福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

初めての甘川港訪問

2017年07月31日 |  ┣甘川・松島

2017年夏のプサン訪問では、初めて甘川港を訪問した。

プサン駅前からバスに乗れば、南浦洞から松島ビーチを経由し、
すぐのところにあり、時間的には2、30分ほどで到着する。

そんなに遠くはない。

ところで、甘川港といえば、近年、極東におけるロシア漁船を一手に
引き受ける国際漁港として発展を続けている港である。

甘川湾岸には大型の冷凍倉庫群や、船舶を補修する造船所、ロシア人
船員用の保養施設や商店、食堂などが立ち並んでいる。


△ロシア人用のレストランやスーパーが並ぶ

今回、「ヲタク」が見学したのは、そのほんの一部だ。

さらに、ある造船所では、警備員から敷地内における撮影を
禁じられた。



甘川湾の最深部(陸地側)にある旧火力発電所跡地の公園に足を
のばしたが、そこからは湾内の様子がある程度、見渡せた。



公園の整備はまだ進行中で、「ヲタク」が訪れた日も、数名の
作業員が整備作業を行っていた。


△ロシア漁船が停泊する甘川港(フェンスの柵の隙間から)

なお、新型のLNG火力発電所は、公園(旧発電所跡地)横の
埋め立て地に新設された。(警備員談)


△新型のLNG(液化天然ガス)火力発電所

発電所の敷地内には立ち入れなかったが、「ヲタク」に気づいた
警備員が、親切にいろいろと話を聞かせてくれた。



(終わり)




参加カテゴリ:地域情報(アジア)


崖の街・プサン

2017年07月29日 |  ┣甘川・松島

2017年夏のプサン訪問では、思いがけなく、西区の南富民洞を
歩く機会が
あった。


△西区南富民2洞から南浦洞方面を望む

そこで、感慨を新たにしたことがある。


△遠くに海雲台マリンシティの超高層ビル群も見える

プサンという都市の特徴の一つに山肌の斜面に形成された広大な
住宅街がある。

そういう特徴をとらえ、これまで「ヲタク」はプサンを、「坂の街」と
考えてきた。

妻の実家のある東区草梁洞しかりだ。

しかし、実態は「崖の街」に近いのではないか。


△斜面というより崖に形成された集落

もちろん、平地部の発展は著しいし、プサン市民のみなが坂や崖に
暮らしているわけではない。



それでも、やはり、多くのプサン市民が崖や崖っぷちに暮らして
いるのは事実だ。



普通なら人が暮らさない、いや、暮らせないような崖にも多くの
人々が暮らす街。

それがプサンなのだ。


△崖っぷちに建つ松島中学(右)

朝鮮戦争時に殺到した多くの避難民の存在。大きな貧富の格差。
公営住宅の決定的欠如。

そういう歴史的、経済的、政治的背景を抱えながら、多くの市民が
崖の街の毎日を生きている。





(終わり)




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アミ洞の碑石は墓石

2016年12月26日 |  ┣甘川・松島


△アミ洞の様子

2016年夏のプサン訪問時、「ヲタク」がアミ小学校近辺から
甘川文化マウルまでのきつい坂道を歩いて
登ったことは、当ブログにも
記録している。(関連ブログ記事


△Daum地図より

しかし、その際、目にした「비석문화마을(碑石文化マウル)」については、
道すがらに目に入る壁画アートや造形物と関連付けるくらいで満足し、
特に感銘を受けたり注意深く観察することもなく通り過ぎてしまった。


△アミ洞の展望台

勾配のきつい道を歩いて登ることで精いっぱいだったのだ。


△アミ洞の様子

ところが、つい最近、その時、「ヲタク」が歩いた道周辺のかなりの
部分が、日本統治時代には日本人の共同墓地であったことを知った。

    ※参考資料 ①日本人共同墓地 ②アミ洞火葬場(旧・釜山府営火葬場)

          ③旧・釜山府営火葬場  ④アミ山共同墓地(釜山でお昼を) 


「碑石文化マウル」の「碑石」とは単なる石碑のことではなく、有り体に
言えば日本人墓地の「墓石」のことだったのだ。

朝鮮戦争の混乱時、共同墓地に住み着いた戦争難民らが、墓石を
住宅の基礎や石垣、階段などに資材として利用したのだ。

「ヲタク」自身は、まだ、この目で確認していないが、現在でも、街の
路地裏を歩けば、あちこちで旧墓石を目にすることができるという。


△Daum地図ストリートビューより

夏の訪問時に「ヲタク」が注意を払わなかった街角の説明文(上記画像)
には、この街のそうした歴史的経緯が包み隠さず記してある。


△説明文(上記画像)の一部拡大

説明文の最後は次のように締めくくられている。


△説明文(上記画像)の一部拡大

・・・・・・・・・

현재 서구청의 적극적인 지원과 주민들의 자발적인 참여가 어우러져
비석이라는 부정적인 이미지를 탈피하고, 도시재생, 산복도로 르네상스
사업 등으로 인해 소통과 화합의 희망적인 밝은 마을로 바뀌어가고 있다.
現在、西区役所の積極的な支援と住民の自発的な参加が一体となり、
碑石(墓石)という否定的なイメージを脱皮し、街の再生、山腹道路
ルネサンス事業などにより「交流と和合」の希望に輝く街に変わり
つつある。

・・・・・・・・・

それにしても、アミ洞の日本人墓地には、江戸時代(草梁倭館)からの
歴史を持つ数多くの日本人の墓石も移転され、いっしょに供養されて
いた、とのこと。

次回以降、この街を通る時には、必ず両手を合わせ、せめて心の中で
お念仏をとなえたいと思う。

なお、過去、釜山で命を落とした日本人の供養の場としては、現在、
金井区トゥグ(杜邱)洞の市営墓苑内に、「日本人慰霊碑」(日本人
墓地移転供養の碑:関連資料)と日本人の位牌堂が設置されている。


(終わり)




参加カテゴリ:地域情報(アジア)


雲が休憩するアミ洞

2016年08月02日 |  ┣甘川・松島

2016年夏のプサン訪問では、前から気になっていた甘川文化村を
初めて訪れることにした。「プサンのマチュピチュ」と形容される
急傾斜地に広がる街だ。

今回は、草梁洞から190番の市内バスに乗り、甘川洞に隣接する
アミ(峨嵋)洞の小学校下でバスを降り、後は歩いて行く計画を
立てた。

地図で見る限り、そんなに距離がないように思えたからだ。

ところが、実際、歩いてみると、これが結構な距離だった。



それに、アミ洞自体が「ヲタク」にはすでに「マチュピチュ」の
ように思えるほど、深い谷間の急斜面にできた街だった。



途中、「雲が休憩する展望台」なるスポットに立ち寄った。


△アミ洞から見るプサンの旧都心部

なるほど、そこには「ヲタク」が見慣れた草梁洞の光景とは趣
(おもむき)を異にした、まさに雲の上からのぞきこむような
美しい展望が開けていた。

いつの日か、この展望台から見えるプサンの夜景を撮るつもりだ。


△甘川文化村入口まで、あと10メートル

こうして自分の足で歩いてみて初めてわかったことだが、
甘川文化村はアミ洞の高台の峠を越えた先にある、アミ洞とは
背中合わせの谷間の急斜面にできた街だった。


△Daum地図より

次回、同じルートを通る時には、同ルートを走っている小型の
コミュニティーバスを利用したいと思っている。


(終わり)



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