だろう。
見ると、現在も民家として使われているのは間違いない。
いったいどんな人が住んでいるのだろうか?もしかするとプサン
駐在の日本人か?あるいは韓国人なのだろうか?
次回の訪韓時にでも、時間があればこの家の表札でも覗きに
行ってみたいと思っている。
(終わり)
