12話の最後は、原作第3巻と違っていた。
(詳しくは、このサイトの
野﨑まど 『バビロン 3 ―終―』 感想
も見てほしい)
アレックスが自殺するのではなく、正崎がアレックスを銃撃して殺害するというオチだったのだけど。
これは、さすがに、アメリカ大統領に自殺させるわけにはいかないから、ってどこからか、クレームがついたのかな?
それとも、むしろ、積極的に、日本人(=正崎)の手でアメリカ大統領(=アレックス)を殺す、という、ちょっとナショナリズムが入った気分を高めようとしたのかな?
いや、だって、このバビロン、一応、第3部は、2ヶ月おいての放送だったじゃない。
で、きっかり第3部から延期、って、単純に制作が間に合わなかったから、という理由ではないよね。
となると、一度進めていたシナリオにクレームが付いて作り直した、と捉えるほうが妥当だよね。
そうすると、一番の改変であったアレックスの自殺の取り下げ、がその理由だった、ということなのかね。
うーん、それにしても、あの最後のくだりの改変は理解できないな。
もっとも、原作のほうが良かったとも思わないけど。
でも、総じて第3部のアレックス編においては、本当はキリスト教の七つの大罪の話をちゃんと納得しながら進まないと、あるいは、前回のトロッコ問題のような哲学的な対話を噛み砕きながら読み進めないと、ただの猟奇殺人の話にしかならないからな。
その意味では、そのあたりの原作にあった「難しい、重たい本質」をきちんと消化しきれなかった監督や脚本家に問題があったのだろうな。
その点では、決して好きな作家ではないけど原作者の野﨑まどが、この終わり方に納得しているのかどうか、が気になる。
あっさり、曲瀬だけが生き残ったかのような描写になっていたしね。
(詳しくは、このサイトの
野﨑まど 『バビロン 3 ―終―』 感想
も見てほしい)
アレックスが自殺するのではなく、正崎がアレックスを銃撃して殺害するというオチだったのだけど。
これは、さすがに、アメリカ大統領に自殺させるわけにはいかないから、ってどこからか、クレームがついたのかな?
それとも、むしろ、積極的に、日本人(=正崎)の手でアメリカ大統領(=アレックス)を殺す、という、ちょっとナショナリズムが入った気分を高めようとしたのかな?
いや、だって、このバビロン、一応、第3部は、2ヶ月おいての放送だったじゃない。
で、きっかり第3部から延期、って、単純に制作が間に合わなかったから、という理由ではないよね。
となると、一度進めていたシナリオにクレームが付いて作り直した、と捉えるほうが妥当だよね。
そうすると、一番の改変であったアレックスの自殺の取り下げ、がその理由だった、ということなのかね。
うーん、それにしても、あの最後のくだりの改変は理解できないな。
もっとも、原作のほうが良かったとも思わないけど。
でも、総じて第3部のアレックス編においては、本当はキリスト教の七つの大罪の話をちゃんと納得しながら進まないと、あるいは、前回のトロッコ問題のような哲学的な対話を噛み砕きながら読み進めないと、ただの猟奇殺人の話にしかならないからな。
その意味では、そのあたりの原作にあった「難しい、重たい本質」をきちんと消化しきれなかった監督や脚本家に問題があったのだろうな。
その点では、決して好きな作家ではないけど原作者の野﨑まどが、この終わり方に納得しているのかどうか、が気になる。
あっさり、曲瀬だけが生き残ったかのような描写になっていたしね。