いよいよクランクインする、映画『15年の嘘』
今回は、映画製作に向けた配役紹介回w
で、それに備えた出演者揃い踏みによる「本読み」回。
なるほど、配役はこうなっていたのね、と素直に驚いたけど、
いや、それにしても、メルトが吾郎って大丈夫?
あとは、ツクヨミがどんなジョーカーになるのか?
あと、監督が気にしていた「愛せない」は、あれ、実はアクアとルビーに向けたものじゃないのか?って思っている?
そういう意味では、アイが生前ずっと口にしていた、自分の愛は嘘、というのがどこまで効いてくるのか。
要するに、アイドルとして、ファンに対する振る舞いは、どれもこれも嘘だったということなわけで、
そうすると、生前の吾郎とさりなにしても、その嘘にふりまわされていたわけで、その嘘が、アクアとルビーに転生して以後、どう効いてくるのか。
愛は嘘、というのは本作の主題なんだろうけどね。
それを作中劇である『15年の嘘』で、あらかじめシミュレーションすることで、どのように本筋の流れを変えることになるのだろう。
しかし、この配役でいくと、これまで観察力の鋭いあかねだけが抱いていたアクアとルビーに対する理解を、かなやMEMちょ、あるいはフリルたちも抱いてしまいそうで怖い。
特に、かな。
場合によると、アクアが壊れるのを避けるために、かなとあかねで協力し合う、とかの展開もありかもしれない?
あるいは、実はMEMちょのファンだったと告白したフリルによって、MEMちょとフリルという新しい「トリックスターコンビ」が誕生して、彼女たちが場外から様子を伺いつつ、適度にかき混ぜることになりそうな気もする。
ともあれ、映画製作編は、完全にメタな自己言及の作りなので、アクアによる本作への批評ないしは読解になることは間違いない。
それが予め本作の読者やファンからの期待や批判をいなすものになりそうなので続々する。
作者からすれば、体の良い自己弁明の機会となるから。
ただその全部が誠実な弁明ではないことも確かで。
そういう意味で、愛は嘘、というセオリーはズルいんだよな・・・w
今回は、映画製作に向けた配役紹介回w
で、それに備えた出演者揃い踏みによる「本読み」回。
なるほど、配役はこうなっていたのね、と素直に驚いたけど、
いや、それにしても、メルトが吾郎って大丈夫?
あとは、ツクヨミがどんなジョーカーになるのか?
あと、監督が気にしていた「愛せない」は、あれ、実はアクアとルビーに向けたものじゃないのか?って思っている?
そういう意味では、アイが生前ずっと口にしていた、自分の愛は嘘、というのがどこまで効いてくるのか。
要するに、アイドルとして、ファンに対する振る舞いは、どれもこれも嘘だったということなわけで、
そうすると、生前の吾郎とさりなにしても、その嘘にふりまわされていたわけで、その嘘が、アクアとルビーに転生して以後、どう効いてくるのか。
愛は嘘、というのは本作の主題なんだろうけどね。
それを作中劇である『15年の嘘』で、あらかじめシミュレーションすることで、どのように本筋の流れを変えることになるのだろう。
しかし、この配役でいくと、これまで観察力の鋭いあかねだけが抱いていたアクアとルビーに対する理解を、かなやMEMちょ、あるいはフリルたちも抱いてしまいそうで怖い。
特に、かな。
場合によると、アクアが壊れるのを避けるために、かなとあかねで協力し合う、とかの展開もありかもしれない?
あるいは、実はMEMちょのファンだったと告白したフリルによって、MEMちょとフリルという新しい「トリックスターコンビ」が誕生して、彼女たちが場外から様子を伺いつつ、適度にかき混ぜることになりそうな気もする。
ともあれ、映画製作編は、完全にメタな自己言及の作りなので、アクアによる本作への批評ないしは読解になることは間違いない。
それが予め本作の読者やファンからの期待や批判をいなすものになりそうなので続々する。
作者からすれば、体の良い自己弁明の機会となるから。
ただその全部が誠実な弁明ではないことも確かで。
そういう意味で、愛は嘘、というセオリーはズルいんだよな・・・w