100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「北欧大紀行」編 コペンハーゲン2

2022年11月02日 07時52分50秒 | 北欧

  写真上は1750年代に建てられたアメリエンポー宮殿です。ここの目玉は衛兵交代なのですがなぜかその写真がありません。
コペンハーゲン2日目の午後はフリータイムでニューハウエンから運河をクルーズ船観光をしました。かって長い航海を終え、やっとの思いで陸に上がった船乗りが羽根を伸ばした居酒屋街です(写真下)

  写真上は1750年代に建てられたアメリエンポー宮殿です。ここの目玉は衛兵交代なのですがなぜかその写真がありません。
コペンハーゲン2日目の午後はフリータイムでニューハウエンから運河をクルーズ船観光をしました。かって長い航海を終え、やっとの思いで陸に上がった船乗りが羽根を伸ばした居酒屋街です(写真下

「北欧大紀行」編 コペンハーゲン1

2022年10月30日 07時52分15秒 | 北欧

 大道芸人が活躍していました(写真上)
コペンハーゲン港の入口を防御するために作られたカステレット要塞の中心に、ゲフィオンの泉が水を湛えています。女神ゲフィオンが左手を振りかざした勇敢な姿で、4頭の牛に鞭を打っています(写真中)
写真下はゲフィオンの泉の近くにあるアンデルセンの童話で有名な人魚姫ですね。人魚姫の手や首が切り取られるとう事件があったそうです。


「北欧大紀行」編 ストックホルム〰コペンハーゲン

2022年10月27日 07時54分25秒 | 北欧

 ストックホルムからデンマークの首都コペンハーゲンに列車(写真上)で向かいました。2000年7月に開通したスウェーデンとデンマークを隔てる海峡をつなぐオースレン大橋を渡り5時間の列車の旅でした。
 コペンハーゲン到着して最初に感じたのは自転車駐輪場の整備でした。(写真中)コペンハーゲンでは多額の費用を投じて街中に自転車道が整備されています。全市民の62%が通勤に自転車を使用しているそうです。世界で一番自転車にやさしい都市です。
 日本では最近自転車規制が厳しくなってきています。自転車道路などを整備してもっと優しくしてほしいですね。大気保全、個人の健康に良いと思います。
 写真下はわたくしの撮影ではなくネットからの借用です

「北欧大紀行」編 ストックホルム3

2022年10月24日 07時52分53秒 | 北欧

 ストックホルム2日目の最初はノーベル賞受賞者の祝賀晩餐会の行われる市庁舎でした(写真左上)。その後、前々回紹介した旧市街ガムラ・スタンでこのような狭い路地に出会いました(写真右)
 奇妙な模様が描かれた大きな石に出会いました(写真左下)。ルーン文字です。ルーン文字はゲルマン人がゲルマン諸語の表記に用いた文字です。後にラテン文字にとってかわられますが、北欧では中世後期まで使用されていました。

「北欧大紀行」編 ストックホルム2

2022年10月21日 07時53分44秒 | 北欧


初日のストックホルムの午後は自由時間でした。わたくしの自由時間は買い物でした。先住民サーミ人の伝統的音楽ヨイクのCDでした。方向音痴で語学音痴のため難渋を極めた買い物でした。サーミ人はノルウェー、スウェーデン、フィンランドに住む少数先住民族で本来はトナカイの遊牧民族で、現在は定住しています。その数は4万人〰10万人といわれています。なお名称は以前ラップ人と呼ばれていましたが差別語だということで現在はサーミ人と呼ばれています。日本からの添乗員がラップ人といって現地ガイドから注意を受けました。
 「その彼らの伝統音楽ヨイクはヨイクの第一人者ニルス・アスラク・ヴァルケルバー(写真上の左の人物)によればただ単に伝統音楽、民族の音楽とのみ言い切れるものではない。***国家を持たない少数者として他民族の支配と略奪、抑圧を受け続けてきたサーミの人々が、****自らの文化を、そして民族全体を守り続けてくることができた大きな支え」
(「読んで旅する世界の歴史と文化 北欧」p83)
私は音痴なのでよくわかりませんが、非常に特徴のある音楽で心が休まる感じです。忙しい現代人を癒す音楽だと思います。事実ヨーロッパではガンに効く音楽と言われ病床で聞く人が多いそうです。このブログではCDをお聞かせできないのが残念です。写真上はCDに挟まれていたリーフレットです。
 写真中は民族衣装を着て土産物を売っているサーミ人です。撮影はノルウェーのサルタです。
 CDを求めてウロウロしていた時写真下の光景に出会いました
突如ケタタマシイ車の(タクシーが多い)クラクションとともに旗を掲げ、警察に付き添われたデモ隊らしき一団に出会いました。かなり長く行列は続きました。何事かと野次馬に聞いたところ彼らはトルコ人の一団でワールドカップで韓国に勝利し3位になったことを喜ぶ祝賀パレードだったのです。よく見れば旗はトルコ国旗でした。
 ドイツにはトルコ人の出稼ぎ労働者が多くいることは知っていましたが、スウェーデンにもこんなに多くのトルコ人労働者がいたとは

「北欧大紀行」編 ストックホルム1

2022年10月18日 07時55分22秒 | 北欧

2002年6月28日〰7月15日デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドのツアーに参加しました。すでに少しばかり紹介していますが(カテゴリー「北欧」)未紹介の部分を中心に記述したいと思っています。
 最初の訪問地はスウェーデンの首都ストックホルムでした。ストックホルムはバルト海に面した美しい水の都です(写真左上)。スウェーデンは立憲王国なので王宮があります。丁度衛兵の交代時でした(写真左下)
 写真右は中世の雰囲気が残る旧市街ガムラ・スタンです。奥に見える建物はストックホルム最古の大聖堂です。

「中米」編 コン・ティキ号

2007年12月10日 08時59分05秒 | 北欧

 ついでにコン・ティキ号を紹介しておきます。写真はノルウェーのオスロにある コン・ティキ号博物館に展示してある実物です。

 古代インカ人の技法でパルサ材を組み合わせて作りヘイエルダールら6人が乗り組み1947年4月28日にぺルーのリマの近くから出発し8月7まで漂流しポリネシアに到着しました。なお、コン・ティキという名前は「太陽神」と「太陽の息子」の両説がありその言語も、先インカの太陽神、インカ帝国の太陽神、ポリネシア語、ペルー語だとか文献によって色々違いがあります。

 写真はフィルム写真なので、一回クリックしてもう一度右下に出る拡大のアイコンをクリックしてください。


「世界の景観、風景」編 氷河、雪山の巻 ノルウェー5

2006年08月03日 08時53分27秒 | 北欧

 ボイエ氷河です。ブリグスダール氷河より一回り小さいのですが、到着した時、悪魔の悲鳴?のような異様な音が聞こえてきました。氷河の崩落でした。慌てて撮った写真がこれですが、崩落場所は氷河の上部の少し岩が露出しているところです。

  3年前にここに来たことがあるという添乗員の加藤さんはずいぶん小さくなっているとの感想をもらしていました。地球温暖化のせいですかね。


「世界の景観、風景」編 氷河、雪山の巻 ノルウェー4

2006年08月01日 08時49分10秒 | 北欧

 このブリグスダール氷河には写真のような北欧美人?の御者の馬車で行きました。彼女のサイン入り(Bodil)の観光リーフレットには以下のようなことが書かれていました。 

 「オルデダーレンの農民たちは100年にわたり馬車でのブリグスダール氷河観光に従事し、多くの旅行者のお供をしてまいりました。これまでノルウェー王一家をはじめ、他のヨーロッパ諸王家から多くの方々がお見えになり、氷河まで馬車をご利用になられています。****夏の暖気によって溶け出している氷河の先端部分の氷は500年前に出来たものです」


「サッカー」編

2006年06月18日 08時20分45秒 | 北欧

  サッカーのワールドカップのフィーバー(マスコミだけか?)に便乗して。

 トキは4年前の日韓共同開催のワールドカップの開催時。

 トコロはユーラシア大陸の反対側スウェーデンのストックホルム(現地時間2002年6月29日午後)の目抜き通りでの写真です。当日午後自由時間になりストックホルムの繁華街でヨイク(2005年12月25日のこのブログを参照してください)の音楽CDを探していました。突如ケタタマシイ車の(タクシーが多い)クラクションとともに旗を掲げ、警察に付き添われたデモ隊らしき一団に出会いました。かなり長く行列は続きました。何事かと野次馬に聞いたところ彼らはトルコ人の一団でワールドカップで韓国に勝利し3位になったことを喜ぶ祝賀パレードだったのです。よく見れば旗はトルコ国旗でした。

 ドイツにはトルコ人の出稼ぎ労働者が多くいることは知っていましたが、スウェーデンにもこんなに多くのトルコ人労働者がいたとは。 余談ですが、私は各種のスポーツ国際大会で日本の若者が日の丸を片手に「ニッポン ニッポン」叫んでいるのを聞くと生理的嫌悪感を催すのですが。