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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

呪術廻戦 第30巻(最終巻)エピローグ4話 感想2:結局作者は虎杖と宿儺の相反する対となる存在として扱いたかったんだな。過剰に利他的な虎杖と過剰に自己的な宿儺。そんな双子が慈しみを覚える話。

2024-12-25 14:04:14 | 呪術廻戦
感想1感想3もあります)。

このエピローグを見ると、最終的に作者は人の情念を描くキャラクター漫画を描きたかったんだな、ってことがよくわかった。

詳しくは感想1にも書いたように、このエピローグはまさにエピローグらしく、主人公たちと関わった「脇役」に焦点を合わせることで、間接的にメインキャラたちの人となりや心情を想像させるものだった。

だって、高校時代の虎杖を知る小沢優子でなければ、呪術師になった前後で、虎杖がどう変わったのか、変わらなかったのか、という見極めはできないから。

で、小沢優子の目から見れば、虎杖の本質は変わらない、ということでしょ?

呪術師としての技量はあがり成長はしたけど、でも成長を後押しした虎杖悠仁の心根は変わっていない、ということをそれとなく示した。

それはやっぱり表現としてはうまいと思う。

ただでさえ虎杖ってわかりにくいキャラだったから。

そういう意味では、やっぱりパートナーって大事だよね。

相手の本質をそれとなく映す鏡として。

で、そんな虎杖と小沢の二人を見ていると、結局、作者が描きたかったことっていうのは、そうした陰影を伴うキャラ漫画だったのだろうな、と痛感した。

だから、「呪術」というのも、人間のネガティブな感情を大々的に語って構わないとする舞台装置でしかなかった、ということで。

でなければ、あんな真人みたいなイタイ願望を平然と語られる変態なキャラは描けなかっただろうしw

そういう意味では、最終決戦の相手が宿儺だった、というのは、逆に働いたのだろうな。

だって、今回の裏梅のエピソードを見る限り、宿儺って、本質は悪ではないから。

宿儺からすればやりたいことをしているだけで、それが世間の基準からすると「悪認定された」だけのことで。

宿儺は宿儺で単にサバイブしたい、そのためにはテクノカルに強くなってないといけない、ということを繰り返してきただけで。

そんな相手がラスボスだと、戦闘狂になる以外は盛り上がりようがないよね。

だって、あんなクズ野郎の真人を粉砕したら、そこにはカタルシスが生まれて、要は気持ちいい!ってなれるけど、宿儺は対しては、もっと冷静に事態を見てしまう。

その結果、高専全員と宿儺の百日手合わせwみたいなオチにするしかなかったのだろけど。。。

その意味でも、このエピローグは、虎杖の影である「小沢」で始まり、宿儺の影である「裏梅」で終わったのはよく考えられている。

要は、過剰に利他主義的な虎杖が自分を慈しむことを覚え、過剰に利己主義的な宿儺が人を慈しむことを覚えるまでの話。

「呪」は、だからまぁ、情念として「愛」の裏返しだった、ということだよね。

執着。

確かに仏教っぽいといえば仏教っぽいんだろうなぁ、いや詳しくはわからないけどw


あ、で、真ん中に挟まれたパンダと釘崎についてもちょっとおもうところはあるのだけど、それはまた別のエントリーでw
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