BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第2話 『ゆうしゃめんま』

2011-04-22 19:31:55 | あの花
うん。やっぱりいい話だね、これは。

ぽっぽの登場によって、じんたんとあなるの接点が回復した?エピソード。

ぽっぽ、ホント、ムードメーカーだな。
あなるも、実は、じんたんのことをずっと気にかけていたわけだね。うん。

結局、彼らが子供の時は、めんまがいわばお姫さまとして、
みんなの中心にいた、ということだよね。

で、そのめんまがこの世から去ったことで、
めんまを中心にできていた繋がりが自然と消えてしまった。

そう考えると、めんまの願いって、

超平和バスターズがもう一度仲良くなること、

って考えるのが自然だよな。

だから、それくらい、ベタベタに分かりきった展開にどんどん突き進むのかどうか。

とはいえ、どうも、ゆきあつやつるこは、一筋縄ではいかなそうだね。
じんたんの登校拒否というのもあるし。

ゆきあつに至っては、めんまへの想いがねじれた形で残っていて。
その姿をつるこはよく知っている。
今回、つるこがあなるに指摘したように、
自分でめんまのことに言及したそばから、その思い出に泣き崩れていたら世話はないわけで。

基本的には、

じんたん と めんま との良好な関係がかつてあって、
多分、二人とも両想いだった。
だって、ブス女!ってじんたんに言われたときの、めんまの表情ったらないからw

ただ、そのエピソードがあるから、
じんたんは、めんまにある負い目を感じているし、
あなるは、めんまとじんたんの二人に引け目を感じていて、
ほんとうはじんたんを想っているのにそのことを切り出せない。

そして、このエピソードについては蚊帳の外にあったゆきあつとつるこは、
しかし、あなるの死によって、蚊帳の外であったがゆえに、
蚊帳の外から、このエピソードを詰る立場に放置されたままになっている。
特に、ゆきあつはね。

めんまの気持ちを踏みにじったまま、めんまを死なせやがって、
というのがゆきあつの心情で、これは消えなくなった。

そして、その様子に感づいたつるこは、そのままゆきあつとともにあることを選んだ。

・・・って感じかな。概ね、彼らの人間関係は。

こう捉えると、めんまが今、現れたのは、

(「secret base ~君がくれたもの~(10 years after Ver.)」で歌っているように
 ホントに10年後なのかね?)

自分の死によって捻れた関係のままで時間が止まってしまった幼なじみたちが
もう一度、仲良くなってくれることを願ってのことなのだろうな、と。

だとすれば、今後の展開で気になるのは、
とりあえず、皆で集まり、ヨリをもどすのが、物語展開上、
中間目標になるのか、それとも、最終目標になるのか、というところだよね、やっぱり。

じんたんの登校拒否のことも考えると、できれば、中間目標にしてもらって、
5人+1幽霊がもう一度仲間として集まったところで、
めんまが求めるホントのこと、を探して成就させるところで終幕、というのを期待したいな。

というか、今回の最後の様子だと、じんたんが「ヒトゴトだよなぁ」と言っていたように、
めんま自身、自分が何をして欲しいかわからないまま、じんたんの前に現れたようだから、
その、めんまの「本当の願い」を皆で探すことがゴールとなるのだと思う。

ゆきあつとじんたんのわだかまりとかも、むしろ、その過程で解消されていく気がするな。


なんにせよ、いい第二話だった。
ポケモンもどきで、昔の思い出とともに、じんたんとあなるの溝が何となく埋まり始めたのもいい。

いやー、ホント、岩井俊二世界であり、大林宣彦世界だね。

それはそうと、めんまのCVの茅野愛衣さんは、きっと本作でブレイクするのだろうな。
ちょうど早見沙織さんが『東のエデン』でブレイクしたように。

そう思ってしまうくらい、めんまがカワイすぎるのだけどねw

いやー、いい話だ。

来週が楽しみ。

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魔法少女まどか☆マギカ 最終話 『わたしの、最高の友達』

2011-04-22 18:22:29 | まどマギ
「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。
すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女をこの手で。」

まどかが最後に願ったことは、
「希望から絶望に反転することで生じる魔女」が存在しない世界を創ること。

それは、魔法少女となった子たちが、希望を希望のままにして終える世界を維持すること。

そして、おそらくは、この願いにたどり着いたのは、
ほむほむが、彼女の願い=まどかを守ること、を無理だと思ったとたん、
ソウルジェムがグリーフシードへと変わり、魔女に転じてしまうから。

実際、まどかが現れた場面は、ほむほむ魔女化の一歩手前のところだったわけで。

だから、結局、このシステム改変を願い、かつ、その改変を可能にすることができたのは、

ほむほむの、自分を迷子と呼ぶくらいのループの繰り返しの賜物、ということになる。

つまり、この最終話の結末は、ほむほむとまどかの共同作業になったってこと。
だから、改変後の世界で、ほむほむの得物、というか魔法が、
従来の時間制御のものから、
まどかの弓矢を受け継いだものになったということだろうし、
それは同時に、ほむほむはまどかでもある、ということの表れだよね。


まどかが魔法少女/魔女システムを改変し、それによって、作中で神的存在となるのは、
そもそもQBによって何度も、その可能性が言及されていたので、
全くの想定内だったし、だから、全然驚くことはなかった。
(当のQBは一応マジで?、という具合に驚いていたようだけどw)

むしろ、システム改変に向かって、
それこそ、映像的にはベタに宇宙を描写するまでになったのはびっくりしたけどね。

マミさんの指摘のとおり、

まどか=魔女を滅ばす概念

として抽象的に、時空の流れを超越した存在になってしまったわけだけど。


こうなると、ワルプルギスの夜、という魔女自体も、
魔女の存在がどうこうというよりも、
ひたすら、ほむほむを追い詰める、というのが登場の意義だった、ってことになる。

なにせ、「概念まどか」wからすれば、ワルプルギスの夜も、
魔女化する前の段階で救うべき存在となるわけだから。

もう、慈悲とか慈愛とかのレベルで、敵対関係なんか最初から存在しなくなる。


それもあって、ワルプルギスの夜への対応はあっという間。

で、さやかのことになって。
さやかの願いそのものは消せないから、魔女化シナリオがない以上、
普通に「消滅=死」を迎えるしかなかったってことだよね。


で、最後は、ほむほむの物語として、幕を閉じる。
仕方ないよね、OPの主題歌がほむほむの心情を歌ったものだからw

もっとも、このほむほむは、「まどかほむほむ」だからw


ところで、

まどかが魔女化を阻止したけど、代わりに魔獣が登場する。
だから、まどかは別に世界を変えてしまったわけではない。
あくまでも、魔女化の阻止だけ。

その一部のシステム改変によって、希望が絶望に転じるような救われない世界ではなく、
とりあえず、魔獣のように、悪は悪である、というような存在に、
悪が最初から封じられた。というか、特徴付けられた。

だから、この改変後の世界が良い世界なのか、といったら、
単に、戦う当事者としての魔法少女にとって多少マシぐらいな世界に過ぎない。

絶望はないが、だからといって魔法少女が絶対安全圏にあるわけではなく、
彼女らには死も振りかかる。
負ければ死んでしまう(魔女となって災厄と化すことはなくなるが)。

なので、この改変をどう評価するかで、この物語自体の評価も左右されるような気がする。

その意味で、QBはまどかを神といったけど、

この神は、唯一絶対神、という存在ではなく、

むしろ、アポロンの宮殿に集まる、神話の神々の一人ぐらいのイメージだよね。

いわば魔法少女の守り神。





ということで、ホントに終わり。

繰り返しになるけど、システム改変は、ある意味、ループを持ったシナリオでは
定番的解決になるから、最後は、実はとても陳腐に終わったことになる。

ただ、これがホントにTrue Endだったのかな、という疑問は残る。
いや、もろもろの社会情勢を踏まえて、むしろ予定調和的な終幕に
土壇場でそれこそ「書き換えた」のではないかな、ってね。

もっとも、当初から想定された終わり方であったとすれば、
むしろ、途中退場したさやかの存在は、
この、まどか=概念化=汎神化、のために用意されていたとも言えるので。
つまり、まどかだけが、この世から消えた終わり方にならないように、
いわば、まどかとともにあちら側に行く?仲間としてさやかを配していた、という気もする。
この点は、もうちょっと落ち着いて考えないとよくわからないのだけどねw

そうだとすれば、さやかの消滅=死、といういわば確定シナリオが、
物語を支える一つの背骨になってるってことなのだけど。


ただ、もう一段目線を上げてみると、

この数年あった、ゲーム的展開、つまり、自分たちがあるゲームボードの上に入ることをあるタイミングでわかった上で、そのゲームのルールから変えることで、ゲームのあり方そのものを変える、

という展開の、見事なまでの反復が、このまどマギだったってことになる。

で、この戦略は、多分、これで終りになるんじゃないかな。

こう捉えると、まどマギは、途中まで想定されていた、2010年代の新しい物語を始める物語、という評価ではなく、むしろ、2000年代のゲーム的シナリオ展開の物語を終わらせた物語として記憶されるようになるのではないかな。

つまり、10年代を先導するのではなく、ゼロ年代に引導を渡す物語。

この点は、当初の想定と真逆の存在になったと思う。

ゲーム的見た目だけなら、それこそ『Angel Beats! 』なんかと変わらない。
魔法とみえたものは異世界の科学である、というのは、『禁書目録』と変わらない。
現在進行形の『ネギま』の展開だって、ほとんど同じ。
そういう感じ。

なので、思っていた以上に、定番の終わり方な気がするんだよね。
だからこそ、これがTrue Endだったのだろうか?という疑問は残る。

ま、このことは、もうちょっと時間をかけながら考えたいところだけど。

とはいえ、最高に面白かった作品であることは間違いない。

それだけに、この作品が終了したことの意義を余計に感じる。

気がついたら、また書いてるみる。

あー、それから、スピンオフも含めて、この世界は継続しそうなので、
実は第二期もそのうち出てきそう。
もしそうなら、その第二期の展開のさせ方にこそ、
本当の、10年代のオリジナリティが生まれてくるような気がするし、
そうなってくれることに期待したい。

というか、最終話の最後のパートの、ほむほむと魔獣の戦いは、
普通に考えたら、あれでもう一つ、お話を創るって感じだよね。
てか、魔獣ってなにさw
最終コーナーで、そんなもの、新たに出すかねw


まー、なにはともあれ、  面白かった! 楽しかった!!!

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魔法少女まどか☆マギカ 第11話 『最後に残った道しるべ』

2011-04-22 16:54:04 | まどマギ
待ちに待った最終二話の前半。

だけど、確かにこの内容だと、あのタイミングで放送するのは日本社会的に無理があったね。納得。
10話のほむほむのループの時の描写からこういう内容になるのは予想できたけど。
避難勧告が出て体育館に皆がいる、というシチュエーション自体、恐ろしいまでの時代とのシンクロで。

正直なところ、10話から間があいたこと、
そして、その間に世の中、いろいろあったことで、
この11話も、本来の、レギュラーな見方だったら可能だった鑑賞の仕方を失ってしまったと思う。
どこか、覚めた目で見てしまったから、
10話までのグイグイ画面に引き込まれる感じはしなかった。
どこかで、物語を客観的に見てしまってるんだよね。

それは、やっぱり残念なことなのだけど、
とはいえ、何であれ作品は、作り手と受け手の共同作業で受容されるから、
この状態も致し方ない、という感じ。

で、物語自体は、ついに来たワルプルギスの夜!ってことなのだが、
それを、大量火力で応戦するほむほむだけど、
通常火力の投下という、人間が用意したもので対戦しているのだから、
はなから勝てる気がしない。

ほむほむの奮闘は、まどかによるイレギュラーな終結方法のための、
前座、前口上にしか見えないところが辛いな。

ただ、QBが冒頭に言ったことで、
このループの世界においては、
ほむほむが今まで行なってきたことの意義、のようなものも、
随分、クリアにされた。

とりわけ、ループを繰り返すことで、まどかのあり方(因果?)に影響を与え、
予想を越えた、破天荒な魔力が期待される、という件は、
ループを繰り返す、という、ほむほむの孤独な試みが、
ある種の蓄積効果を生み出していることに繋がってるということで、
なるほど、と思った。

その蓄積効果が吉と出るか凶と出るかが、最終話に委ねられた、ということだけど。

とはいえ、どんな結末であれ、それは、

ほむほむ と まどか とによる共同作業

というのが明らかにされた、ということで。

これはこのループで初めて達成されたことということで、
よかったのではないかと思っている。

あと、この最終段階で、ママンが改めて絡んできてるけど、
ママンの口から、誰か(=QB)の口車に乗せられていないか、という
(視聴者ももつ)疑問をきちんと言葉にして問い直し、
それに対して、まどかが明確に、違う、と応えたところは名場面。

ママンは、この場面でまどかからこの言葉を引き出すために配置されたといってよい。
それくらい、いい場面だった。

さて、この流れを受けて、最後はどこへ向かうのか。

続きは、最終話を見てから。

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