ことができた。
△「謎の日本式家屋」の正体は現役の住宅
2006年の夏、中華街横の健康センターを訪ねたおり、偶然、
目にした「謎の日本式家屋」を探訪するという「宿題」だ。
△プサン駅前の和風商店
今回、宿題をこなすついでに、プサン市東区草梁の街なかで目に
とまった和風家屋を、まとめて写真に収めて来た。
△現役の薬局
おそらく、今回写真に収めた全ての家屋は韓国解放以前に
建築されたものだ。
△ジャガイモ鍋の店
こうした和風家屋は、時間の経過とともに草梁の街からも
急速に姿を消しつつある。
△現役の住宅
こうした家屋をすぐに見分け、抑えがたい親近感を抱いてしまう
のは、日本人「ヲタク」の自然な性(さが)なのだろうか。
△揚げ物屋
日本人の「善意と悪意」がしみ込んだこうした歴史的建築物が、
ぜひ、静かにその役割を全うしてくれることを祈りたい。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
△プサン駅前の中華街
2008年冬のプサン訪問でも、プサン駅前の中華街を
何度か歩いた。
歩きながら、「ヲタク」は実に遠大な構想を思いついた。
その構想とは、プサン中華街の全ての中華料理店で
「ヲタク」の大好物のチャプチェパ(炒肉飯)を食べ記録に
取る、というものだ。
構想達成まで何年かかるかわからないが、2008年の冬、
さっそく初めの第一歩を踏み出した。
起点は釜山華僑中学前に置くことにした。
記念すべき第1軒目は「元香斉」。
△元香斉
繰り返し書いていることだが、中華料理のチャプチェは
韓国料理のチャプチェとは全く異なっているので
誤解は禁物だ。
△北京元香斉のチャプチェパ
中華のチャプチェパを日本語で言い表すとすれば、
「肉野菜炒め丼」くらいが適当なのかもしれない。
元香斉のチャプチェパは、「ヲタク」の期待を裏切らない
美味だった。
△金元寶
日が変って2軒目は「金元寶」。
△金元寶のチャプチェパ
金元寶のチャプチェパの場合、辛すぎる青唐辛子が
入っていたのは玉に瑕だった。
ちなみに、「ヲタク」のこの構想は、せめて10軒目を
クリアする頃までは、家族には秘密にしておこうと
考えている。
(終わり)
プサン駅前の山手に広がる住宅街が、プサン市東区草梁洞だ。
「ヲタク」の妻が生まれ育った街だ。
△坂の上にそびえるプサンコンピューター科学高校
「ヲタク」夫婦の結婚後は、「ヲタク」のプサン体験の拠点に
なっている街でもある。
△プサンコンピューター科学高等学校
その草梁の高台に位置し、ひと際、目につく学校が釜山コンピュー
ター科学高校。
以前はソンファ(善花)女子商業高校だったものが、7、8年前に
男女共学の実業系高校として再出発した。ただ、中学校はソンファ
女子中学校のまま、同じ敷地内で今でも健在だ。
△プサン駅方面。プサン港や影島(右手)も見える。
2008年冬のプサン滞在中、「ヲタク」はこの高校の校庭まで上り、
草梁の様子を写真に収めてみた。
△大庁公園方面。右手山頂に公園のモニュメント。
草梁は坂の街だ。なだらかな山の斜面に住宅がびっしり立ち並んで
いる様は、実に壮観だ。
(終わり)
△チャガルチのホルモン焼き通り
日本人観光客にも活気ある魚市場や新鮮な活魚店で有名な
プサンのチャガルチ。
しかし、そのチャガルチから一歩路地裏に踏み込めば、
ホルモン焼き屋さん(양곱창)が密集した一角があることは、
ほとんど知られていない。
△農協裏のホルモン焼き店
かくいう「ヲタク」も、2008年冬のプサン訪問で初めて、
チャガルチの農協裏手にあるホルモン焼きの店を訪れた。
そして、入口のドアを開け店内に入って驚いた。
だだっ広い店内に、まるで屋台のような小さな店(コーナー)が、
10以上もあった。店主はみな中高年の女性たち。
義理の妹のリクエストで妹夫婦と「ヲタク」夫婦の4人でホルモン
焼きを食べに出かけたのだが、4人ともこうした形式の店は
初めてだった。
目の前でホルモンを調理し切り分ける様子も物珍しくて目を
楽しませてくれたが、肝心のホルモンの質と量も、なかなかの
ものだった。
△こちらは下味付き
ホルモン焼きにはけっこううるさい「ヲタク」も、十分に満足できる
味だった。
「ヲタク」夫婦と付き合うようになるまでは、ホルモン焼きを敬遠して
いたという義理の弟も、今ではすっかりホルモン焼きのファンに。
彼も大いに満足した様子。
見かけはちょっと怖い義理の弟だが、性格は実に温和。
「ヲタク」のカメラ撮影にも嫌な顔一つしない。
△「思いっきりしかめっ面してるじゃないかッ!」
「ヒョンニムって持ち上げられていい気になるなよッ!」
(終わり)
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2008年冬、青天の対馬海峡を走るカメリア号の左手船窓からは
対馬の姿もはっきり見えた。
午後5時過ぎには携帯電話が韓国の電波圏内に入った。
夕陽が沈む頃には地平線にはっきりと朝鮮半島の山影が
姿を現していた。
夕陽が姿を隠す頃、船はプサン港に入港。晴天だったおかげで、
プサン港の夕空は実に美しかった。
△写真右手には釜山タワー
闇に飲まれ行く夕空と街明りに挟まれた釜山タワーは、いやが
上にも「ヲタク」の旅情を掻き立てる。
△写真中央にライトグリーンに照明された釜山タワー
船がターミナルに接岸するころには、釜山タワーはきれいに
ライトアップされていた。
△下船後、ターミナルに向かう長女と長男
12月26日の夕方、かくして「ヲタク」一行はプサンに上陸した。
△「オイッ、そこの中年!今度は
写真家でも気どるつもりか?」
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
△ニューカメリア号に乗り込む長女と長男
2008年冬、「ヲタク」と上の子2人は、先にプサンに里帰りした
妻と末っ子を追い、博多港を後にした。
△2等船室
2等船室は清潔だが狭い。号室も同じこの船室で、帰国時、
思ってもいなかった珍事が発生しようとは、この時点で3人が
知る由もないことだった。
△ニューカメリア号の甲板から国際ターミナルを見る
出発の日、風は若干強めだったが、空は見事な晴天だった。
△博多湾ベイサイドプレイス
ニューカメリア号のデッキからは、博多湾越しに福岡の街も
きれいに見渡せた。
湾内の桟橋では、犬を連れて颯爽と散歩する女性の姿も見られた。
△ホークスタウン&福岡タワー
午後12時30分の出港後ほどなくして、カメリア号の船窓からは、
福岡市のランドマークともなっている福岡タワーやドーム球場の
姿がきれいに見えた。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
2008年冬のプサン訪問では、ナンポ(南浦)洞の露店で
海賊版CDを1枚購入した。
「ヲタク」の記憶が正しければ、これが「ヲタク」が韓国で購入した
記念すべき第1枚目の音楽CDとなった。
△ナンポ洞の露天商のスピーカーからはペク・チヨンのバラード
ただ、正確に言えば、この露店では「ヲタク」はCDを選んだだけで、
お金はウルサンからプサンの実家に遊びに来ていた義理の妹
(妻の妹)夫婦が払ってくれた。
「ヲタク」にプレゼントしてくれたのだ。
△海賊版CD(2枚組)。表紙モデルはソン・タンビ(?)。
「ヲタク」が選んだCDは、露店のスピーカーから流れていた
ペク・チヨンの「총 맞은 것처럼(銃で撃たれたように)」という
ヒット曲が入った「最新歌謡ダンス&バラード」。
値段は1万ウォンだった。
△ナンポ洞、PIFF広場近くのCDショップ
さらに後日、ペク・チヨンの歌うバラードへの思い入れを急速に
深めた「ヲタク」は、ナンポ洞のCDショップを訪れ、ペク・チヨンの
正規アルバム(第7集)も購入した。
△ペク・チヨン第7集(08年11月発売)
こちらは1枚1万2800ウォン。このCDは、「ヲタク」が韓国で
自分のお金を使い自分のために購入した初めての音楽CDとなる。
△7-80年代の韓国メロディー&ポップ
また、ついでに「7080うれしいな友よVolume.2(7-80年代の
韓国歌謡・ヒット曲集3枚組)と「7080FM・STAR」(7-80年代の
ポップ・ヒット曲集2枚組)も購入した。
日本で自家用車のカーステレオで聴くためだ。値段は、それぞれ
1万4000ウォンと8000ウォン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
△海賊版CDを手にしているのは「ヲタク」の長女
12月30日朝、プサンから博多港(福岡市)に帰った「ヲタク」は、
さっそく、ペク・チヨンの曲を車のカーステレオで聴いた。
△「ヲタク」の自家用車
2008年5月末に車を買い替えて以来、子どもは別として、
「ヲタク」が車でCDを聴いたのはこれが初めてだった。
この日は、博多から自宅までの約2時間、ほぼペク・チヨンを
聴きっぱなしだった。
なお、ペク・チヨンと彼女のヒット曲「銃で撃たれたように」に
対する「ヲタク」の思い入れについては、別途、投稿している
ので、そちらを参考にしていただきたい。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
2008年冬のプサン訪問で、「ヲタク」は久しぶりに「ヲタク」
好みの韓国の流行歌に出会った。
ナンポ(南浦)洞の雑踏の中でその曲を耳にした「ヲタク」は、
思わず、その曲を流していた露店に立ち寄り、その曲の入った
海賊版CDを1枚買った。
曲名は「총맞은 것처럼(銃で撃たれたように)」。
歌っているのは、ペク・チヨン(白智栄、32歳)という
女性シンガー。
△12月30日KBSホールに立つペク・チヨン
(ニューシス)
ウィキペディアなどによると、彼女は、1999年のデビュー後、
瞬く間にダンス系ポップ歌手としてスター歌手の座を手に入れた。
ところが、2000年、隠し撮りされた元マネージャーとの
セックス映像がネット上に流出するという衝撃的な事件に
見舞われ、一旦は表舞台から完全に姿を消してしまった。
その後、彼女は数年の絶望と失意の時を経て、2006年、
「사랑 안해(愛したりしない)」というバラードをヒットさせ、
奇跡的なカムバックを果たす。
□ 사랑 안해(愛したりしない)
しかし、カムバック後、今度は歌手の職業病とも言える声帯結節に
かかり手術を受けることに・・・。
そして今、2008年の暮れ、その彼女の歌う新しいバラードが巷で
大ヒットしている。
11月13日のアルバム発売以来、すでに1ヶ月以上にわたって
各種ヒットチャートで1位を総なめにしている状態だ。
△ネイバーミュージックTOP100(2008年12月30日現在)
「ヲタク」の思い入れで言わせてもらえば、彼女の歌声からは、
奈落の底から這い上がった人間の「凄み」さえ伝わってくる
ような気がする。
うそと虚飾を剥ぎ取られた人間の「裸の叫び声」とでも言おうか。
「ヲタク」には、失恋の悲しみを歌っているはずのこの曲が、
聴く者の感傷を誘うどころか、逆に、聴く者に悲しみや困難を
乗り越え強く生きて行けと訴えかけているように聴こえるから
不思議だ。
「ヲタク」は、結局、海賊版CD以外に、CDショップで彼女の
正規アルバム(第7集)も購入した。
「ヲタク」が韓国で音楽CDを買ったのは、おそらく今回が初めてだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
□ 총맞은 것처럼(銃で撃たれたように)
총맞은것처럼 정신이 너무 없어
웃음만 나와서 그냥 웃었어
그냥 웃었어 그냥
銃で撃たれたように頭が真っ白になったわ
最初はおかしくて ただ笑ったの
ただ笑ったの ただ
허탈하게 웃으면 하나만 묻자해서
우리 왜 헤어져 어떻게 헤어져
어떻게 헤어져 어떻게
抜け殻のように笑いながら 一つだけ聞かせてと
なぜ 私たちが別れるの どうして別れるの
どうして別れるの どうして
구멍난 가슴에 우리 추억이 흘러 넘쳐
잡아보려해도 가슴을 막아도
손가락 사이로 빠져나가
穴が空いた胸に二人の思い出があふれ出す
つかまえようとしても 胸をふさいでも
指の隙間からこぼれ落ちて行く
심장이 멈춰도 이렇게 아플꺼 같진 않아
어떻게 좀 해줘 날 좀 치료해줘
이러다 내 가슴 다 망가져
구멍난 가슴이
心臓が止まっても きっとこんなに苦しくはないはずよ
お願いどうにかしてよ 私を元にもどしてよ
このままじゃ 私の心が全て壊れてしまいそう
穴の空いたこの心が
어느새 눈물이 나도 모르게 흘러
이러기 싫은데 정말 싫은데
정말 싫은데 정말
일어서는 널 따라 무작정 쫓아 갔어
도망치듯 걷는 너의 뒤에서
너의 뒤에서 소리쳤어
気がつけば いつのまにか涙が頬を伝ってる
こんなことしたくないのに 本当にしたくないのに
本当にしたくないのに 本当に
席を立ったあなたを夢中で追いかけたわ
逃げるように歩く あなたの背中に
あなたの背中に 大声で叫んだわ
구멍난 가슴에 우리 추억이 흘러 넘쳐
잡아보려해도 가슴을 막아도
손가락 사이로 빠져나가
穴が空いた胸に二人の思い出があふれ出す
つかまえようとしても 胸をふさいでも
指の隙間からこぼれ落ちて行く
심장이 멈춰도 이렇게
아플것 같진 않아
어떻게 좀 해줘 날 좀 치료해줘
이러다 내가슴 다 망가져
心臓が止まっても きっとこんなに苦しくはないはずよ
お願いどうにかしてよ 私を元にもどしてよ
このままじゃ 私の心が全て壊れてしまいそう
총맞은 것처럼
정말 가슴이 너무 아파
이렇게 아픈데 이렇게 아픈데
살 수가 있다는 게 이상해
銃で撃たれたように
本当に胸が張り裂けそうなくらい悲しい
こんなに悲しいのに こんなに悲しいのに
生きていれるのが不思議なくらい
어떻게 너를 잊어
내가 그런거 나는 몰라 몰라
가슴이 뻥 뚫려 채울수 없어서
죽을만큼 아프기만해
총맞은 것처럼
どうやってあなたのこと 忘れろと言うの
私にはできないわ できない できるはずない
ぽっかり穴の空いたこの胸を埋めることなどできないわ
今はただ死ぬほど悲しいだけ
銃で撃たれたように
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追記>
なお、「ヲタク」が実際にプサンで購入したCDなどの画像は
コチラを参照。
(終わり)
最近、コリアフリーク(韓国マニア)を看板に掲げた当ブログが、
「ヲタク」の懐古的な洋楽趣味に強く流されようとしている。
自分で言うのもおかしな話だが、ちょっと困った傾向である。
この背景には、You Tubeやニコニコ動画の普及で、ネット上での
音楽の紹介に関する「罪の意識」が、「ヲタク」自身かなり希薄に
なってきたことがある。
しかし、洋楽関連の話題は今日の投稿を最後に、しばらく慎もうと
思っているので、韓国情報を求めて当ブログをご訪問いただいて
いる読者の方には、平にご容赦願いたい。
ところで、今日はクリスマス。
年の瀬が迫っていることもあってか、クリスチャンでも何でもない
「ヲタク」でさえ、何となく特別な感慨がわいてくる。
今日、あらためてジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(Happy
Christmas)」の歌詞を読み返しながら、詩が訴えかける
メッセージの強さと美しさに今さらのように感動させられた。
確かにベトナム戦争は遠い昔に終わった。しかし、形を変えた
ベトナム戦争は今もやむ気配はない。
アメリカで黒人大統領が誕生した。しかし、黒人が直面する様々な
問題が全て解決されたわけでもない。
アメリカ初の黒人大統領は、イラクからの米軍撤退を進めようと
する一方、アフガニスタンというまた別の「ベトナム」に積極的に
介入しようとしている。
また、アメリカで、日本や韓国で、そして世界で、貧困と格差の
問題が深刻さを増そうとしている。
悲しいことに、1970年代の初めにジョン・レノンが発した強くて
美しいメッセージは、今なお、その新鮮さを失ってはいないのだ。
□ Happy Christmas John Lennon (1971)
<ごあいさつ>
この1年間、この拙いブログを訪問していただいた皆様に
心から感謝いたします。
自己満足的なブログではありますが、毎日のアクセス数に現れる
訪問者の皆様の「関心」に大きく励まされた1年でした。
来年も気力と体力、そして健康の続く限り、中年「ヲタク」の少し
ばかり(かなり?)屈折した目に映る韓国&韓国語情報を記録し
続けて行こうと思っています。
ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」を聴きながら、新しい年、
訪問者の皆様、そしてご家族の皆様のご健康とご多幸を心から
祈念いたします。
by Yoshi
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Happy Christmas John Lennon
(Happy Christmas, Kyoko
Happy Christmas, Julian)(※)
So this is Christmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas
For weak and for strong
The rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
(War is Over, if you want it, war is over now)
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas
And what have we done
Another year over
And a new one just begun
And so happy Christmas
And we hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
(War is over, if you want it, war is over now)
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over, if you want it
War is over now
Merry Christmas
(※)オノ・ヨーコと前夫の娘Kyoko/ジョン・レノンと前妻の息子Julian
(終わり)
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「ヲタク」にとっても中年世代の多くの韓国人にとっても、忘れる
ことのできない青春期の歌手の一人がイ・ソンヒ(李仙姫)だろう。
△イ・ソンヒ(マイデイリー)
1984年に空前の大ヒットを記録した「J에게(Jへ)」のアルバムは、
「ヲタク」もプサンのレコード店で買った。
今でも、実家の2階の屋根裏部屋のどこかに眠っているはずだ。
□ J에게 이선희 (1984)
ところで、最近、イ・ソンヒが音楽活動を再開したとのこと。
関連記事の一部を翻訳練習してみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■10월 비밀 귀국후 '불후의 명곡' 첫 녹화
"1월 말 정규 14집 앨범, 본격 방송복귀"
イ・ソンヒ-10月の極秘帰国後、「不朽の名曲」初収録
「来年1月末、第14集アルバムで活動を本格再開」
(韓国日報 12月24日)
가수 이선희가 끝내 사생활은 공개하지 않았다.
イ・ソンヒ(李仙姫)、私生活については最後まで語らず
이선희는 23일 오후 2시부터 서울 대치동의 한
스튜디오에서 진행된 KBS 2TV 예능 프로그램 의
'연말특집 불후의 명곡' 녹화에 참여했다.
イ・ソンヒは23日、午後2時からソウル市テチ洞のスタジオで
行われた芸能番組「ハッピーサンデイ」(KBS第2TV)の「年末
特集・不朽の名曲」の録画撮りに参加した。
이선희는 이날 데뷔 25주년을 맞아 음악 이야기만을
풀어갔을 뿐 여전히 사생활 부분은 함구했다. 지난
10월 비밀리에 귀국한 이후 불거졌던 무성한 소문들에
대한 해명은 들을 수 없었다.
イ・ソンヒは、この日、デビュー25周年を迎えた音楽活動に
ついて語っただけで、依然として私生活はベールに包まれた
ままだ。10月の極秘帰国後、巷に流れている様々な
うわさ話についての釈明は一切聞けなかった。
-中略-
이선희는 지난 2006년 재미동포 사업가 정모씨와
극비리에 결혼한 이후 미국으로 유학길을 떠났다.
그는 지난 10월 돌연 귀국해 궁금증을 자아냈다.
イ・ソンヒは、2006年在米韓国人の実業家と極秘裏に
結婚した後、アメリカに渡り大学に入学した。しかし、
今年10月、突然、韓国に帰国し様々な憶測を呼んでいる。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)
「ヲタク」は、家族が使っている機種も含め自宅に複数台の
パソコン(自作デスクトップとノート)を持っている。
その内、2機種のOSにはWindows Vistaを入れているが、悪評の
通りと言うべきか、問題が多かった。
それでも、パソコンに詳しい知人のアドバイスで、グラフィックの
「エアロ(Aero)」機能を停止させ、ベーシックモードで使うように
してからは、XP並み(?)の動きをしてくれてはいる。
今日、マイクロソフトのXP販売延長をめぐる記事を目にしたので、
翻訳練習してみた。
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■MS, 윈도XP 공급 4개월 연장
マイクロソフト、Windows XPの販売、4ヶ月延長
(連合ニュース 12月24日)
마이크로소프트(MS)가 PC업계에 공급하는 윈도XP의
판매 기한을 당초 계획보다 4개월 더 연장했다.
マイクロソフト社がパソコンメーカーに供給するWindows XPの
販売期限を、当初の計画より4ヶ月延長することを決めた。
24일 뉴욕타임스 등 외신들에 따르면 MS는 PC제조사에
공급하는 XP의 판매 기한을 새해 1월 31일에서 5월
30일로 연장했다. 이에 따라 PC업체들은 XP탑재 PC를
2009년에도 판매할 수 있게 됐다.
24日、ニューヨークタイムズ誌など複数の海外メディアによれば、
マイクロソフト社は、パソコンメーカーに供給しているXPの販売
期限を2009年の1月31日から5月30日に延長することを決めた。
この決定により各パソコンメーカーは、XP搭載のパソコンを09年
にも販売できることになった。
이 같은 결정은 2007년 1월 선보인 OS(시스템 운영
체계) `비스타'의 실적부진에 따른 것으로 분석된다.
MS는 XP를 대체하기 위해 야심차게 비스타를 선보였지만
시장의 반응은 냉담했다.
今回の決定の背景には、2007年1月に発売されたWindows
「Vista(ビスタ)」の販売が伸び悩んでいることがある。同社はXPに
代わる新OS(システム運営システム)として野心作のVistaを
市場投入したが、市場の反応は冷淡だった。
시장조사업체들에 따르면 세계 OS시장에서 XP의
점유율은 전년 대비 소폭 하락하긴 했지만 여전히
66%로 압도적이다.
専門の調査会社などによれば、現在、世界のOS市場における
XPのシェアは66%と、前年比で若干下落してはいるが、依然
として圧倒的なシェアを維持している。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)