100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ロマンチック・ドイツ」編 リューベック

2021年04月03日 07時51分45秒 | ドイツ

 ハンブルクの次の訪問地は中世にはハンザ同盟の盟主として栄えたリューベックでした。その美しさは「バルト海の女王」と呼ばれるほどで、世界遺産にも登録されています。ハンザの面影を残す建物が並ぶ旧市街のなかでも最も美しく有名な建物の1つが、1535年に船員の組合ギルドの館として建てられた「シッファーゲゼルシャフト(Schiffergesellschaft)」です。(写真左、下)ここは歴史的建造物であると同時に、リューベックで一番有名なレストランで夕食はここでした。
 もう一つ歴史的建造物ホルステン門(写真右上、下)を訪れました。1469年から1477年にかけて造られました。ユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣の図柄にも採用されていました。写真下の文字CONCORDIA DOMI  FORIS PAXはラテン語で「内に団結、外に平和」という意味だそうです。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ハンブルク

2021年03月31日 07時53分10秒 | ドイツ

 ブレーメンからハンブルクに向かいました。ハンブルクは中世よりハンザ同盟の中心的役割を果たした都市の一つでもあり、エルベ川沿いの港湾商業都市として発展しました。そこでその港湾をクルーズしました(写真左上)。コンテナ貨物用の巨大な倉庫群がありそれが世界遺産になっています(写真左下)。ここはライトアップされた夜が素晴らしいようです。
 写真右は街角風景です。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ブレーメン

2021年03月28日 07時53分02秒 | ドイツ

 ケルンからハンザ同盟の主要都市の一つであったブレーメンまで3時間の列車の旅でした。列車のトイレに行きました。びっくりしました。トイレは筒抜けで線路が見えました。そうです排泄物はそのまま線路です。1998年ですが、日本ではこのようなトイレはもうなくなっていました。ドイツで?
 列車内では客が大声で話していました。この前のフランス旅行の時わたくしの声が大きいと同行の方にしばしば注意をされたことを思い出しました。何となく気分が楽になりました。写真左上はブレーメン中央駅です。
 ブレーメンはグリム童話の一編「ブレーメンの音楽隊」の舞台になったことで有名です。写真右は音楽隊志願の動物たちの像です。下からロバ、イヌ、ネコ、ニワトリです。
 ブレーメンの名物通りのベトヒャー通りに光の天使が竜と戦っている金のレリーフがありました。(写真左下)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ボン

2021年03月25日 07時51分51秒 | ドイツ

 ボンはドイツが東西に分裂していた時代に西ドイツの首都でした。しかし何といっても有名なのはボンがベートーヴェンの生地ということです。その生家(Geburtshaus)が博物館として紹介されています(写真右下)。写真上はここでもらった観光リーフレット日本語版の最初のページです。
 その後ボンのライン河沿いにぶらぶらしました(写真左下)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ケルン、ブリュール

2021年03月22日 07時54分37秒 | ドイツ
 
ライン川クルーズの後、BC50年からの古都ケルンへ向かいました。ケルンの名前は古代ローマ帝国の植民地コローニアに由来します。写真上は当地の観光リーフレットの表紙です。中心に見えるのがケルン大聖堂です。尖塔の高さは157mです。歴史は古く1248年起工以来600年を得て1880年に完成されました。当時のわたくしのメモには「ミラノのほうが壮大な感じがする」とありました。河は勿論ライン河です。橋は鉄道橋ですが歩道がついているホーエンツォレルンです。写真左下はここに遊び(勉強)に来ていた子供たちです。
 次にケルン近郊のブリュールの世界遺産にも指定されているアウグストゥブルグ城を訪れました。(写真右下)1994年までは、ドイツの大統領が国賓をもてなすレセプション・ホールとして使われていました。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ライン川クルーズ2 ローレライ

2021年03月19日 07時52分08秒 | ドイツ

 クルージングではたくさんの観光客と一緒でした。子供たちも船内を楽しんでいました。クルーズの目玉の一つがローレライです。画面下にLORELEYと表示されていますね。精霊の伝承を基にハインリッヒ・ハイネの詩が有名です。しかし一見したところ何の変哲もない岩山です。ということで「世界3大ガッカリ名所」の一つです。あと二つをご存じですか?2006年2月15日、17日紹介しています。(左欄のカレンダーで検索ください)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ライン川クルーズ1

2021年03月16日 07時52分32秒 | ドイツ

 ライン川クルーズはリューデスハイムから始まりました。リューデスハイムはワインの産地としても有名です。この町名所は中世のたたずまいを残すツグミ横丁です。そこはワインケラーやレストランがひしめき合っていました。そこで同行者とワイン(モーゼルワイン?)をいただきました。(写真左上)しかし味はいまいちでした。2月23日に紹介したフランケンワインの”trocken”の方が数段上でした。
 写真左下と右は船からの風景です。右は17世紀から廃墟となっているエーレンフェルス城です。ライン川にはこのような古城がたくさんあります。その多くは船から交通税をとる今でいえば税関の役割を果たしていました。14世紀には64もの税関がありました。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ハイデルブルク3 学生牢

2021年03月10日 07時53分03秒 | ドイツ

 街を散歩していて出会いました。(写真右上)「柔道」は時々見かけますが「武道」は初めてでした。
 写真左、右下は同じ室内ですがなんだと思いますか。落書きで埋め尽くされていますね。実は1712年から1914年まで実際に使用されていた「学生牢」の一室です。大学は高度な自治権をもっていました。そこで大学当局は学生に対しての裁判権を持っていました。そのための牢でした。学生の中にはここに入るのがカッコいいと考える者もいてこのような落書きをしたようです。また、裁判、入牢に対して手数料、罰金が課されそれが大学当局のかなりの収入になったそうです。(「ドイツ歴史の旅」坂井栄八郎著p98)
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「ロマンチック・ドイツ」編 ハイデルベルク2

2021年03月07日 07時52分17秒 | ドイツ

写真右上はハイデルベルク城から見た市街地です。写真左は13世紀建設のハイデルベルク城の一角です。写真右中はディッカーと名付けられている防衛施設です。ここでの最大の見ものは写真右下のワイン大樽です。高さ8メートル、22万リッターの容積の1751年制作です。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ハイデルブルク1

2021年03月04日 07時52分15秒 | ドイツ
 ドイツ入国はフランクフルトでしたがそこでの観光はなく、すぐにハイデルブルクへ向かいました。ヒトラー唯一のプラス遺産のアウトバーンをバスで通過しましたが、かなり老朽化しているようでバスがガタガタ揺れました。
というわけで、ハイデルブルクが最初の観光地でした。50万年前のハイデルベルク原人、ドイツ最古の大学、11世紀起源のハイデルベルク城で著名な観光都市です。 写真右上はネッカー河に架かる通称アルテブルッケ(正式名カール・テオドール橋)で後方に見えるのがハイデルベルク城です。
写真左はアルテブルッケの入り口です。
写真右下はこの橋のたもとにある「サル」ですが、その由来を聞いたような気がしますが忘れました。調べてもわかりませんでした。ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
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「ロマンチック・ドイツ」編 忘れられない人物写真3枚

2021年03月01日 07時49分32秒 | ドイツ

(写真左)(2006年1月2日再録修正)場所はドイツメルヘン街道にあるグリム童話「ブレーメンの音楽隊」で有名なブレーメンです。その市庁舎横の「ブレーメンの音楽隊」の像の前で撮った写真です。異国のヘンなジジイにも嫌がらず嬉々として一緒に写ってくれたこの少女に感謝です。今思い出しても涙が出るほど楽しい想い出の一枚です。わたくしのこのような笑顔は自分でも見たことがありません? この少女もお母さんになっているかな。

(写真右上)(2008年9月17日再録)観光地で有名なローテンブルクを自由時間にぶらぶらしていると立派なひげを生やし少し怖そうな老人に出会いこの日のために覚えてきたドイツ語「貴殿の写真を撮らしていただけませんか」(そのドイツ語は今は忘れました)を恐々としゃべりました。 すると顔に似合わず?気さくに応じてくれました。なぜかいまだに忘れることのできない人です。

(写真右下)(2006年1月4日再録) バンベルクのレグニッツ川で水遊びをしていたコドモたちがいたのでツザメンzusammen(ドイツ語で「みんな一緒に集まれ」と言っているつもり)というと通じたのかみんな集まってくれました。

 三枚の写真の共通点はNHKのドイツ語講座で学んだわたくしの稚拙なドイツ語での働きかけでした。
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「ロマンチック・ドイツ」編 ミュンヘン博物館の人力車

2021年02月26日 07時52分27秒 | ドイツ

2007年3月16日の再録です。(一部修正)
世界最大規模の自然科学、産業技術などを展示するミュンヘン大博物館で面白いものを見ました。ツアーでは観光コースには入っていませんでしたが、自由時間を利用して出かけてみました。写真も自由に撮れこの方面に興味のある人には必見のところです。
 時間も経過し安いプリントで見にくい写真ですが人力車です(写真中)。隣にはジェイムスワットの蒸気機関車(写真下)、前には第2次世界大戦でドイツが世界に誇った飛行機メッサーシュミット(写真上)が展示してありました。この中での人力車です。正直なところちょっと嫌な気がしました。
人力車は明治2年(1869年)日本人が発明したもので東南アジア、インドなどで現在も活躍しており、英語にもなっています。“Rickshaw”は 簡単な英和辞書にも載っています。
ついでに余談話。 人力車と並んで日本的なものとされている乗り物が「駕籠」です。歴史学者田中彰氏はその著「岩倉使節団『米欧回覧実記』」岩波書店(p179)で「『回覧実記』がコペンハーゲンの国立博物館で「日本ノ物件モ頗ル備リ、大ナルハ駕籠に至ルマデ陳列セリ」(岩波文庫四p147)と書き記しているとし、氏は「この駕籠はいまもある」と述べています。
 この駕籠は日本「特有のもの」ではないそうで(以下は板倉聖宣「日本史再発見」朝日選書による)1623年ロンドンで発明されました。西洋の場合「椅子駕籠」なのでラテン語の「腰掛ける」という意味のセダンと呼ばれそれが現在の自動車のセダン型の名前になったそうです。

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「ロマンチック・ドイツ」編 燻製ビールとフランケンワイン

2021年02月23日 07時51分57秒 | ドイツ

 2012年10月2日の再録です。(修正)
 ドイツのバンベルクでちょっと変わったビールに出会いました。燻製の香りがするRauchbier(燻製ビール)です。1678年創業シュレンケラ燻製ビール醸造所兼居酒屋(Aecht Shlenkerla Rauchbier Brauerei –Ausschank seit 1678)(写真下)で味わいました。1998年のことなのでその味を忘れました。そこで相原恭子氏の「もっと知りたい!ドイツビールの愉しみ」の以下の一文を紹介しておきます。
 「シュレンケラで2種類を味わった。ラオホメルチェンは樫の木の樽から注がれた。まず感じるのはスモークの香り、口に含むと苦味とかすかな酸味がモルトのコクのあるわずかな甘みと調和して、不思議な美味しさである。喉を通る時、燻製の香りがして再びそれが鼻に抜けるようである。ラオホヴァイツェンは、爽やかでフルーティーなモルトと酵母の味わい。コクがあるのだが、ボディは穏やかで優しい。両方とも、もう少し、もう少しと、たくさん飲んでしまう口当たりの良さがある」(p44)
 なお、相原氏は燻製ビールができたエピソードを紹介しています。
「ある修道院の醸造所が火事になり、せっかくのモルトが煙でくすぶり図らずも燻製になってしまい、捨てるにしのびず偶然できたのがラオホビールであったという。他にも、修道士が窓を開けずにモルトを焙煎していたため燻製モルトなってしまったという説もある」(p39)
 ドイツバンベルクにお出かけの方は是非お試しあれ。ただ最近では日本にも輸入されているそうです。
 なお、バンベルクの旧市街地は世界遺産にも指定されている素晴らしい景観の街です[山田1][山田2]。
 また、バンベルクはフランケン地方にありフランケンワインも素晴らしい味です。(写真上)
  私はドイツ旅行をするまでドイツのワインは甘いものだという先入観を持っていました。したがって私には合わないと思っていました。ところがバンベルクのメッサーシュミットというレストランで購入したフランケンワインは辛口で私の今まで経験したうちでは最高の味でした。“Trocken” と表示されているのが「辛口」です。甘口は“Süß” です。
 なお、瓶のデザインはよく見かけるポルトガルのマテウスワインに似ているのでご注意ください。
 


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「ロマンチック・ドイツ」編 ポツダムの風車と米欧回覧実記

2021年02月20日 07時53分03秒 | ドイツ

1998年5月27日〰6月10日「ロマンチック・ドイツ」というツアーに参加しました。2007年3月18日の再録(一部修正追加)から始めます。この旅行で一番印象深く勉強になったことです。

写真は何の変哲もないポツダムにある風車です。日本にも直接には関係ありません。しかし私はドイツ旅行を決めたとき、もしこの風車がまだ存在していればぜひ見たいものだと期待しました。勿論観光コースに入っていませんので、現地のガイドに尋ねると現在も存在しているとして場所を教えてくれました。見たかった理由は今から約140年前に岩倉使節団(注1)の一員としてここを訪れた久米邦武(注2)が書いた「米欧回覧実記」という本の以下のような一節です。
 「宮殿の西に1つの風車がある。フリードリッヒ・ウイルヘルム(大王)が宮殿の修築を行った際、このあたりの土地を買い増したところ、そこに風車があって庭園の風景の邪魔になるので、風車の持ち主に命じて取り壊させようとした。ところが風車の持ち主がこれを聞き、ベルリンには法律家は1人もいないのかと言って、返事をせず、取り壊そうとしなかった。このことがついに政府の問題となったが、国王の権限でも、個人財産を除去することはできないという結論が出て、とうとうそのまま取り除けずに済んだ。このことは今も美談として伝えられ、風車はその子孫に相続され今なお、屹立しているのである。」(慶応義塾大学出版会現代語訳本3巻p402 岩波文庫3巻p356) 
 フリードリッヒ大王は専制君主ですがその「専制」前に啓蒙的と付くのでなるほど納得しました。しかし人権は当然尊ばれるとされる現代日本(現実は?)と違った明治初期の日本人がこのエピソードを書き残していることに私は一種の感動を覚えました。幕末→維新期→明治初期にかけての私の歴史認識に一定の修正を迫る一節でした。ドイツを旅行する機会があれば現地ガイドにでも聞いてぜひこの風車を見てきてください。パックツアーでは行きません。  
 ついでにこの本の中からちょっと面白い話を1つだけ紹介しておきます。(同じドイツでの話) 「淫蕩な風儀が年々盛んになっていることは、政治家たちもおおいに心配しており、その抑制のためのよい方法を世界各国を訪問しながら検討をしたことがあり、わが国が寛永年間に江戸の吉原を設けて規制の実を挙げたことを称賛し、それを真似して適宣な公娼設置法を作ろうという議論を行ったことがあるという。****写真屋に行ったところ、店の者が酔って秘戯の写真を公然と売りつけようとしたことがある。ヨーロッパ諸都市で春画を公然と売るのに出会ったのは、この街(ベルリン)だけであった。」(慶応義塾大学出版会現代語訳本3巻p342 岩波文庫3巻p305) 
まだまだ面白い話がたくさんあります。この本は世界的にも著名になり英訳本もできました。 欧米への旅行者には必読の書です。
(注1) 岩倉使節団は、明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合州国、ヨーロッパ諸国に派遣された使節団です。岩倉具視を正使とし、政府のトップ(実力者の半数)や留学生を含む総勢107名で構成されました。そのときの報告書が久米邦武による「米欧回覧実記」です。原文は和漢混交文で岩波文庫5分冊に収められています。ごく最近現代語訳(慶応義塾大学出版会)が出たので前記の引用文はそれによります。私の偏見ですが欧米に出かける現代日本人の必読の書です。
 (注2) 久米邦武(1893~1931)佐賀藩出身。1881年東京帝国大学史学科初代教授。論文「神道は祭天の古俗」で1892年辞職。
以下のようなコメントが入りました
「フリードリヒ大王の無憂宮の風車の話、どうしても思い出せませんが、どこかで僕は読んだことがあるんです。「米欧回覧実記」は読んでいませんから、あるいは、戦時中の子供の読み物かもしれません。大王を讃える物語になっていたように思います。
  久米邦武は、名君賛美ではなく、人民の法的権利に着目している点、なかなかの見識だと思います。しかし、まあ、この程度の常識がなければ、西欧文化を摂取することは出来なかったのでしょう。 天皇の「権威」が確立してくるのは軍人勅諭、教育勅語以後ではないのでしょうか」

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「敬老の日 臨時特別」編 ドイツ ローテンブルクにて2

2008年09月17日 08時20分54秒 | ドイツ

 そしてこのように3人一緒で写真を撮りました。撮ってくれたのは通りすがりの人でした。真ん中の10年昔の私は若いですね。相手のカメラにも私が入りました。

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