グッドヴァンゲンからバスでフロムに向かいました。フロム(標高2m)からミュルダール(標高867m)まで約20㎞、約1時間の山岳鉄道、フロム鉄道に乗車しノルウェー自然美を楽しみました。写真右下はショスの滝です。ここでは列車が数分停車しました。落差は225mで冬には氷河の滝になります。
ボイエ氷河です。ブリグスダール氷河より一回り小さいのですが、到着した時、悪魔の悲鳴?のような異様な音が聞こえてきました。氷河の崩落でした。慌てて撮った写真がこれですが、崩落場所は氷河の上部の少し岩が露出しているところです。
3年前にここに来たことがあるという添乗員の加藤さんはずいぶん小さくなっているとの感想をもらしていました。
その後、ソグネフィヨルドに面したレイカンゲルのホテルに宿泊しました。写真下はホテルから見たソグネフィヨルドです。翌日はこのソグネフィヨルドクルーズです。
カイランゲルフィヨルドからブリグスダル氷河へ向かいました。途中から馬車でした。(注)写真のような北欧美人?の御者の馬車で行きました。彼女のサイン入り(Bodil)の観光リーフレットには以下のようなことが書かれていました。
「オルデダーレンの農民たちは100年にわたり馬車でのブリグスダール氷河観光に従事し、多くの旅行者のお供をしてまいりました。これまでノルウェー王一家をはじめ、他のヨーロッパ諸王家から多くの方々がお見えになり、氷河まで馬車をご利用になられています。****夏の暖気によって溶け出している氷河の先端部分の氷は500年前に出来たものです」
というわけで写真は2002年のブリグスダール氷河です。ところが現在のブリグスダール氷河かなり後退しているようです。わたくしが映っている写真は氷河の洞窟の中です。笑顔で写っていますが、本当は氷が落ちてこないかと少し心配でした。
(注)2004年に馬が暴れて怪我人が出て現在は車のようです。
ロムを出発して一気に1495mのダールスニッパ展望台に向かいました。ここは天候不良のことが多く閉鎖されることが多いのですが幸い天候に恵まれ素晴らしい眺めに恵まれました。ガイランゲルフィヨルドです。翌日このガイランゲルフィヨルドのクルーズを楽しみました。
スターヴ教会のあるロムを訪れました。スターヴ教会とは木造の教会を意味します。中世のノルウェーではほとんどがスターブ形式で建てられていました。しかし、1200余りあったノルウェーのスターブ教会のうち、現存するのは28しかありません。そのうちの一つがロムにあります。わたくしはラディカルな無神論者ですが、木造の教会には何か親しみを感じます。
ヨーロッパ全体でも今は木造教会は数少なくなっています。フランスでは唯一オンフールに残っています。2021年12月25日に紹介しています。2012年9月11日にはウクライナのリヴィウで見た木造教会を紹介しています。ルーマニアのマラムレシュの木造教会群は有名ですね。2006年2月3日に紹介しています。
写真下はロムの風景です。
リレハンメルは人口2万2千の小さな町ですが1994年冬季オリンピックの開催地(オリンピック開催の最北の地)です。写真上はスキージャンプ台ですね。リフトで頂上まで上がりました。写真右上は頂上から見たミョーサ[山田1]湖と町並み風景です。
1994年の冬季オリンピックには日本から110人が参加し、金1,銀2、銅2を獲得しました。この時の主将が後に政界入りした橋本聖子氏でした。
このような親子に出会いました。
人類学者のノルウェー人ヘイエルダールは1947年南米古代文明がポリネシア文明へ移動したという学説を(注)証明するためコンチキ号(パルサ材で造った筏)でペルーからモアイ像で有名なイースター島まで8000㎞を101日かけて航海(漂流)しました。そのコンチキ号の博物館が写真上です。モアイ像ありますね。写真中はそのコンチキ号です。
(注)南米古代文明→ポリネシア文明はこの時証明されたかのようでしたが、現在では否定されています。
1948年に発表された「コン・ティキ号探検記」は62ヵ国後に翻訳され、2000万部以上を売り上げる空前のベストセラーとなりました。わたくしも子供時代胸をときめかして読んだ記憶があります。
コンチキ号の成功で有名になったヘイエルダールは1969年今度はエジプト文明→南米文明説を実証するためパピルス船でモロッコ〰南米を漂流しますが、失敗。しかし翌年6100㎞、57日の漂流で成功。日本人のカメラマンも乗り組んでいました。その時の船が写真下のラー2世号です。あれ!日の丸?と我々日本人は思いたがりますが、これはラー(RA)太陽です。
次の観光はヴァイキング博物館でした。ここには9世紀に活躍し19世紀から20世紀にかけて発掘された3隻のヴァイキング船が副葬品とともに展示されています。いずれも死者の棺として埋葬に使われた船です。
右上の写真は1904年に発掘されたオーセパルク船の正面です。800年代から50年間使用された女王の船で、女王の死後墓として死体とともに埋葬されました。写真左上はこの船の副葬品です。木の四輪車でこれまでに発見されたヴァイキング時代のものの中では唯一完全なものです。
写真左下は1880年に発掘された全長24m幅4mのゴグスター船です。
もう一隻のテューネ船はなぜか写真がありません。
その後国立美術館に行きました。そこで撮影OKだったので、かの著名なムンクの「叫び」を。(写真右下)
オスロの最初の観光はフログネル公園でした。この公園の大部分はヴィーゲラン(1869~1943)が作り上げた壮大な彫刻公園です。
写真左上はこの公園の中心にある「モノリッテン」(モノリス)です。
「モノリッテンは14.12メートルの高さで、121人の人物像が浮彫にされている。これらの人物は裸体で抱き合うようにもつれ合い、積み重なりながら空へと伸びている。これは、精神的なもの、聖なるものにより近づこうともがく人間の欲を表しているとされる」(ウィキペディア)
写真右中は「生命の環」です。
「850メートルの長さの軸線の北西端には、1930年に制作された日時計と、1933年から1934年に制作された「生命の環」がある。この「環」は、4人の人物と1人の乳児が抱き合って花輪のように円形を描いており、調和の中に空中に浮かんでいる。この環は永遠のシンボルであり、この庭園のテーマである人生の始まりから終わりへの旅を象徴している。」(ウィキペディア)
写真左下は「怒りんぼう」です。
彫刻の数は193体、刻まれた人間の数は650体以上です。
作者のヴィーゲランはその作品の解説一切拒否したそうです。
ロスキレからヘルシングーアに向かいました。途中17世紀〰19世紀に王の戴冠式が行われたフレデリクスボー城に立ち寄りました。現在は国立歴史博物館になっています(写真上)。
ヘルシングブーアはシェークスピアの「ハムレット」の舞台となったクロンボー城があります(写真中)。というわけでシェークスピアの胸像がありました(写真下)
ロスキレには11世紀よりデンマーク国王の宮殿がありました。1170年にロスキレ大聖堂(写真上)が建てられ歴代の国王の棺が安置されています。写真中は大聖堂の礼拝堂です。
街中で子供たちが楽しんでいました(写真下)やっぱりここではヴァイキング博物館に行きたかったな!
コペンハーゲンの西31㎞にある国内で一番古い町ロスキレへ向かいました。ヴァイキングの町としても有名でその博物館もあるのですがなぜか行きませんでした。市庁舎(写真上)前でバスを降り観光をはじめました。われわれへの歓迎の音楽隊(写真下)かと思いましたが、ではなくこの地の狩猟協会のお祭りの音楽隊でした。馬車に乗っている協会長(写真中)へのお迎えの音楽隊でした。