(感想1、感想2、感想3、感想4、感想5、感想6、感想7もあります)
最終話である第271話の感想とは別に、物語として完結したことについて、あれこれ、書いてみたい。
語りたいことは多々あるので。
あと、伏線とは別に、この作品は、途中の描写で、あとになってからでないと気付かないイースターエッグが結構多いので、そういうところはおいおい全編を見直してから、ということになるだろうけど。
ということで、物語全体を俯瞰して、今回の話で気がついたことのひとつが、
あれ、結局、この『呪術廻戦』って『呪術廻戦〇』の反復なのではないか?
ということ。
つまり、簡単に言うと、
『〇』における「乙骨とリカ」の物語が、『呪術廻戦においては「虎杖と宿儺」の物語として語り直されたのでないか、ということ。
そういう意味では、リカが「呪いの女王」で、宿儺が「呪いの王」というのは、両者が対の存在であることをそれとなく示唆していた。
リカのケースは、乙骨が無意識のうちにかけた呪いとして、
虎杖のケースは、かつて宿儺が食った魂の流れ着いた先として、
とにかく、呪いによる因縁が先に設定されていて、いかにしてその「呪い」を祓うのか、ということがテーマだった、ということ。
そういう意味では、里香が消えたあとにリカが残った、というのは、虎杖と宿儺の今後を想像するうえでは何かと示唆のように思われる。
それから、今回、最後に虎杖の回想だけど、五条が出てきて、虎杖に期待の言葉をかけた場面は、確か『〇』でも似たような言葉を五条は乙骨にかけていたはず。
そうすると、実は、五条って、『〇』と『呪術廻戦』をつなぐ膠役だったのではないかと思えてくる。
あと、虎杖にかけた言葉から見ても、やはり五条は、宿儺との戦いを半分以上、自分の死地として考えていたみたい。
そういう意味では、例の『南へ』で、あの世の夏油や七海に言ってたことは本音だったということだよね。
今まで事実上、本気で戦うことができなかった五条が、リミッタを全部外して本気で臨んで、それでやられたのだからしかたない、あきらめもつくということ。
戦いとして楽しめたし、それで、俺も夏油を追いたい、と思っていた気持ちにも整理がついてほっとした、ってことで。
言い換えると、
五条は『呪術廻戦〇』と『呪術廻戦』のつなぎ役。
なので、乙骨と虎杖が出会った時点で五条の役割は実は終わっていた。
「乙骨と里香/リカ」と「虎杖と宿儺」の関係は、ともに「呪い」で縛られた双子であり鏡像のような関係だったが、物語の最後で、その因果を溶きほぐし、互いに融和的な関係を築くことで、それぞれが自由になれた、解放された。
つまり、『呪術廻戦〇』と『呪術廻戦』は実は同型の物語構造をもっていて、その意味で、今回の終幕は、約束されたものだった、ということ。
要するに、『〇』の最後で、乙骨が里香にかけた呪いを解いて成仏させてあげたように、『呪術廻戦』の最後では、虎杖が千年の時を超えて出会った「半身」である宿儺の呪いを解いて成仏させてやった。
突き詰めるとそれだけの話。
というか、作者である芥見下々の引き出しにあったのは、どうやら、この物語のパタンだけだった。
なので、続編は、確かに芥見下々には無理なのかもしれない。
また同じことをやるしかないから。
つまり、因縁ある二人が出会い、その因縁の解除のために、一方が他方を「赦す」ことで成仏させる、というパタンが繰り返されるだけになる。
『〇』で描いた習作を、もっときっちり塗って描いたのが『呪術廻戦』だった。
そういう意味では、羂索が当初、偽夏油で現れたのも必然だったし、渋谷事変で、百鬼夜行を繰り返したのも予定調和だった。
ただいろいろと『〇』で示したディテールを、あれこれ設定をつけて派手に盛ったのが『呪術廻戦』だったということ。
さすがに同じパタンを3回やるわけにはいかないから、『呪術廻戦』の続編なりスピンオフなりをするにしても、作者が意識して、自分で扱えると確信できる別の物語を見つけない限り、多分、やる気が起きないのではないかと思う。
そういう意味では、VS宿儺戦を延々続けたのも、いかにして「虎杖vs宿儺」の対決に持ち込むのか、そのために、総力戦にしてとにかく虎杖しか残らなかった、という形にしたかったんだろうな。
あと、伏黒を宿儺受肉体にしたのも、虎杖が一人で宿儺に向き合うためには伏黒が邪魔だったから。
釘崎が最後まででてこなかったのも同じ理由。
最初から、虎杖、伏黒、釘崎の3人で戦っちゃだめだった。
もっとも、虎杖と宿儺の戦いは、宿儺の討伐だけでなく伏黒の救済でもあったことは、明らかに、五条と夏油の失敗を繰り返さない、という話でもあったのだと思う。
そのために『呪術廻戦』では、五条と夏油がバディしてた時代の話を途中で行う必要があった。
以上が『呪術廻戦』の物語の基本構造。
その骨組みにあれこれ肉をつけて物語にするわけだけど、その際に調子に乗ってあれこれ盛り付けたら、設定の穴がアレコレ出てきて、最後はある意味、丸投げして無視を決め込むしかなかったということが実情だったのだと思う。
そういう意味では、死滅回游も天元も1億呪霊化も、全部ネタでしかなかったということになる。
ただの物語装置でしかなく、それらは解明されるべき重荷を背負ってはなかった。
そういう意味では、この結末は、作者の望んだ通りのものだったのだろう。
ということで、まずはこれくらいで。
最終話である第271話の感想とは別に、物語として完結したことについて、あれこれ、書いてみたい。
語りたいことは多々あるので。
あと、伏線とは別に、この作品は、途中の描写で、あとになってからでないと気付かないイースターエッグが結構多いので、そういうところはおいおい全編を見直してから、ということになるだろうけど。
ということで、物語全体を俯瞰して、今回の話で気がついたことのひとつが、
あれ、結局、この『呪術廻戦』って『呪術廻戦〇』の反復なのではないか?
ということ。
つまり、簡単に言うと、
『〇』における「乙骨とリカ」の物語が、『呪術廻戦においては「虎杖と宿儺」の物語として語り直されたのでないか、ということ。
そういう意味では、リカが「呪いの女王」で、宿儺が「呪いの王」というのは、両者が対の存在であることをそれとなく示唆していた。
リカのケースは、乙骨が無意識のうちにかけた呪いとして、
虎杖のケースは、かつて宿儺が食った魂の流れ着いた先として、
とにかく、呪いによる因縁が先に設定されていて、いかにしてその「呪い」を祓うのか、ということがテーマだった、ということ。
そういう意味では、里香が消えたあとにリカが残った、というのは、虎杖と宿儺の今後を想像するうえでは何かと示唆のように思われる。
それから、今回、最後に虎杖の回想だけど、五条が出てきて、虎杖に期待の言葉をかけた場面は、確か『〇』でも似たような言葉を五条は乙骨にかけていたはず。
そうすると、実は、五条って、『〇』と『呪術廻戦』をつなぐ膠役だったのではないかと思えてくる。
あと、虎杖にかけた言葉から見ても、やはり五条は、宿儺との戦いを半分以上、自分の死地として考えていたみたい。
そういう意味では、例の『南へ』で、あの世の夏油や七海に言ってたことは本音だったということだよね。
今まで事実上、本気で戦うことができなかった五条が、リミッタを全部外して本気で臨んで、それでやられたのだからしかたない、あきらめもつくということ。
戦いとして楽しめたし、それで、俺も夏油を追いたい、と思っていた気持ちにも整理がついてほっとした、ってことで。
言い換えると、
五条は『呪術廻戦〇』と『呪術廻戦』のつなぎ役。
なので、乙骨と虎杖が出会った時点で五条の役割は実は終わっていた。
「乙骨と里香/リカ」と「虎杖と宿儺」の関係は、ともに「呪い」で縛られた双子であり鏡像のような関係だったが、物語の最後で、その因果を溶きほぐし、互いに融和的な関係を築くことで、それぞれが自由になれた、解放された。
つまり、『呪術廻戦〇』と『呪術廻戦』は実は同型の物語構造をもっていて、その意味で、今回の終幕は、約束されたものだった、ということ。
要するに、『〇』の最後で、乙骨が里香にかけた呪いを解いて成仏させてあげたように、『呪術廻戦』の最後では、虎杖が千年の時を超えて出会った「半身」である宿儺の呪いを解いて成仏させてやった。
突き詰めるとそれだけの話。
というか、作者である芥見下々の引き出しにあったのは、どうやら、この物語のパタンだけだった。
なので、続編は、確かに芥見下々には無理なのかもしれない。
また同じことをやるしかないから。
つまり、因縁ある二人が出会い、その因縁の解除のために、一方が他方を「赦す」ことで成仏させる、というパタンが繰り返されるだけになる。
『〇』で描いた習作を、もっときっちり塗って描いたのが『呪術廻戦』だった。
そういう意味では、羂索が当初、偽夏油で現れたのも必然だったし、渋谷事変で、百鬼夜行を繰り返したのも予定調和だった。
ただいろいろと『〇』で示したディテールを、あれこれ設定をつけて派手に盛ったのが『呪術廻戦』だったということ。
さすがに同じパタンを3回やるわけにはいかないから、『呪術廻戦』の続編なりスピンオフなりをするにしても、作者が意識して、自分で扱えると確信できる別の物語を見つけない限り、多分、やる気が起きないのではないかと思う。
そういう意味では、VS宿儺戦を延々続けたのも、いかにして「虎杖vs宿儺」の対決に持ち込むのか、そのために、総力戦にしてとにかく虎杖しか残らなかった、という形にしたかったんだろうな。
あと、伏黒を宿儺受肉体にしたのも、虎杖が一人で宿儺に向き合うためには伏黒が邪魔だったから。
釘崎が最後まででてこなかったのも同じ理由。
最初から、虎杖、伏黒、釘崎の3人で戦っちゃだめだった。
もっとも、虎杖と宿儺の戦いは、宿儺の討伐だけでなく伏黒の救済でもあったことは、明らかに、五条と夏油の失敗を繰り返さない、という話でもあったのだと思う。
そのために『呪術廻戦』では、五条と夏油がバディしてた時代の話を途中で行う必要があった。
以上が『呪術廻戦』の物語の基本構造。
その骨組みにあれこれ肉をつけて物語にするわけだけど、その際に調子に乗ってあれこれ盛り付けたら、設定の穴がアレコレ出てきて、最後はある意味、丸投げして無視を決め込むしかなかったということが実情だったのだと思う。
そういう意味では、死滅回游も天元も1億呪霊化も、全部ネタでしかなかったということになる。
ただの物語装置でしかなく、それらは解明されるべき重荷を背負ってはなかった。
そういう意味では、この結末は、作者の望んだ通りのものだったのだろう。
ということで、まずはこれくらいで。