香港映画界を支え続けてきた7人が、少しだけリラックスして短編を見せてくれる。香港映画好きで良かったと思う作品だ。
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1950年代に自らも京劇学校訓練したでサモ・ハンが、長男のティミー・ハンを師匠役にして、子どもたちが訓練に明け暮れる様子を描いた「稽古」は、竹刀を手にし、子どもたちに厳しい指導をする師匠ティミー・ハンの立ち姿が印象的だ。
7人の中で一人女性であるアン・ホイが描くのは、1960年代の香港の小学校の様子。子供たちを見つめ見守る優しい女性教師と、更にその彼女を優しく見守る校長の姿が淡々と描かれる。黒社会映画の印象の強いン・ジャンユーが演じる校長先生・・・短編だからこそ出来るキャスティングの醍醐味だと思う。
パトリック・タムが描くのは、移民する彼女とそれを見送る事になる恋人の一夜。劇中に流れるのは山口百恵が歌ったコスモスが原曲の「深夜港湾」。1980年代、1990年代は日本の歌謡曲がこんな風にまったく別の歌詞で歌われていた事が多くあったはずだ。ただ、同じ曲でも、歌詞が違えば全く思い出も違ったものになるのが何とも感慨深い。
返還の時代の、一つの家族の姿を撮っているのは、ユエン・ウーピン。親子の姿でなく、孫の祖父というワンクッションある家族の姿からだろう。カンフーと英語を教えあう姿もコミカルだ。孫の為に買って来たお菓子のブッチャイゴウ(缽仔糕)は、もちもちした感じが羊羹にも似ており、どう考えても女子高生向きではない。おじいちゃんらしいお菓子の選び方がなんとも微笑ましい。
ジョニー・トーが描くのは、食事をしながらもうけ話に興じる3人の話。香港ではこんな風に四六時中誰かしらが食事をしている茶餐廰(レストラン)が街の至る所にある。そんな茶餐廰を舞台に乱高下する株価と不動産バブルに一喜一憂する3人。それはチャイナマネーが入り、経済状況が一変してしまった今の香港にも通じているのだろう。
私にとっては黒社会映画の印象が強いサイモン・ヤム。彼が変貌著しい中環(セントラル)に、そして人と車でごった返す香港の姿に終始驚く姿を撮ったのは、これが遺作になってしまったリンゴ・ラム。時々香港を訪れるだけの私でも、行く度に様子が違う中環(セントラル)に驚くばかりで、「以前は・・・」などとつい口にしたくなってしまう。そんな変化についていけずに驚くしかない様子はよく分かる。
最後は、精神病院を舞台によく分からないコントのようなやり取りが描かれるツイ・ハーク作品だ。「アン・ホイは女性だ」「マギー・チャンは・・・」「それはジョン・ウーのスタイルだ」などと、7人の中で一人だけ女性のアン・ホイの名前を何度も出し、おそらく彼ら世代のミューズだったマギー・チャンの名前を連呼し、そして自分の盟友であるジョン・ウーまで出す。多分これに演じる張達明や林雪らしい言葉遊びも存分に織り込まれているのだろう。
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短い7編ではあるけれど、香港映画好きとしては、どれに対しても何か一言いいたくなる。そしてこの映画について、香港映画好きの知人たちと語り合いたくなる。
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追記:
ジョニー・トーの発案で作られたこの映画は、彼のフィルムへの愛着を示したものでもあり、全話35ミリフィルムでの撮影。50年代から未来までの香港を舞台にした映画は、それぞれの監督が担当する年代はくじ引きで決め、ジョニー・トー自身は株と不動産に支えられた香港経済を描いた2000年代を担当。