今回、三玖は、わりとあっさりと、というか、実は期待外れなくらい、風太郎に選ばれなかったことに納得してしまった。
最後には、「私は私を好きになれたんだ」なんて、自己満足の言葉を残して、自己完結してしまったのだけど。
でも、相変わらず、日の出祭の時に言っていた、風太郎への恋が実らないことを知っている、という言葉の意味とか、わからないまま。
これ、このまま、特に説明もないまま、作者は逃げ切るつもりなのかな?
なんか、一花についても、前回の115話で、もう全部終わった、という見方もあるようだけど、一花にしても、例の京都旅行における「全部、嘘」の真意とか、明かされていないよね?
こうした伏線、というか、もっとあけすけに言えば「思わせぶりな発言」については、ここから先、もう触れずに、四葉以外は畳んだことにして終わるのかね?
なんか、ホントに敗戦処理、というか、消化試合、みたいなんですけど。
百歩譲って、もう残りの尺から見ても、これは四葉エンドで確定、というのは認めるにしても、これまでの過程で、適宜、ばらまかれてきた「伏線(という名のただの思わせぶりな言葉)」は、それなりに、あれはね?、という説明がほしいと思ってしまうのだけど。
それもなしなのかな?
さすがにそれはないと思いたいけど。
でもさ、たとえば、なんで竹林は突然、それこそ唐突に風太郎の前に現れたの?とかさ、なにかしら背景があったんじゃないの?と思わされてきたことは、結構あるじゃない。
その全部をスッキリさせろとは言わないけれど。
だいたい、どれだけあるのか見当つかないし。
でも、主だったもの、とりわけ、日の出祭でばらまいた発言や行動については、もう少し説明がほしい。。
でないと、あの五つ子ごとに時系列を入れ替えてきた物語構成って、単純に読者を最終的に煙に巻くためだけのものだった、ってことになりかねないから。
それは嫌だな。
ということで、そのあたりの(読者の)不満も含めて、二乃には爆発してもらいたい。
あるいは、五月に。
それにしても、五月って、いったいなんのためにいたんだろう?
ホント、ただのくいしんぼのデブで、要領の悪い意識高い系のアホの子だった、ってだけなのかね?
確かに、ただひとり、アホ毛はあったけどさw
そういう意味では、五月が最大の「伏線(と思しき思わせぶり)」だったんだけど。
最後には、「私は私を好きになれたんだ」なんて、自己満足の言葉を残して、自己完結してしまったのだけど。
でも、相変わらず、日の出祭の時に言っていた、風太郎への恋が実らないことを知っている、という言葉の意味とか、わからないまま。
これ、このまま、特に説明もないまま、作者は逃げ切るつもりなのかな?
なんか、一花についても、前回の115話で、もう全部終わった、という見方もあるようだけど、一花にしても、例の京都旅行における「全部、嘘」の真意とか、明かされていないよね?
こうした伏線、というか、もっとあけすけに言えば「思わせぶりな発言」については、ここから先、もう触れずに、四葉以外は畳んだことにして終わるのかね?
なんか、ホントに敗戦処理、というか、消化試合、みたいなんですけど。
百歩譲って、もう残りの尺から見ても、これは四葉エンドで確定、というのは認めるにしても、これまでの過程で、適宜、ばらまかれてきた「伏線(という名のただの思わせぶりな言葉)」は、それなりに、あれはね?、という説明がほしいと思ってしまうのだけど。
それもなしなのかな?
さすがにそれはないと思いたいけど。
でもさ、たとえば、なんで竹林は突然、それこそ唐突に風太郎の前に現れたの?とかさ、なにかしら背景があったんじゃないの?と思わされてきたことは、結構あるじゃない。
その全部をスッキリさせろとは言わないけれど。
だいたい、どれだけあるのか見当つかないし。
でも、主だったもの、とりわけ、日の出祭でばらまいた発言や行動については、もう少し説明がほしい。。
でないと、あの五つ子ごとに時系列を入れ替えてきた物語構成って、単純に読者を最終的に煙に巻くためだけのものだった、ってことになりかねないから。
それは嫌だな。
ということで、そのあたりの(読者の)不満も含めて、二乃には爆発してもらいたい。
あるいは、五月に。
それにしても、五月って、いったいなんのためにいたんだろう?
ホント、ただのくいしんぼのデブで、要領の悪い意識高い系のアホの子だった、ってだけなのかね?
確かに、ただひとり、アホ毛はあったけどさw
そういう意味では、五月が最大の「伏線(と思しき思わせぶり)」だったんだけど。