100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク33 モザンビーク島23 燃料?

2010年03月13日 08時07分01秒 | モザンビーク

 朝散歩していた時、女性二人が斧を担いで海岸の方向に歩いていました。何だろうと思い後をつけて行きました。すると流木を斧で削り始めました。写真を撮ろうとすると拒否されたので遠くから盗撮しました。ごめんなさい。というわけで写真は不鮮明です。後で他の人に何か薬効でもあるかと思い聞いてみると単なる燃料用だとのことでした。この地域での日常生活を垣間見たような気がしました。


「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク27 モザンビーク島17 選挙1

2010年03月09日 08時06分38秒 | モザンビーク

 我々がモザンビークを訪れた時は5年に一度の大統領・国民議会の選挙戦真っただ中でした。モザンビーク島でその選挙運動に出会いました。FRELIMOに投票とスローガンを掲げています。FRELIMOモザンビーク解放戦線はポルトガルからの独立を掲げ1964年から独立戦争を戦い1975年独立を勝ち取った政党です。独立以後の政権与党で今回も勝利しました。


「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク26 モザンビーク島16 サンパウロ宮殿3

2010年03月07日 08時21分49秒 | モザンビーク

 2階部分も博物館ですがそこで見かけたものを一つだけ。左から3枚目の写真の人です。ちょっと見にくいのですが顔に白いペースト状のものを塗っています。この地方の一部の女性の風俗でMUSIROといいます。美容と健康のためだそうです。


「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク22 モザンビーク島12 奴隷交易2

2010年03月05日 08時17分34秒 | モザンビーク

 奴隷の輸出先としては南北アメリカだけと思いがちですが、ここモザンビーク島では世界各地に送り出されています。ここの標識(The Garden of Memory)の説明によれば南北アメリカ以外にもインド洋沿岸、ペルシャ湾沿岸地方にここから輸出されたとありました。

 余談ですが、アフリカからの奴隷が一番多く行った先はどこだと思いますか。その答えは2005年11月13日にあります。ご覧ください。


「東南アフリカ7カ国」編 モザンビーク21 モザンビーク島11 奴隷交易1

2010年03月05日 08時05分31秒 | モザンビーク

 モザンビーク島は19世紀まで続いた奴隷輸出港としても有名です。西のセネガル、奴隷海岸とかつて呼ばれた地方(現在のガーナ、ベナン、ナイジェリア)と並んで多数の奴隷を世界各地に送り出した港です。

 なおガーナ、ベナンでの奴隷問題についてはオバマ大統領が就任早々訪問したガーナで見学した”SLAVE EXIT TO WAITING BOAT”(待機中の船への奴隷出口)を2005年11月13日に紹介していますが、詳細は後日、未完の「西アフリカ」編で触れる予定です。

 事前に旅行社に旧奴隷市場の跡を見ることが可能かどうかを問い合わせたところそれは現在残っていないとの返答でした。Lonely planet にも記載がないのであきらめていました。ところが時間の余裕があるということで希望者だけの参加のツアーが組まれました。そこで前々回紹介した共同墓地とこの奴隷交易市場がありました。2010年2月11にマンゴチが奴隷収集地であったことを紹介しましたが、このように東部アフリカ大陸内部で集められた奴隷がこの島に集められました。鉄格子の向こうに海が見えますがここから奴隷が船に積まれたのでしょう