BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第118話 感想3: むしろ五月エンドは温まり始めている

2020-01-22 18:28:01 | 五等分の花嫁
流れを知ってからもう一度、第118話を読み直して思ったのは、

あれ、風太郎はホントに四葉のことが好きなのかな?

ということだった。

具体的な理由は、第100話の最後で風太郎がナレーションとして語ったことからなのだけど、あそこでは

「この選択は、あるいはこの選択をすることは、正しかったのだろうか」

と自問したうえで、

「そんなことを考えるには、三日間はあまりに短すぎた」

といい、とりあえずは自分を納得させている。

これ、普通に考えれば、この選択をこれが語られた後日において、後悔しているという表明だよね?

要するに、三日間では、正しい選択をすることができなった、ということ。

もちろん「この選択」とは、四葉を選んだことね。

で、117話冒頭の風太郎って、実はこの「後悔」モードの数歩手前の、117話の五月的にいえば、なんか「もやもやした」感じになっているんじゃないの?

あれ、これで、ほんとに良かったんだっけ? という感じ。

風太郎にとって、四葉って、あの日の出祭の勢いの中で、無理やり選ばされた感じも拭えない、という気にもなっていると思う。

その点で、やらされていることは、京都の修学旅行の時の映画村での三玖と大して変わらない。

周りのサポートがあって、むりやり正解(とおぼしきもの)を掴み取らされたという感じ。

でなければ、普通に考えて、今回、風太郎も、好きだ、と四葉にいってもいいシチュエーションだよね。

もしも、四葉のことが好きで好きでたまらないのなら、四葉の気持ちを盗み聞きした上で二乃に見つけられてしまった時点で、四葉に対して、言い残していた「俺もお前が好きだ」といってしまえばよかったのに。

それを、あそこで言いよどむかな。

むしろ、五月が「モヤモヤした感情がなくなった」ということに、「?どういうことだ」と問い直していたりして。

いまさらながら、風太郎って「好き」ってどういうことなんだろう?って悩んでたりしてはいないのかな?


先に言ってしまうと、今回までの話は、四葉が姉妹の不安を取り除いて、いよいよ風太郎にちゃんと向き合えるようになる、というお膳立てをしてきた回だったわけだけど、実は、それと同じくらい、五月が自分の気持ちにきちんと気づくことができたという意味では「アイム・レディー」、つまり「準備は整った」という回だったと思うのだよね。

つまり、一見すると、五月もまた二乃と同じように風太郎に対する気持ちに区切りをつけたように見えるけど、その実、五月が、風太郎を、二乃と同じくらいにまで「好き」になっていることを認める回だった、ということ。

そして、これは五月の悪い癖だけど、今回、けじめがつけたと思えたのも、単に二乃の威勢のいい宣言を聞いて納得してしまっただけのことで、実は、彼女自身の言葉で、風太郎に対して区切りをつけたわけでは全くないのが実情。

ホント、五月って、優等生なんだから!、ってこと。

だから、五月の場合は、むしろ、エンジンが温まってきた、ってことだと思うよ。

でなければ、今回のラストでわざわざ、「五月の思い出」として「零奈の姿で」風太郎とボートに乗ったシーンなんか思い出さないでしょ?

あれは、物語展開の上でも、五月が思い出すことで、同時に(こんなふうに毎回感想を上げてしまうような呆れた読者wではなく)普通の読者にも、改めて零奈のエピソードを思い出させるための誘導としてのシーンだった、のだと思う。

単行本なら、次の回のシーンにそのまま続くわけだし。

で、問題は、やはり、そんな「モヤモヤした感情がなくなった」という五月に対して風太郎が逐一気にかけていること。

ついでに言えば、彼が前回、五月に相談を持ちかけようとした内容が、明らかにされてはいない。

その意味では、四葉以上に、いま、風太郎がなにを考えているのか、全くわからない。


で、多分、風太郎的にどうしても気になるのが、零奈のことなんだろう。

そして、だからこそ、彼は99話で、日の出祭初日の午後3時に、わざわざ五つ子を「全員」招集して、

「俺はお前たち五人が好きだ」

と言ったのではないか。

すでに告白している二乃と三玖、加えてほぼ告白したような一花は、そう言われるのは理解できるとして、あの時、「あれ、え、私も?」と、四葉と五月も、慌てていたわけで。

で、あのシーンは、今から振り返れば、四葉については、純粋に、いつも俺を救ってくれてありがとう、というのが、風太郎の本心だったわけで、それが高じて「好意」に変わっていた。

でも、あの時、五月をも、風太郎が「好き」だと言った理由は、まだ風太郎からは明かされていない。

となると、風太郎としては、五月が零奈であると踏んでいて、それが理由で、五月に対しても好意を持っている、という判断をしたのだと思う。

だから、やはり、風太郎からしてみたら、零奈は誰かを突き止めるイベントを、誰が本当に「好き」なのか、はっきりさせるためにも、外すわけにはいかなくなる。


要するに、四葉が、風太郎のことは好きだけど、同時に、姉妹のことも大事です、というのと同じくらい、風太郎にとっては、「零奈」ならびに「京都の子」が誰か、はっきりさせないではいられない。

多分、この問題が、実際に四葉を(まずは)選んだ、という決断をしてから、具体的に風太郎の気持ちに覆いかぶさってきたのだと思う。

だから、風太郎は風太郎で、どこか四葉に対して、よそよそしい態度をとる。

なので、順番として、次回まずは、四葉と一緒にブランコを漕ぐことになるのだろうけど。

でも、それだけでは終わらないと思うのだよね。


そこで一つ気になるのが、日の出祭最終日(だけ)に、五月がわざわざ、

「君だって私の理想なんだよ、それだけ聞いてほしかったの」

っていったこと。

キーワードは「君」という呼称ね。

絶対、このタイミングで風太郎を「君」と呼ばせたのは、時間軸的には、日の出祭三日目の、この五月とのイベントの前に起こっていた、四葉による「夢うつつ」の風太郎のキスを五月がしたのではないか?と、風太郎に誤解させる、というよりも、ミスリードさせるためのものなのではないか、と。


しかも、五月がこう呼びかけるシーンの直前では、階段を降りてくる五月が(鐘キスのときの五月のように)風太郎に覆いかぶさるようにするカットが挟まれて、あまつさえ風太郎自身、鐘キスのことを思い出して赤面しているような場面に続いている。

しかも、わざわざ、階段の前後で話す、という形で。

この五月との階段のシーンは、

6年前の京都で、京都の子(=四葉)が風太郎に声をかけてくれたシーン

を思い出させると同時に、

直前の夢うつつの風太郎に対して、今の高3の四葉が、しかし口調だけは「京都の子=零奈」としてキスするシーン

をも思い出させるものだから。

この、四葉から五月へという流れで行けば、風太郎が、五月を零奈、そして京都の子と誤認してもおかしくはないと思う。

もっといえば、この結果、風太郎は、四葉は「京都の子」ではないと誤認して、それもあって、四葉を選ぶことになったのではないか。


ただ、その判断がだんだんわからなくなってきた。

多分、風太郎は風太郎で、零奈のことが気になって仕方がない。

そのため、零奈の最有力候補として五月も「好き」の対象に入っていた。

とにかく風太郎は五月が「零奈」であり「京都の子」であることをはっきりさせたくて仕方がない

それが、117話で、風太郎が、五月を昼飯に呼び出した理由だったのではないか?という気がしている。

もっといえば、風太郎は、五月が零奈であってほしいと思っている。

要するに、118話の話を受けても、いまだに、四葉エンド以外のルートがあるんじゃないか、と思っているわけで、そのなかで、可能性が高いのが、やはり五月エンドではないかな、ということ。

そして、そのためのお膳立てが、五月自身、「零奈」を演じたことを今回の最後で思い出したことで、本格的に整ったのではないか、ということ。

だって、あの、らいはにせがまれて撮ったプリクラが、いま振り返られるなんて、反則以外のなにものでもないじゃない。

ただ、問題は、京都の子は四葉であって、零奈は五月であること。

そういう意味では、風太郎がどちらを選ぶのかは、五分五分かもしれない。

ただ、それでも五月が優位だと思うのは、風太郎の100話最後のナレーション。

「この選択」は正しかったのか?

つまり、まだまだ、簡単には終わらないと思う。

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五等分の花嫁 第118話 感想2: 物語の語り手は風太郎ではなく〈彼女〉だった?

2020-01-22 11:50:20 | 五等分の花嫁
118話の結果を受けてこれで首尾よく、四葉と風太郎がお付き合いするようになりそう。

ただ、こうなってくると気になるのは、風太郎も四葉とともに、小学生のときの京都での出会いをすっきり「健忘」でもしない限り、彼のナレーションが成立しないのだけど。

このあたり、どう解決するのだろう?

で、思いついたのは、第1話冒頭の独白として、

「夢を見ていた、君と出会った高校二年の日、あの夢のような日の夢を」

と語っているのは、今まで風太郎だとばかり思っていたのだけれど、実はそうではなく、五つ子のほうであった、ということ。

となると、、風太郎のことを「君」と呼ぶのは誰か、ということ。

それは、四葉、五月、しいていえば、一花、なのだけど。

でも、118話に出てきた「恋の思い出」という言葉につなげれば、第1話冒頭の言葉を告げていたのは、五月、でもいいように思える。

つまり、この『五等分の花嫁』という物語の「語り手」は、今までずっと新郎である風太郎だとばかり思っていたのだけど、そうではなく、結婚式のシーンを眺めている「五月」だったのではないかということ。

『五等分の花嫁』という物語は、(風太郎のではなく)五月の回想として語られていた。

だったら、一応、整合性はつくし、五月が最初から、物語の要所要所に関わってきてもおかしくはない。

なぜなら、この物語は、五月が回想して語っているものだから。

それなら、いわゆる「五月皆勤賞」という現象にも説明がつくし。

いや、こう考えるのは、多分に118話のタイトルである「五月の思い出」に引っ張られているからなのだけど。でも、それなら、五月に、日の出祭の時に、風太郎を「君」と呼ばせた意味もあるよね。

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五等分の花嫁 第118話 『五月の思い出』 感想: 第119話は四葉&風太郎があの公園でブランコを漕ぐシーンで決定かな?

2020-01-22 10:48:15 | 五等分の花嫁
うーん、なんか、もう完全に、ねぎ先生の手のひらの上で踊らされてるなぁw

前回の盛り上がりはどこに行った?というくらい、キレイに納めた、二乃と、ついでに五月の、決着回。

・・・って、そうだよね? これ?

二乃は、いつもどおりの「いつでもフーくんを狙っている!」と宣言し、

五月も、零奈として過ごした日々を「思い出」として封印し、「恋の記憶」にしてしまう。

で、結局、物語開始当初のような、でも確かに一周回ってきました!、という感じの、五つ子と風太郎の距離感の再演。

ホント、ねぎ先生にいいようにあしらわれているなぁ、読者はw


それから一応、確認しておくと、どうやら、前回の作中時間は、日の出祭が終了してから、大して経っていない、というか、三玖とカラオケで貫徹した翌日、ないしは翌々日くらいでいいみたい。

前回の五月と下田さんのやり取りを見ると、もう少し日にちが経っていたようにも感じたけど、それも含めて、ねぎ先生にやられた、ってことだね。

ともあれ、118話をもって、一応、四葉以外の五つ子の、風太郎に対する気持ちは一通り整理がついた、ってことかな。

となると、逆に気になるのは、前回、風太郎が五月に相談しようとしたことは何だったのか?ということなのだけど。

あれも、今回の、四葉と二乃の会話の盗み聞きで、風太郎的にはすっきりした、でいいのだろうな。

まぁ、多分、四葉が自分をどう思っているのか、よくわからなくなった、どうしよう? というくらいのことだったのかもしれないけれど。


しかし、これでまた、状況はもとに戻ってしまった。

相変わらず、四葉は、京都の子の話はしない、五月は、今回、回想でこそ出ていたけど、零名のことにも触れていない。

そうすると、やはりねぎ先生としては、「四葉=京都の子」という事実のバレには、完全に目をつぶって、最終コーナーまで行く、ってことなのかな。

それとも、今回をもって、四葉の姉妹に対する憂いはひとまず解消されたので、四葉の希望通り、風太郎と四葉が「おつきあい」を始める中で、四葉の口からすべて語られて、風太郎の了解をとっていくのかな?

外堀はすでに埋めてあるから、安心して明かすことができる、ということで。

となると、次回は、四葉と風太郎が、あの公園で、あのブランコを、一緒に漕ぐシーンなのかね。

あの場で、すべて明かされる

なるほどねー。

ただね、こうなってくると、風太郎も四葉とともに、小学生のときの京都での出会いを「健忘」でもしない限り、あの場面が成立しないのだけど。

このあたり、どう解決するのだろう?

それとも、もうそのあたりは完全に不問にして決着させるのかな?

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