アキとパワーの登場回。
あと、デンジがマキマに公安に誘われて加入する回。
その上で、事後承諾的に、デンジは公安やめたら悪魔認定されて殺処分される運命にあるとも伝えられる。
普通に見て、マキマはブラック上司w
でもマキマに魅せられているので、デンジは公安をやめようとは思わない。
って流れ。
実は第1話を見てから、原作の第1部、全部読んだ。
まだ未消化な部分はあるけれど、確かに面白かったので、・・・というよりも、ユニークな作品だったので、あとで、また原作については感想を書くと思うけど。
でも、端的に、先に原作読んで正解だった、と思った。
というのも、やっぱりこのアニメ版は、MAPPA解釈のオマージュ映像なんだな、って確信できたから。
何が言いたいかというと、『チェンソーマン』という作品は、本質的にアニメ向きではない、ってこと。
マンガという媒体だから成立したところがとても多い。
手塚治虫じゃないけれど、最近の映画の魅力をマンガに盛り込んだところがとても多い。
なので、コマ割りつきのマンガで読んだほうが絶対面白い。
書き込まれた一枚絵による圧倒感とか、コマの転調による意外感とか、そういうのをうまく使った上で、そうした絵の総体で、トリッキーな物語構成をにじませているところがあるから。
もっといえば、アクション作品では全然なくて、ニヒル寄りのポエムなんだよね。
文学作品なんだよ、本質は。
アニメにするなら、実はもっと動きを減らして、あるいは、コマ送り的な動きによって、画面の情報量を絵画的に増やさないといけないたぐいの作品。
にもかかわらず、MAPPAの動きは静止場面でもヌルヌル系が残ったものになっているんだよね。
結局、全体の印象は『呪術廻戦パート2』みたいにしか見えなくて。
今回のエピソードについては、アキやパワーが登場することで台詞の掛け合いが増えてそれがチェンソーマンっぽい、とかいう見方もあるようだけど、
でもそういうセリフもキャラも含めて、全部表面的なものにすぎず、物語をミスリードさせるためのものでしかない、というのが原作を読んでの感想なので、そこは正直、どうでもいいんだよね。
極論すれば、アキとパワーという仲間キャラ、バディキャラが出てくるだけでいい。
なので、ちょっとこれはもう、MAPPAまたかよ、という感じがしてきている。
なんていうか、呪術廻戦系ジャンプマンガの映像化サービス請負人としてのMAPPAくらいにしか思えなくなっている。
悪いことは言わないから、原作未読者は、アニメを放り出して、まずは原作を全部読むべき。
その知識をもった上でアニメ版は見たほうが、MAPPA的金太郎飴感から抜け出してなんとか見ることができると思う。
今見ているものは本物ではない、
というのが、『チェンソーマン』の表現の常なので、表面ばかり強調されてしまうアニメを見ると、いろいろと勘違いしてしまうと思う。
まぁ、それも含めて、原作の拡販素材と思えば、このアニメは確かに良質のティーザーになっているのかもしれないけれど。
でも、それだけなんだよね。
パワーもアキも、原作の方が100倍も1000倍もいいよ。
まぁ、でも最初から極彩色で描かれてしまうアニメでは、そもそも原作の画風に勝ち目はゼロなんだけどね。
そういう作品。
あと、デンジがマキマに公安に誘われて加入する回。
その上で、事後承諾的に、デンジは公安やめたら悪魔認定されて殺処分される運命にあるとも伝えられる。
普通に見て、マキマはブラック上司w
でもマキマに魅せられているので、デンジは公安をやめようとは思わない。
って流れ。
実は第1話を見てから、原作の第1部、全部読んだ。
まだ未消化な部分はあるけれど、確かに面白かったので、・・・というよりも、ユニークな作品だったので、あとで、また原作については感想を書くと思うけど。
でも、端的に、先に原作読んで正解だった、と思った。
というのも、やっぱりこのアニメ版は、MAPPA解釈のオマージュ映像なんだな、って確信できたから。
何が言いたいかというと、『チェンソーマン』という作品は、本質的にアニメ向きではない、ってこと。
マンガという媒体だから成立したところがとても多い。
手塚治虫じゃないけれど、最近の映画の魅力をマンガに盛り込んだところがとても多い。
なので、コマ割りつきのマンガで読んだほうが絶対面白い。
書き込まれた一枚絵による圧倒感とか、コマの転調による意外感とか、そういうのをうまく使った上で、そうした絵の総体で、トリッキーな物語構成をにじませているところがあるから。
もっといえば、アクション作品では全然なくて、ニヒル寄りのポエムなんだよね。
文学作品なんだよ、本質は。
アニメにするなら、実はもっと動きを減らして、あるいは、コマ送り的な動きによって、画面の情報量を絵画的に増やさないといけないたぐいの作品。
にもかかわらず、MAPPAの動きは静止場面でもヌルヌル系が残ったものになっているんだよね。
結局、全体の印象は『呪術廻戦パート2』みたいにしか見えなくて。
今回のエピソードについては、アキやパワーが登場することで台詞の掛け合いが増えてそれがチェンソーマンっぽい、とかいう見方もあるようだけど、
でもそういうセリフもキャラも含めて、全部表面的なものにすぎず、物語をミスリードさせるためのものでしかない、というのが原作を読んでの感想なので、そこは正直、どうでもいいんだよね。
極論すれば、アキとパワーという仲間キャラ、バディキャラが出てくるだけでいい。
なので、ちょっとこれはもう、MAPPAまたかよ、という感じがしてきている。
なんていうか、呪術廻戦系ジャンプマンガの映像化サービス請負人としてのMAPPAくらいにしか思えなくなっている。
悪いことは言わないから、原作未読者は、アニメを放り出して、まずは原作を全部読むべき。
その知識をもった上でアニメ版は見たほうが、MAPPA的金太郎飴感から抜け出してなんとか見ることができると思う。
今見ているものは本物ではない、
というのが、『チェンソーマン』の表現の常なので、表面ばかり強調されてしまうアニメを見ると、いろいろと勘違いしてしまうと思う。
まぁ、それも含めて、原作の拡販素材と思えば、このアニメは確かに良質のティーザーになっているのかもしれないけれど。
でも、それだけなんだよね。
パワーもアキも、原作の方が100倍も1000倍もいいよ。
まぁ、でも最初から極彩色で描かれてしまうアニメでは、そもそも原作の画風に勝ち目はゼロなんだけどね。
そういう作品。