写真上は1750年代に建てられたアメリエンポー宮殿です。ここの目玉は衛兵交代なのですがなぜかその写真がありません。
写真上は1750年代に建てられたアメリエンポー宮殿です。ここの目玉は衛兵交代なのですがなぜかその写真がありません。
ついでにコン・ティキ号を紹介しておきます。写真はノルウェーのオスロにある コン・ティキ号博物館に展示してある実物です。
古代インカ人の技法でパルサ材を組み合わせて作りヘイエルダールら6人が乗り組み1947年4月28日にぺルーのリマの近くから出発し8月7まで漂流しポリネシアに到着しました。なお、コン・ティキという名前は「太陽神」と「太陽の息子」の両説がありその言語も、先インカの太陽神、インカ帝国の太陽神、ポリネシア語、ペルー語だとか文献によって色々違いがあります。
写真はフィルム写真なので、一回クリックしてもう一度右下に出る拡大のアイコンをクリックしてください。
ボイエ氷河です。ブリグスダール氷河より一回り小さいのですが、到着した時、悪魔の悲鳴?のような異様な音が聞こえてきました。氷河の崩落でした。慌てて撮った写真がこれですが、崩落場所は氷河の上部の少し岩が露出しているところです。
3年前にここに来たことがあるという添乗員の加藤さんはずいぶん小さくなっているとの感想をもらしていました。地球温暖化のせいですかね。
このブリグスダール氷河には写真のような北欧美人?の御者の馬車で行きました。彼女のサイン入り(Bodil)の観光リーフレットには以下のようなことが書かれていました。
「オルデダーレンの農民たちは100年にわたり馬車でのブリグスダール氷河観光に従事し、多くの旅行者のお供をしてまいりました。これまでノルウェー王一家をはじめ、他のヨーロッパ諸王家から多くの方々がお見えになり、氷河まで馬車をご利用になられています。****夏の暖気によって溶け出している氷河の先端部分の氷は500年前に出来たものです」
サッカーのワールドカップのフィーバー(マスコミだけか?)に便乗して。
トキは4年前の日韓共同開催のワールドカップの開催時。
トコロはユーラシア大陸の反対側スウェーデンのストックホルム(現地時間2002年6月29日午後)の目抜き通りでの写真です。当日午後自由時間になりストックホルムの繁華街でヨイク(2005年12月25日のこのブログを参照してください)の音楽CDを探していました。突如ケタタマシイ車の(タクシーが多い)クラクションとともに旗を掲げ、警察に付き添われたデモ隊らしき一団に出会いました。かなり長く行列は続きました。何事かと野次馬に聞いたところ彼らはトルコ人の一団でワールドカップで韓国に勝利し3位になったことを喜ぶ祝賀パレードだったのです。よく見れば旗はトルコ国旗でした。
ドイツにはトルコ人の出稼ぎ労働者が多くいることは知っていましたが、スウェーデンにもこんなに多くのトルコ人労働者がいたとは。 余談ですが、私は各種のスポーツ国際大会で日本の若者が日の丸を片手に「ニッポン ニッポン」叫んでいるのを聞くと生理的嫌悪感を催すのですが。