福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

言論の門閥支配

2005年12月31日 |   〇メディア・IT


(プサンの街角で販売されている新聞 2005年12月)

韓国の世論に圧倒的な影響力を持っている全国紙が、朝鮮日報、
中央日報、東亜日報、いわゆる「朝・中・東」の大手3紙だ。
以前にもこのブログで紹介したことがある。

(プサンでは上記の写真に出ている新聞以外に、全国紙の「ハン
ギョレ新聞」や地域紙の「国際新聞」をみかけることも多い。)

ところで、この「朝・中・東」の3社は、それぞれ特定門閥の一族が
各新聞社を所有しているのみならず、経営や編集にも直接的な
影響力を行使していると言われ、韓国のジャーナリズムの公正で
健全な発展を妨げているとの批判が、折に触れ提起されている。
いわゆる「족벌지배(族閥支配)」批判がそれだ。

特に、中央日報については、経済的に巨大な影響力を持っている
サムソン財閥系の一族が所有していることで有名だ。

こうした問題は、プサンを代表する地域紙である「プサン日報」に
ついても例外ではない。「プサン日報」の株式を100%所有して
いるのは、パク・チョンヒ元大統領の娘である現ハンナラ党党首、
パク・クネ氏が理事長を務める「正修奨学会」である。この奨学会は、
他にプサンMBC(テレビ会社)の株を100%所有しており、MBC
本社の株も30%所有している。また、ソウルの京郷新聞社の
本社ビルの土地なども所有している。

この「正修奨学会」の名称である「正修」とは、パク元大統領夫妻の
名前から一字ずつ取ったものである。

奨学会の資産形成については、それが企業家による国家に対する
「純粋な寄付行為」であったのか、独裁政権による「不当な恣意的
収奪」であったのか、その解明と清算は、現代韓国政治に課せ
られた非常にデリケートな今日的課題であり続けている。

(終わり)


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一極集中

2005年12月31日 |  〇文化・歴史

12月27日、韓国のメディアは2005の11月に実施された
인구주택총조사/人口住宅総調査」、いわゆる国勢調査の
暫定結果を一斉に伝えた。

それによると韓国の総人口は11月1日現在で5年前より2.4%
増加した4,820万人。

「オタク」が今更ながら驚いたのは、人口の首都圏への一極集中
ぶりだ。

京郷新聞から一部引用しながら対訳して紹介する。

・・・・・・・・・・・

서울·경기·인천 등 수도권 인구는 2천2백74만명으로 5년 전보다
6.5% 늘었다. 전체에서 차지하는 비중도 46.3%에서 48.1%로 커졌다.
서울인구의 비중은 2000년 21.4%에서 올해 20.7%로 작아진
반면 경기지역은 19.5%에서 22.0%로 커져 처음 역전됐다.
ソウル・京畿・インチョンなど首都圏の人口は2,274万人で5年前より
6.5%増加した。総人口に占める比率も46.3%から48.1%に
増えた。そのうちソウルが占める比率は2000年の21.4%から
20.7%に低下した一方、京畿道は19.5%から22.0%に増え、
初めてソウルを上回った。

(終わり)

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駐車場

2005年12月31日 |   ┗駐車場

「オタク」が日韓高速船を利用する場合、北九州市近郊の家から車で
博多港の国際ターミナルまで行く。

ただ、国際ターミナルの駐車場は福岡市の港湾局が管理する
公営でありながら(公営だから?)、利用料が異常に高すぎる。
1日2400円もかかるので気軽に駐車できないのだ。



そこで、「オタク」はターミナルから歩いて5分程度の距離にある民間の
駐車場を使っている。そこなら1日最大700円で済む。

今回は5泊6日で、計4200円也。


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日本文化の開放問題

2005年12月31日 |  〇映画・映画音楽

2005年の暮れ、韓国を訪問する前に一つの目的(?)としていた
ものがあった。それは、韓国の地上波放送に初めて登場する
日本の人気歌手の歌を聴くことであった。

韓国のMBCと日本のNHKが「日韓友情年(国交正常化40周年)」の
記念コンサートを、12月25日の深夜に同時放送(録画)することに
なっていたのだ。

「オタク」は、この「歴史的瞬間」をプサンで目撃することができた。

 
韓国の地上波に登場した平原綾香(上)と中島美嘉(下)

ただ、いわゆる日本の大衆文化の開放については、既成事実
(現実)のほうが、あまりに深く進行しているので、韓国のメディア
では今回のMBCの放送と関連して「日本文化の開放」が殊更に
話題になることは全くなかった。

実際、韓国の各家庭では有線テレビや衛星放送を通じて簡単に
NHKが見れる。MBCの放送の翌々日(?)には、NHKが倉木麻衣の
コンサートを放映していたが、そうした番組は以前から何の制限も
なく放送されていたのだから。

しかし、KBSやMBCのラジオでは、韓国語によるカバー曲は別として、
現在でもJ-POPが流されることは一切ない。


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プサン駅とソウル駅

2005年12月31日 |  ┗ソウル


(国鉄プサン駅 2005年12月)

2004年の4月、韓国にKTXという高速鉄道が開通してくれたおかげで、
プサンを拠点とした「オタク」の活動範囲が飛躍的に広がった。KTXに乗れば
2時間40分でソウル駅に到着する。


(KTXの車内風景)

KTXはフランス式の技術を導入して開設されたので、アジアを走る
ヨーロッパ風の高速鉄道だと言ってもよいだろう。座席は少々窮屈だが、
時速300キロで走行しても、当然のことながら揺れや騒音はほとんどない。


(旧駅舎に隣接して新しく建設されたソウル駅)


(旧ソウル駅 現歴史博物館 2005年12月)

このKTXの開通が「オタク」にカフェのソウル・オフ会の開催も思い立たせて
くれた。運賃がプサン-ソウル往復で約9万ウォン(約1万1000円)かかるが、
日本でビートル往復券とKTX乗車券がセットになった割引チケットを買って
おけば、少し割安になる(2万8000円)。

2005年冬もソウルでオフ会を開くことができた。参加してくれた会員はもちろん、
このKTXにも感謝したい。
 

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ニコレット

2005年12月31日 |  〇買い物編

何度目になるだろう。全く恥ずかしい話だが、懲りもせず2006年の
正月から、また(!)禁煙に挑戦することにした。

2005年の暮れ、「オタク」は韓国で禁煙補助剤「ニコレット」を
1箱購入した。

30個入りで15000ウォン(約1800円)だった。日本では
24個入りを2000円ちょっとで売っているので、「ニコレット」に
ついては韓国の方が若干割安だ。


△左が韓国で市販されている「ニコレット」

「オタク」は日本と韓国の両国で2006年からの禁煙を決めた。

全く意味のないことではあるが、韓国語「オタク」としては、この
日韓両国での決心というところに意味を見出したいのだ。

日本と韓国で誓った明日(2006年1月1日)からの禁煙。

正直、自信はない。しかし、やるだけやってみよう。

ちなみに韓国でも1995年に「국민건강증진법/国民健康増進法」が
制定され、街中での禁煙、分煙が進んでいる。


△韓国語で言えば「흡연구역(吸煙区域)

 
△ソウル駅構内のコーヒーショップ横に設置された喫煙ルーム

2005年冬の韓国で、何度お店の外や便所でタバコをふかした
ことだろう。

1度だけソウル駅で喫煙ルームを利用したが、部屋の匂いは「オタク」
でさえ不快感を感じるものであった。

不思議なもので、自分のタバコの匂いには慣れっこになっているヘビー
スモーカーでも、人のタバコの匂いには不快感を感じるのである。



■ 「オタク」の誓い

2006년부터 담배를 완전히 끊겠습니다!
2006年からタバコを完全にやめます!


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マイルドセブンライト

2005年12月31日 |   ●釜山の街角

「オタク」はかなりのヘビースモーカーでもある。

2005年冬の渡韓の際には、博多港国際ターミナル内の
免税店で2カートンの「マイルドセブンライト」を買って玄界灘を
渡った。計20箱だ。
(もちろん全てを韓国で吸いつくすつもりで買ったわけではない)

市販では1箱270円。免税店では170円。


(左が韓国の街中で購入した「マイルドセブンライト」)

ところで、今回、1度だけ街中で手持ちのタバコを切らしてしまった。
幸い、数年前から韓国の街中のタバコ屋でも簡単に「マイルド
セブンライト」が買えるようになっているので、そんなにストレスを
感じなくてすむ。味も全く変わらない。

唯一の問題は値段である。

韓国では「マイルドセブンライト」が1箱2500ウォンで市販されている。
これは、現在のレートで換算すれば日本円で約300円ということに
なる。つまり、「マイルドセブンライト」は日本より韓国のほうが
高いのだ。

大したことではないが(いや、くだらない?)、一つの新しい発見で
あった。


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朝鮮紡績前

2005年12月31日 |  〇釜山の夜景



2005年の暮れ、「オタク」が初めて訪れたプサンの街がある。
ナンポドンやソミョンほど大きな街ではない。

正式な地名は「범일2동/ポミル2洞」だが、プサンの人たちはこの
界隈を今でも「조방앞(조선방직앞/朝鮮紡績前)」と呼んでいる。

現在でも数多くの衣服関連の店が軒を連ねている街だ。

ちなみに「조방앞」という名称は、日帝時代にあった大きな
紡績工場の名前にちなんだ俗称だ。

조방」の正確な発音やつづり、意味が分からず、つれあいを
質問攻めにしていたのだが、その会話を聞いていたタクシーの
運転手さんが地名のいわれを詳しく説明してくれたのであった。

運転手さんの話によれば、近くには日本人客も多い「クラウン
ホテル」という大きなホテルもあるそうだ。

(終わり)


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ナンポドンVSソミョン

2005年12月31日 |  ┣南浦洞界隈



2005年の冬、「オタク」はプサンの繁華街「ナンポドン
(南浦洞)」を訪れた。

この界隈には国際市場や龍頭山公園などもあり、「オタク」の
韓国体験の原点とも言える場所だ。





「国際市場」の迷路のような専門店(?)通りの雑踏の中に、
「異邦人の孤独」を感じながらあてもなく彷徨い歩いていた
青年の日の「オタク」が、今は、娘のアクセサリーの買い物に
付き合うためにこの雑踏に紛れている。



写真を撮っているにも関わらず、雑踏に紛れた「オタク」に
日本語で話しかけてくる店員は、もはや誰もいない。




△韓国風おでんを売る店

このナンポドン界隈。

地下街まで加えるとかなり大規模な商店街だ。



△ナンポドンの地下街

しかし、このナンポドンも、最近はプサン市の中心部に位置し
交通の要衝ともなっている「ソミョン(西面)」に往事の賑わいを
奪われている。

「オタク」は、まだソミョンがよく分からない。

方向感覚がつかめないままでいる。しかし、今回もまたソミョンを
訪れた。


△太和(テファ)百貨店近くのネオン街 - ソミョン

平日の深夜、12時を過ぎてもネオンの灯が消える事のない
エネルギッシュなソミョン。



新しい趣向を取り入れた店もたくさん登場していた。
中には24時間営業の「일본식 선술집/日本式居酒屋」なども
目についた。




(終わり)


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日本製アニメの大洪水

2005年12月31日 |  ┣草梁界隈編

韓国のテレビ事情は日本とずいぶん違う。

地上波のチャンネルはKBS、MBC、SBSの大手3社が中心だが、
一般家庭の多くは有線放送(あるいは衛星放送)に加入してテレビを
見ているので、チャンネルの数が非常に多い。

その中で、子ども向けのアニメ専門チャンネルが2つか3つあるの
だが、そこで流されているアニメは、ほぼ100%日本製アニメである。

2005年の冬、プサンを訪れた「オタク」は、子どもたちが見ている
韓国のテレビをいっしょに見ながら、不思議な感慨に襲われた。

ここは本当に韓国(外国)なのか?

もちろん、一部の字幕放送を除いて言葉はほぼ全て韓国語に吹き
替えられているとは言うものの、日本製アニメの大洪水ぶりには、
今更ながら驚きを感じずにはいられなかった。


(日本製アニメの大洪水  その一部)

余計なお世話かもしれないが、こういう日本製アニメにどっぷり
浸かって育つ韓国の子どもたちが、少し心配になった。

大げさに言うと「文化的アイデンティティー」の危機とでも言うべき
状況が、そこにはあるように思えたのである。

(終わり)



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ビートル号と文化訳

2005年12月31日 |  〇トイレの話


△ビートルから見た曇りの博多湾 (2005年12月30日)

外国語を翻訳する場合、時として「言葉」ではなく「生活文化」を
翻訳しなければならない場合がある。

例えば、博多港とプサン港を行き来する「ビートル」号のトイレには、
このような張り紙がしてある。


△ビートルの便所の中の張り紙

一見、何の変哲もない張り紙だが、韓国語を読んでみると

사용하신 휴지는 변기에 넣어 주십시오.
(御使用になったトイレットペーパーは便器にお流し下さい)

と書かれている。これは、上下の日本語や英語の訳としては
全く間違った翻訳だと言えるだろう。

しかし、一般的にトイレットペーパーを水洗便器に捨てる習慣の
ない韓国人客向けの張り紙としては「正しい」のである。

また同時に、乗務員にとっては、おそらく切実な「願い」でも
あるだろう。

韓国では、一般的に便器のつまりを防ぐためにトイレットペーパーを
ゴミ箱に捨てるという習慣がある。この習慣は単に便宜的な
ものではなく、かなり強度な生活習慣と見ていい。

その証拠に、同じく玄界灘を往復している韓国の高速船「コビー」の
便所には、便器の紙詰まりの心配など全くないにも関わらず、
狭い空間の前後左右に日本語で「トイレットペーパーは便器に
流さずゴミ箱に捨ててください」という趣旨の注意書きが
なされていた。(現在の状況は未確認)

おそらく、そうした注意書きに従う日本人客は限りなく「0」に
近いのではないかと思われるが、一部の韓国人からすれば、
便器にペーパーを流す日本人(その他の外国人)の習慣が
「許せない」という意識レベルにまで達しているのではないかと
思われる。


△博多港に接岸したビートル号

外国語は時として、背景にある生活習慣まで含めて「文化」訳
しなければならない。

そんなことを考えながらビートルを降りた「オタク」であった。


(終わり)


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韓国風豚足

2005年12月31日 |   ┣豚肉

2005年の冬、「オタク」は親戚の家で「족발/チョッパル
(韓国風豚足)」をつまみに一杯やった。



豚足を燻製にした料理だが、日本の豚足とはずいぶん違う。

スライスして食べるので非常に食べ安い。見かけはチャーシューに
似てなくもない。



酢味噌に付け、スライスした生たまねぎやにんにくといっしょに
食べる。ゼラチンが豊富なので、食べ過ぎなければ(!)体にも
いいつまみだ。もちろん、食事のおかずにもなる。



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チャガルチ

2005年12月31日 |  ┣韓定食・海鮮類


2005年の冬にも「オタク」は家族や親戚といっしょにチャガルチを
訪れた。



今回入った店は「オタク」には初めての店だった。通りに面した
生簀付の店だった。





お肉だけではなく刺身も野菜で包んで食べる韓国式の食べ方に、
最近ではずいぶん慣れてきた「オタク」である。

日本式の食べ方も大好きだが、韓国式の食べ方もヘルシーなので
大いに気に入っている。



最後は、身を削いだ魚で作る定番の「매운탕/メウンタン(辛いスープ)」。



寒い冬には、この刺激がたまらない。韓国焼酎とメウンタンで体が
内からホカホカしてくる。もちろん舌のひりひり感も韓国料理ならでは
の魅力だ。


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豚カルビ

2005年12月31日 |   ┣豚肉
韓国の庶民の味と言えば、何といっても「돼지갈비/豚カルビ」。

実は、釜山駅前の草梁洞の一角に「돼지갈비골목/豚カルビ横丁」と
呼ばれる通りがある。妻の実家に近い関係で、「オタク」がプサンに
行った時には必ず一度は訪れる場所だ。

2005年冬の訪韓でも、この「豚カルビ」を食べた。



ここ数年、行く店は決まっている。豚カルビ横丁のメイン通りから、
さらに細い路地に入った所にその店がある。



その日、「一人で4人前食べた」と言って、「オタク」は妻から
からかわれてしまった。

韓国語「オタク」は、実はかなりの「먹보/食いしん坊」なのである。


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ソウルと釜山で炒肉飯

2005年12月30日 |   ┣炒肉飯

「オタク」は韓国風中華料理が大好きだ。2005年冬の
韓国訪問でも、その美味を堪能した。

まずは、カフェのオフ会に参加するため訪れたソウルで食べた
잡채밥/チャプチェパプ(炒肉飯)」。

ソウル駅ビルの大食堂で食べた一品だが、今まで食べたものに
比べ、チャプチェの分量が非常に多かったのが印象的だった。


△ソウル駅ビルの大食堂で食したチャプチェパプ

次に、「ヲタク」が食べ慣れたプサンのチャプチェパプ。

「ヲタク」は今回も、「상해거리/上海通り」と名付け
られた、プサン駅前のチャイナタウンを訪れた。


△向こうに「上海門」が見える


△プサン中華街の中心部

4,5年前に新しく整備されたプサンのチャイナタウン
ではあるが、隣接するテキサス通りのほうが、よほど
目立っている。

昔、米兵相手の店が立ち並んでいたというテキサス通りも、
現在ではロシア人相手の店が軒を並べる通りへと大変身を
遂げている。

中華街へもロシア人相手の店が、かなり進出している。

それでも、チャイナタウンの一角には華人の子ども
たちが通う「プサン華僑中学」がある。この一帯が、
在韓中国人の一つのコミュニティであることには
違いない。


△中華街の一角に建つ「釜山華僑中学」

さて、話を中華料理に戻そう。

今回、「オタク」は中華街の中心部の四つ角に面した
店に入った。

ここで、食べた料理は例のチャプチェパプと「당수생선
/揚げ魚の甘酢餡かけ)」。


△「オタク」の大好物、チャプチェパプ(炒肉飯)。


△タンスセンソン/揚げ魚の甘酢餡かけ

今回は、この2品を夫婦で食した。

この冬も、大好物を口にできた「オタク」は大満足
だった。


(終わり)