100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「バルカン半島」編 アルバニア7 ホッジャ

2010年11月23日 08時26分16秒 | バルカン半島

 このトーチカお土産の隣にホッジャの名前の入ったコップがありました。幾人かのアルバニア人に聞いても独裁者ホッジャを肯定的に答えるどころか全くの拒否反応を示す人ばかりだったのですが、なぜかこのようにお土産屋さんに並んでいました。ルーマニアの独裁者チャウシェスクは処刑されますがホッジャは天寿を全うし現在も家族は財界の有力者だそうです。 隣は現在の首相の名前です。


「バルカン半島」編 アルバニア4 トーチカ4

2010年11月21日 08時11分27秒 | バルカン半島

 アルバニアはラテン語のalbus(白い)が語源という説があります。アルバニアの地質が主に石灰岩質で白いことから、「白い土地」という意味ということです。そのようの豊富な石灰岩がこのコンクリート製のトーチカを大量に作ることを可能にしたようです。


「バルカン半島」編 アルバニア 1 トーチカ1

2010年11月19日 07時43分21秒 | バルカン半島

 マケドニアから国境を越えてアルバニアに入った時、「ナンジャコレハ!」という光景を見ました。トーチカ(注)の群集でした。残念なことにこの時は撮影を逸しました。この写真はその後の点々とするトーチカです。ちょっと小さくて見づらいですが画面中ほどに目玉2つのが見えますね。アルバニア国内に約30万個あるそうです。

 アルバニアは今回の訪問国の内ユーゴスラビアに入っていなかった唯一の国です。自称社会主義国の国でしたが、ホッジャ独裁政治下次第に他の社会主義国とも絶縁し、自国を鎖国状態にしました。その時(1976年から)外国の侵略から国を守る手段としてこのトーチカを作ったというわけです。

 アルバニアは世界で一番裕福な国なので外国が攻めてくる可能性があり国民が一丸となってこのトーチカを作り国を守ろうというホッジャの説明をガイドのGEZIM20101030日)も本気で信じていたそうです。彼は現在2個のトーチカを持っているので日本の皆さんに御希望なら無料でお譲りしますよと冗談を言っていました。

(注)コンクリートで堅固に構築して、内に重火器などを備えた防御陣地(広辞苑)

 

 

 

 


「バルカン半島」編 マケドニア共和国18 オフリド8 オフリド湖1

2010年11月11日 08時32分24秒 | バルカン半島

 オフリドの町はオフリド湖と共に世界遺産に登録されています。オフリド湖はマケドニア共和国とアルバニア共和国に接したヨーロッパ最古の湖とされています。面積は琵琶湖の約半分の358kmです。最も深いところで288m(琵琶湖104m)の風光明美な湖です。

 fengdanさんコメントといつもありがとうございます。トルコのような光景は中国にもありますか。


「バルカン半島」編 マケドニア共和国17オフリド7

2010年11月09日 09時18分38秒 | バルカン半島

 今回の旅行で一番びっくりしたのがこの聖母子像でした。このように自然の中に聖母(神)が祀られている風景は東南アジア、日本では珍しくないというよりは普通です。日本の神社仏閣は鬱蒼とした木々に包まれているし、ちょっとした林をよく見ると祠があり神仏が祭られている風景は今はだいぶ少なくなりましたが、かってはよく見られました。東南アジア、日本では自然と共に神仏があります。自然が神仏でもあります。

 しかし、キリスト教の教会やイスラーム教のモスクでは全く自然は排除されています。皆さん、木々に囲まれた教会、モスクを見られた方がいらっしゃいますか。ないですね。

 キリスト教、イスラーム教では「神」「人」「自然」は全く互いに隔絶した存在です。以前私はヨーロッパを旅行していて林に祠などが無いかとキョロキョロしてみました無駄でした。

 自然と神とのかかわりを描いた宗教画は私の記憶ではイタリア、アッシジにあるジョットの作品「小鳥への説教」だけですが、「説教」ですから、「神(聖フランチェスコ)」と「自然」は、はっきりと区別されています。それでも自然とのかかわりを描いた数少ない宗教画だと思うのですが。

 というわけで私はこの風景?を見て恥ずかしながら思わず歓声をあげました。長年ヨーロッパでこのような構図を見たかったからです。

 ここはかって病の隔離所(ハンセン氏病など?)であった所が聖母マリア教会になり「地球の歩き方」にも”lonely planet”にも記載のない小さな教会でした。

 

 


「バルカン半島」編 マケドニア共和国14 オフリド4

2010年11月07日 08時24分35秒 | バルカン半島

その城内にはかっては365もの教会がありマケドニアの「エルサレム」と呼ばれた時代がありました。その宗教都市を作ったのが現在のロシア語などのアルファベット、キリル文ドの聖クリメント(840?~916)です。

写真は聖クリメントの遺体のある聖クリメント教会です。私は今まで教会を沢山見てきましたが、この地の教会に最も親しみを覚えました。


「バルカン半島」 編 マケドニア共和国13 オフリド3

2010年11月07日 08時20分22秒 | バルカン半島

 オフリドはスコピエと同じく城塞がありました。

 ヨーロッパ、イスラーム圏の都市観光の時、旧市街、新市街という言葉が出てきますが、旧、新というのは単に古い、新しいと意味では無く城壁の内側、外側という意味で使用されていることが多いようです。