100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「英国物語」 ネス湖

2020年11月01日 07時47分06秒 | イギリス

怪獣ネッシーで有名なネス湖にやってきました。写真上は廃墟になったアーカード城(Urquhart Castle)とネス湖を背景としたツアー参加者の集合写真です。アーカード城は12世紀建設ですが、ここもジャコバイト拠点となりイングランド軍によって破壊されました。写真中はアーカード城とネス湖です。写真下は少し見にくいのですが、前々回に紹介したキルト姿の男性がパグパイプの演奏で我々を歓迎してくれています。残念ながらネッシーには出会えませんでした。
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「英国物語」グレンフィディック

2020年10月29日 07時50分13秒 | イギリス

(2012年12月19日の再録、一部修正追加)
スコッチと言えばスコットランドで作られるウィスキーのことだということはあまりお酒に関心のない人でもよく知っています。ドイツの「ビール純粋令」(2012年5月11日紹介) と同じくイギリスの法律でスコッチの定義が厳格に定められています。1887年創業のグレンフィデック醸造所はスコッチで世界最大のシェア―を誇っています。(2015年に同じスコットランドのグレンリベットに世界一を奪われます)1997年そこを訪れました。なかなか趣のある建物でした。
 写真中は銅製蒸留器です。試飲もしました。(写真下)日本語のイヤホーンでの映画コマーシャル付き。
 
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「英国物語」バルベニー城

2020年10月26日 07時53分15秒 | イギリス

 13世紀コミンズ家の居城として始まりその後増改築がなされ17世紀の名誉革命に反対するジャコバイトの反乱の拠点となりイングランド軍に破壊され廃墟となりました。スコットランドでは城の観光がかなりありその他、バルモラル城の観光が予定されていましたが、時間の不足で中止となりました。
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「英国物語」ブレア城

2020年10月26日 07時50分32秒 | イギリス

 スコットランド中部のブレアアーソルにあるブレア城を訪れました。1269年建設で現在11代目のアーソル侯爵の居城です。城内には32の部屋があり16世紀〰20世紀の家具、調度品、武具などが展示されていました。平成天皇が皇太子時代(留学生時代)ここを訪問したそうです。
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「英国物語」エディンバラ2 スピリットオブスコットランドショウ

2020年10月23日 07時48分10秒 | イギリス

 エディンバラ観光の午後はフリータイムで本屋2軒とパブ2軒を回りました。海外で本屋を訪れたのはイギリスだけですが(?)”military history”というコーナーがかなりのスペースを占めていたことにちょっとショックを受けたことをいまだに鮮明に記憶しています。パブは日本の喫茶店という感じでした。風邪と疲れでパブで居眠りをして起こされました。
 夕食はエディンバラ郊外のキングストンマナーハウスでした。パグパイプの演奏とハギス料理(羊の内臓のミンチ)とその儀式のスピリットオブスコットランドショウ(写真)でした。飲み物はフリーだったのですが、昼間のパブでのビールと風邪のためあまり飲めなかったのが残念。
 写真の男性の服装に注目ください。スカートのようですね。キルト(英語)といいます。スコットランドのゲール語ではフェーリアといいスコットランドの民族衣装です。比較的よく見かけました。前回紹介したエディンバラ城の入り口の衛兵の服装もそうですね。
 
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「英国物語」エディンバラ1 城

2020年10月20日 07時46分47秒 | イギリス

 かってスコットランドが独立国であった時その首都であったエディンバラにやってきました。この日、日中でも摂氏8度と添乗員の亀井さんのメモにありました。エディンバラは6世紀に築かれた城から始まります(写真右上)。珍しく日本語の説明表示がありますが、修理の説明だけのようですね(写真左)。右中の写真は城の入り口です。中に入っての中庭はヒースの花が咲いていました(写真下)。
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[英国物語」 サー・ウォルタ・スコット、メルローズ修道院、ノースベーリック

2020年10月17日 07時47分08秒 | イギリス
スコットランドに入り最初に訪れたのはスコットランドの著名な詩人、小説家ウォルター・スコット(1771~1832)の邸宅、現在は資料館でした。蔵書8000冊が保存されていました。(写真上)
 次がメルローズ修道院(写真中)でした。7世紀に起源をもつ長い歴史を持つ修道院ですが、イングランドとの抗争などで破壊と再建が繰り返されて最終的に17世紀のオリバー・クロンウエル軍の侵攻でほぼ破壊されました。スコットランド王ブルース(1306~29)の心臓が埋葬されていることでも有名です。
 スコットランド最初の宿泊地は北海に面したノースベーリックでした。ここはゴルフでも有名なところだそうです。写真(下)前方が北海で後方がゴルフ場です。早朝の散歩時は6月26日ですが、北海からの寒風で手が痺れました。完全に風邪を風邪をひき、その後まずいイギリス料理がますますまずくなり食欲がなくなり、それは帰国まで続きました。


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「英国物語」 Scottish Borders

2020年10月14日 07時50分41秒 | イギリス

 ヨークを北上してしばらくすると写真のような標識に出会いましました。周りは人家の影は全くありませんが、車の土産物店が2軒ありました。これはスコットランドとイングランドとの境の標識と思いますね。ところが実はこのScottish Bordersというのはスコットランドの一つの行政区の名前なんです。でもやっぱりここはスコットランドとイングランドの境でもあるのです。しかし、わざわざこの標識があることはここからはスコットランドだと強調しているようです。この標識を見ていつも思うのは、イギリス領北アイルランドからアイルランド共和国を超えた時のことです。何時、その国境を越えたのかわかりませんでした。国境を表示する標識はありませんでした。(注)
 スコットランドとイングランドの関係については2020年9月5日に少し紹介しているのですが今回は当地の観光パンフレットの一部を紹介します。「スコットランドはスコット族の国」という見出しです。

「日本語でいう『イギリス』や『英国』はすべて『イングランド』を語源としている。日本にこの言葉が入ってきた頃、イングランドが圧倒的な勢力を誇っていたので『グレート・ブリテン』イコール『イングランド』のように言われていたのも仕方のないことだが、スコットランドを訪れる前に『英国』(便宜上ここではこの言葉を使うが)が幾つかの国から成ることをもう一度思い起こしてほしい。
 英国の正式名称はUnited kingdom of Great Britain and Northern Ireland。このうちグレート・ブリテンはさらにスコットランドとウェールズ、イングランドの3国で構成されている。なお、スコットランドが事実上「併合」されたのは1707年のことだった」

 ついでにわたくしの蛇足を3つ。
  1. 旅行者にわたくしが尋ねるセリフの一つ”Where are you from?の答えはたいてい国名ですが、「スコットランド」と「バスク」の返答があったことがあります。「バスク」の時は少し聞き取りにくかったので根問いをしたところ「北スペイン」と答えが返ってきたことがありました。
  2. サッカーの世界選手権ではスコットランド、ウエールズ、イングランド、北アイルランドと別々に出場します。
  3. 2014年にスコットランの分離独立の投票がありましたが、僅差で否決されました。

 (注) イギリスのEUからの離脱で最大の問題点がアイルランド共和国との国境線の扱いのようです。

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「英国物語」ヨーク4 ヨークミンスターのマリア像

2020年10月11日 07時48分37秒 | イギリス

 イングランド(イギリスではない)の国教会は2大管区に分かれていて北部はヨークにあるヨークミンスター(ヨーク大聖堂)の管轄下にあります。そのヨークミンスターを訪れました。もちろんこの教会はもともとカトリックの教会でした。ところが16世紀に始まった宗教改革で教会内部のカトリック的なものは徹底的に破壊されてしまいました。最終的なダメ押しは1644年のクロンウェルの侵攻でした。
 そこでわたくしは現地ガイドにカトリック的な物が残されてはいないのかと尋ねました。するとマリア像が二つ残されてといって別室に案内してくれて写真のマリア像を見せてくれました。ここからは二人だけの会話なので英語はほとんどわからないわたくしなので、この生き残った経緯はほとんどわかりませんでした。日本に帰って調べればわかるだろうと安易な気持ちもあったような気がします。帰国して調べてみました。ウイキペディア(日本語版、英語版)などのネット情報も、ガイドブックなどの書籍にもこのマリア像の紹介は見つかりませんでした。ウイキペディアに以下のようことが記載されていますが、マリア像と関係があるかどうかはわかりません。
 
「ヨークはオリバー・クロムウェル軍に包囲され降伏したが、トーマス・フェアファクスが大聖堂へのさらなる危害を阻止した」
 
 というわけで、このヨークミンスターのマリア像はあまり知られていない存在のようです。御承知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。
 キリスト教に不案内な方のためちょっと(注)。 カトリックにはマリア像は絶対不可欠。わたくしはいつもカトリックはマリア教に変名すれば、と。一方プロテスタントは偶像崇拝禁止の立場から絶対ダメ。
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「英国物語」 ヨーク3 シャンブルズ

2020年10月08日 07時48分14秒 | イギリス

 シャンブルズと呼ばれる石畳と中世の木造建築に挟まれた狭い通りをぶらぶらしました。1666年のロンドンの大火で木造建築が禁止になっているのでそれ以前の建物。(ただし、この木造建築禁止がイングランド全土かロンドンだけであったかはわたくしには不明ですが)この1666年がイギリスでは建造物の大きな節目になっています。日本では江戸がたびたび大火にあっていますが、石造建築にはなりませんでした。3枚目の写真はこの通りにある1586年宗教改革(次回紹介)で殉教したカトリック教徒の家です。こういうものが残されているのは何かを考えさせられますね。
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「英国物語」ヨーク2 城壁

2020年10月05日 07時47分48秒 | イギリス

 ヨークはイングランド北部の拠点で、すでにローマ時代から城壁が作られていました。当時のものはなくなりましたが、その跡に14世紀ごろに建設されたものが5㎞にわたってこの町を取り囲んでいます。この城壁を散歩しました。写真の上から1枚目、2枚目。3枚目はこの城塞から見たヨーク・ミンスター(次々回紹介)です。ローマ時代のイギリスの城壁といえばここより少し北部にある「ハドリアヌスの長城」を思い出しますが、今回の観光コースにはなく残念でした。今回の一番残念観光地でした。
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[英国物語」 ヨーク1 駅

2020年10月02日 07時53分23秒 | イギリス
イングランド(イギリスではない)北部の拠点都市ヨークに向かいました。早朝散歩でヨーク駅に出会いました。近づいて見るとこのような掲示板がありました。後日調べてみると著名な鉄道博物館があるのですね。鉄道ファンには堪らないところのようですが、我々の観光コースにはありませんでした。
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「英国物語」 臨時特別編 ブロンテ姉妹の兄の通った酒場

2020年09月29日 07時47分54秒 | イギリス

 「みゃー大工」さんのレクエストによりブロンテ姉妹の兄の通った酒場BLACK BULを紹介します。
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「英国物語」ハワース

2020年09月26日 07時53分38秒 | イギリス

 シェイクスピアの生地ストラトフォード・アポン・エイヴォンから「嵐が丘」の著者ブロンテ姉妹の生地ハワースに向かいました。ここも自然豊かな地でした。上部の写真は「嵐が丘」? 運転手の勘違いでこの地への到着が遅れ彼女の博物館は閉じられていました。下の写真は姉妹の父親パトリックが説教をしていた教会です。
 
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「英国物語」ストラトフォード・アポン・エイヴォン2

2020年09月23日 07時56分55秒 | イギリス

 写真の上部はシェイクスピアの生家です。中部は彼の妻アン・ハザウエイの生家です。下の写真はホテルの中庭から眺めたエイヴォン川です。水鳥がいますね。庭にはウサギがピヨンピヨン跳ねていました。写真がないのが残念。このようにストラトフォード・アポン・エイヴォンは自然豊かな街でした。このストラトフォード・アポン・エイヴォンだけでなくイギリスは自然が豊かに残された国だということを今回の旅行でしみじみ感じました。
 2009年のウガンダ旅行でのウガンダ人現地ガイド・サムエルさん(2009年11月19日紹介)の話を思い出しました。彼は日本で4年間仕事をして帰国後旅行会社を立ち上げました。彼の来日前の日本のイメージはトヨタやソニーなどの工場ばかりで、畑や田んぼの緑があるとは思ってもみなかったそうです。わたくしもサムエルさんと似たイメージを産業革命の発祥の地イギリスに持っていたようです。
 
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