100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「英国物語」 オックスフォード

2020年09月20日 07時51分57秒 | イギリス

 PC修理完了。再開します。
 ロンドンはウィンザー城だけの観光で(最終日に再度ロンドン観光)大学都市オックスフォードに向かいました。写真はいずれもオックスフォード大学です。真ん中の風景について「地球の歩き方」(p220)は以下のように記しています。「カレッジは中庭を囲むように学舎が建ち、Closterと呼ばれる回廊が庭を取りまいている。ひんやりと湿った空気の中、長い年月の間にすりへった石畳の回廊を歩くと、まるでカレッジの学生になったような気がしてくる」
 下の写真はこの大学のクライストチャーチの卒業生のジョン・ロックの記念プレートです。
 

「英国物語」編 ロンドン

2020年09月14日 07時52分19秒 | イギリス

 旅行はロンドンから始まりました。朝から大失敗。部屋の鍵をなかに置いたまま外に出て部屋から閉め出し。ウロウロ。瞬間思い出しました。出発直前聞いたNHKの英会話入門に同じ状況が。そこでの”I’ve locked myself out of my room”をフロントで。危機脱出。
 早朝散歩に出かけました。仕事に向かう黒人を数多く見ました。ただしロンドン以外ではあまり黒人には出会いませんでした。
 そののち、朝食。黒いソーセージ風のものが出ました。名前を聞くとblack pudding. 現地ガイドに聞くとイギリスでのポピュラーな朝食の食べ物で豚の血が入ったソーセージだそうです。(写真がないのが残念)
 イギリスの料理は評判通りまずかったです。当時狂牛病が席巻していて代わりに七面鳥が出ましたがこれまた不味い。
 でも、いつもお世話になっている「米欧回覧実記」(岩波文庫3 p53)には「諺ニ曰ク、倫敦(ロンドン)ノ食イ倒レ、巴里(パリ)ノ衣倒レ」と記されています。
 さて最初の観光はウインザー城でした。上の写真です。女王が滞在中で女王旗が翻っています。
 2枚目の写真はウインザー城での衛兵交代です。
 3枚目の写真はウインザー城に見学に来ていた高校生たちです。気が付きましたか? 多人種ですね。間違いなくイギリスの高校生です。
 

「英国物語」編 一度きりの英語のダジャレ?

2020年09月11日 07時51分44秒 | イギリス

2006年3月21日の再録(一部修正加筆)
シェイクスピアの生地ストラッドフォード・アポン・エイヴォンでの現地ガイドはWendyおばさんでした。彼女は元気で活発な愉快な人でした。ガイドも丁寧でゆっくりと説明してくれるので私でもなんだかその英語が分かったような気分になりました(注)。そこで私は彼女に“You are windy “ といいました。そのとき私は「あなたは風のごとく元気でさわやかな人」という意味でWendy とwindy をかけていったつもりでした。彼女は”No, I am Wendy”と答えました。 “ Yes , Your name is Wendy . and you are windy “ と私が言った瞬間周囲にいた観光バスの運転手たちがいっせいに笑い出しました。英語のダジャレが通じたと思って嬉しくなりましたが、日本に帰って辞書で調べたところwindy には「風のごとく元気でさわやか」という意味は無く「ほら吹き」という俗語表現がありました。その後がいけません。英語が分かると誤解したWendy おばさんは私に盛んに話しかけてくるのです。降参! 何はともあれ私の一生に一度の英語のダジャレのお粗末談でした。
写真はダジャレの瞬間と思われるシーンを同行の人が写してくれたものです

(注)彼女だけではなく英語音痴のわたくしでもイギリス女性の英語は何となく分かるような気分になりました。それに対して男性のほうは分かりにくい気がしました。この時の旅行で偶然に日本人留学生に喫茶店で出会いそのことを話したところ彼もそう感じると話してくれました。ついでにもう一つ。私たちの観光バス男性ドライバーの「ラター」の発音にびっくりしました。”later”のことであったようです。ロンドンで使用される「なんとか英語」ですね。
 ついでに、イギリス女性の親切話二つ
 親切で、暖かい人たちでした。自由時間にロンドンのハイドパークを散歩して方向音痴の私は帰り道がわからなくなって地図を見ながらキョロキョロとしていると30代くらいの女性が寄ってきて何処へ行くのか尋ねてくれました。ホテルの名前を言うと親切に教えてくれました。本当を言うと英語なので半分ぐらいしか分からなかったのですが。私の最大限の英語力で“Thank you very much for your kindness” というとバスに乗り込もうとしていた彼女はこちらを向いてにっこりと微笑んでくれました。旅行中に方向音痴の私はキョロキョロすることが多いのですがこんなことは初めてでした。

 スコットランドのエジンバラで1人でお店の準備をしていた50代くらいの女性に両替所を尋ねました。私の唐人ぶりをすばやく察知したのか、お店をそのままにして両替所の所まで手をとるようにして連れて行ってくれました




「英国物語」編 名誉革命は名誉な革命か?2

2020年09月08日 07時49分29秒 | イギリス

 さて土産物屋さんの売り子がなぜGlorious Revolutionという単語を知らないのかの疑問氷解は簡単でした。書店で歴史の教科書、学習書を探しました。副産物はイギリスの書店ではmilitary historyというコーナーが必ずあることでした。さて11歳から14歳が対象の歴史学習書を見つけ購入しました。帰国後読んでみるとGlorious Revolution という単語は見つかりませんでした。勿論1688年の革命の記述はあります。UK(日本語のイギリス人)の人には一般常識としてGlorious Revolutionという単語は不要なのです。
 名誉革命の名前がないのは学習参考書だけではありません。イギリスの著名な歴史家Trevelyanも名誉革命という用語は使用していません。手元にある「イングランド革命」(みすず書房、原題The English Revolution 1688~1689)という本は1688年の革命を対象としたものですが、名誉革命という用語は使用していません。この本の訳者松村赳氏が「凡例」で「この革命は一般には『名誉革命』の名で知られており、本訳書名も当初は『名誉革命』にするつもりであったが、みすず書房編集部より、原名通りにしてはどうか、との意見が出され、訳者としても再考の末共感するところがあり、原名のようにした。また、原文では、イギリスの一般の例に従って、この革命のことは単にthe Revolution*****と書かれており、ことさら『名誉』という表記は用いられていない***」と記されています。
 写真はイギリスで購入した「歴史学習書」です。
 

[英国物語」編 名誉革命は名誉な革命か?1

2020年09月05日 08時18分21秒 | イギリス
1997年6月22日~7月6日「英国物語」というツアーに参加しました。この当時まだこのブログを開設していなかったので未紹介のことを中心に「英国物語」編を始めます。
 日本語で「英国」または「イギリス」と呼ばれる国の正式な名称は”The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland"で”UK"と略されることがあり、Britain=England +Scotland+Irelandであることを最初に確認しておきます。わたくしのいつものセリフ"Where are you from?" は国の名前を期待して尋ねますが、「スコットランド」「バスク」という返事が返ってきたことがあります。
 そのスコットランドのGlencoeとGullodenの博物館の土産物屋の売り子さんに「Glorious Revolution はスコットランドにとってgloriousではないですね?」と質問しました。どう答えたと思いますか。さてこの私の質問に対する答えは両者ともキョトンとしたままでした。わたくしの英語が通じないないのかと思い添乗員の英語で再度尋ねてもらいました。やはり同じ反応でした。どうやらGlorious Revolution という単語を知らないようです.GloriousRevolution
は1688年のイギリスでの革命で日本の高校の教科書などではこの国名では血が一滴も流されなかったので名誉革命と呼ぶと書かれています。しかし、これには注が必要です。Englandではbloodlessだったということを。ところがこのスコットランドのGlecoeとCullodenでは1688年の革命の反対勢力が(ジャコバイト)がイングランドに虐殺されているのです。それでこの地の人に前記のような質問をしたのです。現地のガイドさんに同じ質問をしたところ猛烈な勢いの反応があり、どうやらわたくしの意見に賛成のようでした。そうですスコットランドにとって1688年の革命はbloodlessではなかったのです。写真はGlencoeとGullodenの戦場跡です。次回に続きます。





「出会い ふれ合い」編 イギリス5 湖水地方

2006年03月25日 08時57分38秒 | イギリス

 ロンドンでの自由時間に喫茶店のようなところで日本からの語学留学生に出会いました。彼の話によれば男性の英語は分かりにくいが、女性の場合は聞き取り易いとのことでした。英語コンプレックスの私が言うのは変ですが、私もそのように感じました。イギリス旅行を通じて女性のガイドの場合分かったような気分(本当は分かっていない)になったことは確かです。イギリス女性の優しさにも関係するのかも。感謝。旅行前の偏見ごめんなさい。 

写真はイギリス最大の景勝地湖水地方での優しい快活な現地ガイドとの写真です。背景は小さな石橋の上に小さな家がありイギリスで一番小さい17世紀の「ブリッジ・ハウス」といわれてナショナルトラスト(注)の店になっています。

 (注) 自然を保護したり歴史的建造物を保存したりすることを目的として、広 く国民から資金を募って、土地を取得し、管理すること。1895年この湖水地方   の景観を保護することから始まりました。

 余談話ですが、イギリスに反してフランスの現地ガイドの傲慢無礼さにはまったく不愉快でした。添乗員に説明の後“understand?” (分かったか?このアンダースタンドがいかにも人を小ばかにした発音です)を繰り返しました。9年経過したいまもこの不愉快なアンダースタンドの声が耳から消えません。

 ガイド中に他国人の悪口を盛んに言ったガイドもいました。

 別れ際に私に次回はフランス語を勉強してフランスへ来てくださいと言ったガイドもいました。フランス語帝国主義メ!

 犬の糞とともに食べ物を除いてフランスには良い想い出はありません。美人にもあまり出会いませんでした


「出会い ふれ合い」編 イギリス4アダム・スミス

2006年03月23日 08時44分27秒 | イギリス

 スコットランドのグラスゴーでの現地ガイドも温かい中年の女性でした。グラスゴー大学が創立500年記念して1951年に作られた記念門には歴代有名卒業生の名前が刻まれていました。(アダム・スミス、ジェイム・スワットなど)その前で私は“I am ghost (幽霊)of “と言いかけるとそのあとを現地ガイドが”Adam Smith “ と続けてくれました。意思が疎通したと思って嬉しくなりました。

 写真はグラスゴー大学構内で説明している現地ガイドです。


[出会い ふれ合い」編 イギリス2 シェイクスピアとWendy

2006年03月21日 08時43分16秒 | イギリス

 シェイクスピアの生地ストラッドフォード・アポン・エイヴォンでの現地ガイドはWendyおばさんでした。彼女は元気で活発な愉快な人でした。ガイドも丁寧でゆっくりと説明してくれるので私でもなんだかその英語が分かったような気分になりました。そこで私は彼女に“You are windy “ といいました。そのとき私は「あなたは風のごとく元気でさわやかな人」という意味でWendy とwindy をかけていったつもりでした。彼女は”No, I am Wendy”と答えました。 “ Yes , Your name is Wendy . and you are windy “ と私が言った瞬間周囲にいたバスの運転手たちがいっせいに笑い出しました。英語のダジャレが通じたと思って嬉しくなりましたが、日本に帰って辞書で調べたところwindy には「風のごとく元気でさわやか」という意味は無く「ほら吹き」という俗語表現がありました。その後がいけません。英語が分かると誤解したWendy おばさんは私に盛んに話しかけてくるのです。降参! 何はともあれ私の一生に一度の英語のダジャレのお粗末談でした。

 写真はダジャレの瞬間と思われるシーンを同行の人が写してくれたものです。


「出会い ふれ合い」編 イギリス1

2006年03月19日 08時27分48秒 | イギリス

 「世界の景観 風景」編はまだまだ続くのですが、いったん中断して「出会い ふれ合い」編を再開します。

 海外に出かける時その目的地について濃淡はありますがある程度のイメージは持っているものです。そのイメージどおりの時は「やっぱりそうか」と思い、違っていれば「ヘエー ホントー」となり、それが旅行の楽しみの一つでもあります。  

 イギリスではその二つがはっきりした楽しい旅でした。 まず「やっぱり」の方はやっぱり食べ物でした。まずいです。食べ物のうまい、まずいは個人の好みの問題で個人差がありますが、この国は私のような味痴でもわかる「まずい国」です。特にこの年(1997年)は狂牛病が問題になっていて肉類は七面鳥だけでした。これはまたまずい。皆さんイギリスにお出かけの際は、醤油、マヨネーズ、ドレッシング、味噌?などの持参を勧めします。今から135年ほど前に欧米を視察した人が「諺ニ曰ク、倫敦(ロンドン)ノ食倒レ、巴里(パリ)ノ衣倒レ」(注)と書いているのは不可解です。

 (注)「米欧回覧実記」(岩波文庫三 p53)なおこの本については後日紹介の予定。  

 「ヘエー」のほうです。イギリス人は個人主義が徹底して冷たい人だというイメージを待っていました。ところがこれはまったく間違っていました。親切で、暖かい人たちでした。(特に女性)自由時間にロンドンのハイドパークを散歩して方向音痴の私は帰り道がわからなくなって地図を見ながらキョロキョロとしていると30代くらいの女性が寄ってきて何処へ行くのか尋ねてくれました。ホテルの名前を言うと親切に教えてくれました。本当を言うと英語なので半分ぐらいしか分からなかったのですが。私の最大限の英語力で“Thank you very much for your kindness” というとバスに乗り込もうとしていた彼女はこちらを向いてにっこりと微笑んでくれました。旅行中に方向音痴の私はキョロキョロすることが多いのですがこんなことは初めてでした。

 スコットランドのエジンバラで1人でお店の準備をしていた50代くらいの女性に両替所を尋ねました。私の唐人ぶりをすばやく察知したのか、お店をそのままにして両替所の所まで手をとるようにして連れて行ってくれました。

  写真はロンドンハイドパーク公園です。非常に広い公園です。