エチオピアのリベラのホテル近くの農家でコーヒーをいただいたことを2012年3月18日に紹介しましたが、その時ふと奥の方を見ると写真のようなものを見ました。何ですかと尋ねるとタッラというビールだとの返事です。大麦を発酵させた自家製ビールでした。
エチオピアのリベラのホテル近くの農家でコーヒーをいただいたことを2012年3月18日に紹介しましたが、その時ふと奥の方を見ると写真のようなものを見ました。何ですかと尋ねるとタッラというビールだとの返事です。大麦を発酵させた自家製ビールでした。
写真のフラスコ瓶のようなものに入っている黄色い飲み物が蜂蜜酒タジです。1920年まで皇室しか飲むことができなかったお酒です。今も商品化はされていないようでどこででも飲めるというわけにはいかないようです。したがって味もアルコール度数もいろいろのようで12%と聞いていましたが、私がいただいたのは5%ぐらいだったようです。事前にお願いしていたのですが漸くありつけたのはゴンダールでの昼食レストランでした。アムハラ族の音楽と踊りと共にいただきました。
ヤルタではマサンドラワイナリーを訪ねました。ここは由緒あるワイナリーでロシアの最後の皇帝ニコラス2世が散歩中靴に隠して飲み、その間皇妃はラスプーチン説経を聞きながらチビチビとやっていたとの逸話が残っています。
ここでも試飲会があり10個のグラス(1個は口ゆすぎ用の水)で9種類のワインをテイストしました。ここのワインはポルトガルのポートワインと同じく酒精強化ワインです。残念ですが飲み放題でもなくお土産もありませんでした。
写真はこのワイナリーの入り口です。
旅行前はモルドヴァと聞けばワインでしたが、旅行後もやはりワインが一番印象に残っています。モルドヴァは旧ソ連邦の一員でしたが独立後もヨーロッパの最貧国でおもな産業はブドウとワインです。したがってロシアとの関係が悪化するとロシアからワインの輸入を止められということが起きています。
首都キシニョウの近くにあるミレスティ・ミチというワイナリーを訪ねました。1969年設立の比較的若いワイナリーですが石灰岩切り出しの跡の地下にあり総面積250km2の敷地をほこり2005年には世界最大のワイナリーとしてギネスブックにも登録されました。内部は一年を通じ湿度85%~95% 温度120C~140Cに保たれています。
見学はあまりにも広いのでバス移動でした。此の地下の条件がよいため各国富豪からのワインの熟成場所にもなっています。中国の名前も見ました。
見学後この地下で試飲会になりました。一人ひとりにいくつものワイングラス(数は忘れました)があり、ブドウの種類、醸造年の説明があり試飲をして後はお好みを飲み放題になりました。最後にはお土産として2本いただきました。ただし8%の度数でした。
写真はワイナリーの入り口にある赤ワインの噴水(?)です。
東地中海沿岸の国々には透明だが水で薄めると乳白濁になる酒があります、ギリシア、トルコ、レバノン、シリア、レバノンで体験しました。
トルコでは「ラク」ギリシアでは「ウゾー」シリア、レバノンヨルダンでは「アラ(ッ)ク」といいます。ブドウなどからの蒸留酒で一般的に高濃度で50%ぐらいが普通のようで同量の水で割って飲みます。少しクセがありますが、慣れると病みつきになりそうです。写真はシリアで手に入れたアラ(ッ)クです。
パキスタンはイスラーム教国なので禁酒で勿論販売はもちろん製造もしていないと思っていました。ところが外国人向けという名目?で製造されたビールをフンザ地方のカリマバードの小さい店で見つけました。写真の缶ビールですがさすがに高く日本円で1000円もしました。ボラレタ感じもありました。フンザ地方はイスラームでも戒律があまり厳しくないイスマイール派なので飲酒も許されているのかな。
このビールはパキスタンの唯一のアルコール飲料で首都イスラマバード隣のラーワールピンディーでイギリスが1860年製造を始めて現在に至っています。
実はパキスタンではこの時より前に非合法の酒に出会っていました。ある旧領主の館のホテルに泊まった時です。夕方ホテルの売店で客がいないのを確認して店番をしていた若い男性にこっそりとアルコールは飲むかと尋ねてみました。彼は下のテーブルの引き出しを開けて一升ビンぐらいの大きな瓶をにっこりと笑顔で見せました。そしてコップに注いで飲ませてくれました。かなり強いアルコールの度数であまりおいしくはなったのですが飢えていた私はこの酒を売ってくれないかと頼んでみました。彼は夜10時に用意をしておくからと取りに来るようにとのことで10時に出かけペットボトル1本を手に入れました。現地の値段としてはかなり高価であったように記憶しています。さっそく気持ちよく頂きました。ところが間もなく強烈な腹痛と共にものすごい下痢が始まりました。翌朝まで続きました。そして下痢は日本に帰るまで続き体重は5キロ痩せました。
どうやらこの酒は以前紹介したカラーシャ族の村で作られているようです。カラーシャ族はイスラーム教徒ではないので醸造が許されているようです。酒で儲けて家を建てというところに行き醸造場を見学しました。少しなめてみると下痢の酒の酒でした。原料はアンズ、桑の実、砂糖だとのことでした。どうやらここで作られた酒が非合法にイスラーム教徒に広がっているようです。
白状しますとこの時添乗員の中谷さんが山田さん買わないのですか言われ下痢の恨みを瞬間忘れ購入してしまいました。しかし、下痢が恐ろしく6年たった今もそのまま冷蔵庫の中にあります。
同じイスラームの戒律の厳しいイランでは22日間全くアルコールには出会いませんでした。ノンアルコールビールだけでした。地下にはあるようですが。どうも現地ガイドも飲んでいるようでした。
ルーマニアでは気のあった同行者にも恵まれて毎晩安い、うまいルーマニア産のワインを大量に飲みました。飲みすぎで日本に帰ってしばらくアルコールは飲めませんでした。日本ではあまり知られていないようですが、ルーマニアには毎年西ヨーロッパからのワインツァーが組まれるそうです。確かに安くて、うまいのです。お土産にホテルで3本購入しました。なんと3本で10ドルしなかった記憶があります。(写真)
マラムレシュ地方(ウクライナに国境を接している地方)のボディザ村のユアンナさんの民家で昼食をいただいました。そのときおいしい食前酒が出ました。あまりにもおいしいので尋ねるとパリンカという名前のプラムで作った自家製蒸留果実酒で希望者にはお分けしますというので1リットルのペットボトルを1ドルでいただきました。(40度くらい?)
このパリンカ、ワインは日本では知られていませんが掘り出し物です。(ガイドブックにもありません)チャンスがあればぜひお試しあれ。ただしパリンカは店頭にもありましたがユアンナさんのところのように安くて、おいしいかどうか?
現地ガイドのアスカル君は日本に行くときのお土産は、キャビアかトルクメニスタンのブランデイという話だったので自分用の土産としてブランデイを買いました。このブランディにはトルクメニスタンのニヤゾフ大統領(当時2004年)の肖像のラベルが貼られていました。このニヤゾフ大統領は2006年に死去しますが当時のニヤゾフ大統領の個人崇拝ぶりについては2006年12月23日に紹介しているのでご覧ください。