アレックスと正崎がようやく対面。
フランス大統領のルカも登場。
しかし、日本だと「新域」なんていう架空の特区でなんとなくホンモノっぽく見せることができたけど、話がアメリカにまで飛ぶと、スケールが大きくなった分、ウソっぽさが増したように見えるから不思議。
というか、大統領の距離が近すぎでしょ、いくらなんでも。
あと、ホワイトハウスだけでなくワシントンDC自体がペラペラに薄く見える。
原作の文章を読んでいるときには気にならなかったけど、映像にすると、とたんに、制作スタッフの理解度の薄さが露呈してしまう感じ。
というか、監督の絵コンテが貧弱なんだろうけど。
せめてドラマの『ホワイトハウス』ぐらいは見て、感じを掴んでほしかったなぁ。
FBI長官のブリーフィングがあるなら、当然、大統領執務室におかれたソファを使いながらのものになるんじゃない?
そこで、大統領、首席補佐官、国務長官、FBI長官が着席して内容確認をしているところに、正崎が呼ばれて着席(当然末席)を勧められる、という感じじゃない?
なんか、アレックスを囲んだやり取りが、ホワイトハウスというよりも、日本の官庁のようなやり取りになってしまっていて、リアリティがだだ下がりだよ。
この作品、というか、野﨑まどの小説って、ギリギリまでリアリズム的な描写を保ちながら、その限界でオカルトの世界、完全フィクションの世界に入っていくから、逆に言うと、オカルトが発生するまでの描写はリアリズムに徹さないと、本当にオカルトになった時にサプライズが起こらずに、ただの茶番になってしまう。
7話で、曲瀬が猟奇殺人に至る場面も、そこまでの描写が、たとえば暗い地下、捜査車両での情報収集など一定レベル以上のリアリティを確保していたからこそ、バラバラ殺人の凄惨さも増したわけでしょ?
だったら、8話以降のアメリカ編でも、そうしたリアリズムの担保は必要なはずなのに、たとえば、アレックスにしても、ゲーム画面を眺めているだけになる。
まぁ、こちらがすでに、この先の原作の展開を知っているから、というのもあるのだろうけど、それにしても、背景描写を含めて、製作サイドの勉強が足りない感じがする。
これはあんまり意味のない想像だけど、たとえば、この作品の製作をボンズが元請けしていたら、きっとワシントンDC取材とかして、背景に対する一定のリアリズムを確保できるよう、事前に動いていたと思うのだよね。
しかも、今回、自殺法がもつ「人類史における革新性」という、結構重い話を、アレックスと市長の間でやり取りしていたはずなのだけど、そこも徹底的に軽かった。
もうちょっと、やる気を見せてくれないかなぁ。
もっとも、今さら言っても詮無いことなんだけどね。
でもね、とにかく絵が軽い。物語が軽い。リアリズムがない。
さすがに東京が舞台のときはここまで軽くはなかったのだけど。。。
フランス大統領のルカも登場。
しかし、日本だと「新域」なんていう架空の特区でなんとなくホンモノっぽく見せることができたけど、話がアメリカにまで飛ぶと、スケールが大きくなった分、ウソっぽさが増したように見えるから不思議。
というか、大統領の距離が近すぎでしょ、いくらなんでも。
あと、ホワイトハウスだけでなくワシントンDC自体がペラペラに薄く見える。
原作の文章を読んでいるときには気にならなかったけど、映像にすると、とたんに、制作スタッフの理解度の薄さが露呈してしまう感じ。
というか、監督の絵コンテが貧弱なんだろうけど。
せめてドラマの『ホワイトハウス』ぐらいは見て、感じを掴んでほしかったなぁ。
FBI長官のブリーフィングがあるなら、当然、大統領執務室におかれたソファを使いながらのものになるんじゃない?
そこで、大統領、首席補佐官、国務長官、FBI長官が着席して内容確認をしているところに、正崎が呼ばれて着席(当然末席)を勧められる、という感じじゃない?
なんか、アレックスを囲んだやり取りが、ホワイトハウスというよりも、日本の官庁のようなやり取りになってしまっていて、リアリティがだだ下がりだよ。
この作品、というか、野﨑まどの小説って、ギリギリまでリアリズム的な描写を保ちながら、その限界でオカルトの世界、完全フィクションの世界に入っていくから、逆に言うと、オカルトが発生するまでの描写はリアリズムに徹さないと、本当にオカルトになった時にサプライズが起こらずに、ただの茶番になってしまう。
7話で、曲瀬が猟奇殺人に至る場面も、そこまでの描写が、たとえば暗い地下、捜査車両での情報収集など一定レベル以上のリアリティを確保していたからこそ、バラバラ殺人の凄惨さも増したわけでしょ?
だったら、8話以降のアメリカ編でも、そうしたリアリズムの担保は必要なはずなのに、たとえば、アレックスにしても、ゲーム画面を眺めているだけになる。
まぁ、こちらがすでに、この先の原作の展開を知っているから、というのもあるのだろうけど、それにしても、背景描写を含めて、製作サイドの勉強が足りない感じがする。
これはあんまり意味のない想像だけど、たとえば、この作品の製作をボンズが元請けしていたら、きっとワシントンDC取材とかして、背景に対する一定のリアリズムを確保できるよう、事前に動いていたと思うのだよね。
しかも、今回、自殺法がもつ「人類史における革新性」という、結構重い話を、アレックスと市長の間でやり取りしていたはずなのだけど、そこも徹底的に軽かった。
もうちょっと、やる気を見せてくれないかなぁ。
もっとも、今さら言っても詮無いことなんだけどね。
でもね、とにかく絵が軽い。物語が軽い。リアリズムがない。
さすがに東京が舞台のときはここまで軽くはなかったのだけど。。。