もちろん、真面目に信じているわけではないけれどw
でも、確かに、ここのところの展開が、四葉の見ている夢というなら納得できることは多いね。
まずは、四葉にとって都合の悪い過去の封印ネタは一切、話題にならないこと
いまだに、彼女が「京都の子」であったことや、五月を焚き付けて零奈を演じさせたことなど、風太郎の前で話題になったことない。
あるいは、四葉のせいで転校しなくちゃいけなかった、ということまでは風太郎も知ってはいるけど、その理由や、そのとき、どう思っていたか、ということにも触れられてはいない。
まぁ、このあたりは、読者だけが、いわゆる「神の視点」から特権的に知ってしまっているだけ、といえばそれまでなのだけど。
でも、いい加減、この話が出てもいいんじゃない、ってこと。
次に、風太郎の振る舞いが妙に子供じみてきたこと。
これは特に今回の、恥ずかしいプロポーズ場面などが典型だけど、突如として風太郎がただの高校男子になってしまったこと。
これには、さすがに彼のキャラ崩壊なみに違和感を覚えたのだけど。
でも、このプロポーズというセリフは、次に四葉から「夢はお嫁さん」という言葉を引き出すための導入に過ぎないようにもみえて。
裏返すと、確かに、これが四葉の見ている夢ならば、「夢はお嫁さん」と言いたいから風太郎に言わせた、という感じがひしひしとするw
前に、五つ子が風太郎に、出世払いで家庭教師を頼んだとき、「でも、さすがになにかお返しをしないと・・・」と五つ子が悩んだ際に、四葉以外の四人が「キスをする」という選択肢を共通して思い浮かべたのに対して、四葉だけが、何かメダルをあげることを考えていたけれど。
どうも、あの時に通じる「子どもっぽさ」が、ここのところの風太郎にも感じさせられる。
でも、それが「四葉の願望」の投影であるなら、逆にとても納得できてしまう。
119話でも、電車の中で、四葉が窓際にいる風太郎をかばうように右手を出しながら他の人からかばう場面があったけど、あそこなんて、完全に、普通の男女の主導権が入れ替わっていて、四葉のほうがエスコートしているようにも見えてしまう。
もちろん、風太郎も「これ、逆じゃね?」とぼやいていたわけだけど。
でも、あの場面も四葉の「風太郎を守りたい」という願望の反映だといわれれば、あぁー、確かに、って思うしかない。
ということで、もっとあれこれ細かいところを指摘することもできるけど、確かに、なんだか、四葉にとって都合の良い世界、都合の良い風太郎、都合の良い姉妹が、登場しているように見える。
じゃあ、仮にこれは確かに四葉の見ている夢だったとすると、それはいつから始まったのか、ということになるけど。
その場合は、107話で日の出祭2日目に竹林と話している最中に倒れてしまい、そのまま病院にかつぎ込まれてしまった、あの時なんだろうな。
あれ以来、ずっと夢を見ている。
まぁ、俗説にある、『ドラえもん』は昏睡状態にあるのび太が見た夢、ってやつに近い話だけど。
でもそうなれば、とりあえず、日の出祭3日目以降の話は、すべて四葉の夢であり、四葉にとって都合の良い話が続いてもおかしくはない、ってことになる。
でも、さすがに、四葉が日の出祭2日目以来ずっと昏睡状態にある・・・なんてトンデモ設定は考えづらいので、これはまさに「都市伝説」でしかないと思うけどね。
ただ、こんな「妄想」が一定の説得力を持ってしまうのは、115話以降の、簡単にいえば、年明け以後の展開が、あまりに四葉にとって都合の良い展開になっているからで。
だって、
オルト一花を生み出すくらい腹黒だった一花が、未練はあれど、あっさり、風太郎を譲る素振りを見せ、
風太郎に告白し、その上、風太郎に覆いかぶさってキス(+α)攻勢をかました三玖は、風太郎との出会いで、自分は自分を好きになれた、とか言って、一人で勝手に納得して撤退を決め、
一番面倒な二乃には、「今は譲るがすきがあればいつでも奪う」と二乃らしく戦線後退を宣言させ、
五月には、都合の悪いことは一切言わせずに、自分のサポート役に徹してもらっている(もちろん、五月が自分の恋心に気づく、という描写はあったけれど)。
これだけ並べられたら、まぁ、確かに、これは四葉の見る夢だ、となってもおかしくはないよね。
だから、それくらい、115話以降の展開は、どこか「おかしい」んだよ。
それは、簡単に言えば、突然、語り部が、(風太郎から)四葉に変わってしまったような違和感。
その結果、風太郎も、なんだかだらしない少年に舞い戻ってしまったようで。
あの、連載初期にあった、唯我独尊の「自信過剰」君は、どこへ行ってしまったのか?
こんなに突然、等身大の高校男子になられても困ってしまう。
ということで、これが何らかの意図がないまま描かれているのだとしたら、さすがにねぎ先生は、物語の基本を崩している、ということになる。
なら、その「何らかの意図」って何?ってことだけど。
その意図が、残り数話で開陳される、という理解でいいんだよね?先生?
さすがに、四葉の夢オチはありえないだろうと思うけど。
でもね、何か、お話の語りがおかしいんだよ。
今のままでは、
風太郎から見た『五等分の花嫁』、ではなく、
四葉から見た『一等分の花婿』(苦笑)、に見えてしまう。
誤解してほしくないのは、別に四葉エンドが絶対イヤだ、というのではなく、仮に四葉エンドだとしても、今の展開は、なんかおかしい、不自然だ、と感じてしまう、ということ。
だから、このまま四葉エンドになるにしても、きちんと彼女に、五月に零奈を演じさせるような「卑怯なマネ」をしたことを告白させて、風太郎の反応を描いて欲しいと思う。
そうでないと、また、一花や五月あたりが動き出しそうで、気が気でないのです。。。
でも、確かに、ここのところの展開が、四葉の見ている夢というなら納得できることは多いね。
まずは、四葉にとって都合の悪い過去の封印ネタは一切、話題にならないこと
いまだに、彼女が「京都の子」であったことや、五月を焚き付けて零奈を演じさせたことなど、風太郎の前で話題になったことない。
あるいは、四葉のせいで転校しなくちゃいけなかった、ということまでは風太郎も知ってはいるけど、その理由や、そのとき、どう思っていたか、ということにも触れられてはいない。
まぁ、このあたりは、読者だけが、いわゆる「神の視点」から特権的に知ってしまっているだけ、といえばそれまでなのだけど。
でも、いい加減、この話が出てもいいんじゃない、ってこと。
次に、風太郎の振る舞いが妙に子供じみてきたこと。
これは特に今回の、恥ずかしいプロポーズ場面などが典型だけど、突如として風太郎がただの高校男子になってしまったこと。
これには、さすがに彼のキャラ崩壊なみに違和感を覚えたのだけど。
でも、このプロポーズというセリフは、次に四葉から「夢はお嫁さん」という言葉を引き出すための導入に過ぎないようにもみえて。
裏返すと、確かに、これが四葉の見ている夢ならば、「夢はお嫁さん」と言いたいから風太郎に言わせた、という感じがひしひしとするw
前に、五つ子が風太郎に、出世払いで家庭教師を頼んだとき、「でも、さすがになにかお返しをしないと・・・」と五つ子が悩んだ際に、四葉以外の四人が「キスをする」という選択肢を共通して思い浮かべたのに対して、四葉だけが、何かメダルをあげることを考えていたけれど。
どうも、あの時に通じる「子どもっぽさ」が、ここのところの風太郎にも感じさせられる。
でも、それが「四葉の願望」の投影であるなら、逆にとても納得できてしまう。
119話でも、電車の中で、四葉が窓際にいる風太郎をかばうように右手を出しながら他の人からかばう場面があったけど、あそこなんて、完全に、普通の男女の主導権が入れ替わっていて、四葉のほうがエスコートしているようにも見えてしまう。
もちろん、風太郎も「これ、逆じゃね?」とぼやいていたわけだけど。
でも、あの場面も四葉の「風太郎を守りたい」という願望の反映だといわれれば、あぁー、確かに、って思うしかない。
ということで、もっとあれこれ細かいところを指摘することもできるけど、確かに、なんだか、四葉にとって都合の良い世界、都合の良い風太郎、都合の良い姉妹が、登場しているように見える。
じゃあ、仮にこれは確かに四葉の見ている夢だったとすると、それはいつから始まったのか、ということになるけど。
その場合は、107話で日の出祭2日目に竹林と話している最中に倒れてしまい、そのまま病院にかつぎ込まれてしまった、あの時なんだろうな。
あれ以来、ずっと夢を見ている。
まぁ、俗説にある、『ドラえもん』は昏睡状態にあるのび太が見た夢、ってやつに近い話だけど。
でもそうなれば、とりあえず、日の出祭3日目以降の話は、すべて四葉の夢であり、四葉にとって都合の良い話が続いてもおかしくはない、ってことになる。
でも、さすがに、四葉が日の出祭2日目以来ずっと昏睡状態にある・・・なんてトンデモ設定は考えづらいので、これはまさに「都市伝説」でしかないと思うけどね。
ただ、こんな「妄想」が一定の説得力を持ってしまうのは、115話以降の、簡単にいえば、年明け以後の展開が、あまりに四葉にとって都合の良い展開になっているからで。
だって、
オルト一花を生み出すくらい腹黒だった一花が、未練はあれど、あっさり、風太郎を譲る素振りを見せ、
風太郎に告白し、その上、風太郎に覆いかぶさってキス(+α)攻勢をかました三玖は、風太郎との出会いで、自分は自分を好きになれた、とか言って、一人で勝手に納得して撤退を決め、
一番面倒な二乃には、「今は譲るがすきがあればいつでも奪う」と二乃らしく戦線後退を宣言させ、
五月には、都合の悪いことは一切言わせずに、自分のサポート役に徹してもらっている(もちろん、五月が自分の恋心に気づく、という描写はあったけれど)。
これだけ並べられたら、まぁ、確かに、これは四葉の見る夢だ、となってもおかしくはないよね。
だから、それくらい、115話以降の展開は、どこか「おかしい」んだよ。
それは、簡単に言えば、突然、語り部が、(風太郎から)四葉に変わってしまったような違和感。
その結果、風太郎も、なんだかだらしない少年に舞い戻ってしまったようで。
あの、連載初期にあった、唯我独尊の「自信過剰」君は、どこへ行ってしまったのか?
こんなに突然、等身大の高校男子になられても困ってしまう。
ということで、これが何らかの意図がないまま描かれているのだとしたら、さすがにねぎ先生は、物語の基本を崩している、ということになる。
なら、その「何らかの意図」って何?ってことだけど。
その意図が、残り数話で開陳される、という理解でいいんだよね?先生?
さすがに、四葉の夢オチはありえないだろうと思うけど。
でもね、何か、お話の語りがおかしいんだよ。
今のままでは、
風太郎から見た『五等分の花嫁』、ではなく、
四葉から見た『一等分の花婿』(苦笑)、に見えてしまう。
誤解してほしくないのは、別に四葉エンドが絶対イヤだ、というのではなく、仮に四葉エンドだとしても、今の展開は、なんかおかしい、不自然だ、と感じてしまう、ということ。
だから、このまま四葉エンドになるにしても、きちんと彼女に、五月に零奈を演じさせるような「卑怯なマネ」をしたことを告白させて、風太郎の反応を描いて欲しいと思う。
そうでないと、また、一花や五月あたりが動き出しそうで、気が気でないのです。。。