アフガニスタンでの韓国人拉致・殺害事件が、男性2名の尊い
犠牲を出しながらも、残る19人(他に2人が前段階で釈放)が無事
釈放されるという形で一定の解決を見た。
8月28日、韓国政府とタリバーンとの直接交渉が「全員解放」で
妥結した結果に基づくものだ。
今回の悲劇的な事件の背景には、急速な経済成長を遂げる一方、
キリスト教の「宣教大国」へと「飛躍」した現代韓国の知られざる
姿があった。
事件が一定の解決を見た現在、韓国メディアではこうした悲劇を
繰り返さないため、様々に自省を促す報道がなされている。
犠牲者の冥福を祈るとともに、韓国の「宣教文化」の質的変化を
期待しながら二つの記事を翻訳練習してみた。
なお、紙面の都合から韓国語原文の引用は省いた。
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■ 無分別な海外宣教・奉仕は自制しよう
(連合ニュース 8月30日)
-略-
韓国世界宣教協議会によれば、昨年末現在、海外で宣教活動を
行っている韓国人宣教師の数は1万6616人(173カ国)に上り、
アメリカに次ぎ世界2位の水準だ。
協議会に非加盟の教会や団体の宣教師、また短期宣教活動まで
含めると、実態ははるかに多いものと見られる。問題はイスラム圏を
含んだ危険地域にまで無理やり出かけて行われる「攻撃的」な
宣教のあり方だ。
今回の奉仕団は、政府がアフガニスタンの危険な状況を説明し
入国を控えるよう空港に張り出した警告文を茶化しでもするかの
ように、警告文の前で記念撮影まで行いアフガニスタンに向かった。
宣教にしろ奉仕活動にしろ無防備な状態で危険地域に出かける
事は、敬虔な信仰を証明するものではない。
海外宣教の裏に信者獲得競争を煽る無理な実績主義がなかっ
たか。異なる文化や宗教に対する優越感や独善はなかったか。
韓国のキリスト教関係者は深く反省しなければならない。現地の
文化や宗教を認め現地人の自尊心を逆撫でしない方法で宣教や
奉仕活動を行うにはどうすればよいのか、今後、真摯な論議が
求められている。
-略-
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■ <特集:変わらなければならない海外宣教> ③専門家の意見
(連合ニュース 8月30日)
盆唐センムル教会の信者らが拉致・殺害されたアフガニスタン人質
事件は、韓国教会が持つ海外宣教の問題点を極端な形で
表面化させた。
宣教活動の専門家らは、現地の文化や慣習を無視した一方的な
宣教、危険地域の実態を考慮しない安全意識の欠落、信者拡大の
ための無分別な競争、多元化した時代にそぐわない帝国主義的な
宣教観、一過性の短期宣教の問題など、多岐にわたる問題点を
指摘しながら、今回の人質事件を契機に韓国教会の宣教方法を
改める必要があると力説する。
▲ チェ・ヒョンモク牧師(天安サルリム教会)
韓国は宣教師の派遣規模ではアメリカに次いで世界で2番目の
宣教大国になったが、内実が伴っているかは、はなはだ疑問だ。
現地の文化や慣習を無視したまま一方的にキリスト教の信仰を
伝播しようとするやり方は、過去の帝国主義時代に西欧の教会が
犯した過ちを踏襲するものだ。さらに、宣教団体の間の無分別な
競争は、1980年代以降、国内での信者拡大が限界に達した
教会が、海外に目を転じたことから生じた現象で、今回のアフガン
人質事件がなくても、もともと危険性を帯びたものだった。
いくら善意の動機を持っていたとしても、キリスト教の宣教自体を
禁止しているイスラム圏に出向き、情熱だけでキリスト教信仰を
伝播しようとすることは危険極まりない行為だ。イスラム教は
キリスト教と同じく旧約聖書に信仰の根を持つ宗教だが、歴史的に
西欧のキリスト教世界と極限的な対決を繰り広げてきた事実を
忘れてはならない。
韓国教会がイスラムについてどれほど正確な知識を持っているのか、
自問する必要がある。相手に対する理解が不足した状況で、
各教会が自らの判断だけで危険地域や紛争地域で宣教・奉仕
活動を行うことは、今回の事件を契機に中断しなければならない。
▲ファン・ピルギュ牧師(韓国キリスト教教会協議会、正義と平和
問題局局長)
韓国教会の海外宣教は一方主義と物量主義を克服しなければ
ならない。国ごとに事情も異なっており宣教地に対する十分な
研究をしなければならない。何よりも現地にパートナーを作り、
彼らが望むものを持って入っていかなければならない。集団的に
押しかけてその国の宗教と衝突を起こすような行為は宣教では
なく、ただの暴力だ。
今回の事件を契機に韓国教会の海外宣教は大きく変化するだろう。
西欧のキリスト教会の宣教方法はすでに変わっている。「彼らが
望むものは何か」という視点に徹するところから宣教・奉仕活動が
行われている。
ただ、宣教方法を変えるには全体的なシステムが変わる必要が
あり、それには時間がかかるだろう。今後、宗教界でさらに深い
論議を行う必要がある。
-他2名分省略-
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