今回のツアー名が「シヌログ祭りを楽しむ****」とあるようにシヌログ祭りはこの旅行の目玉でした。セブ島で行われるこのお祭りは毎年1月に10日間行われ最終日はグラン・パレードと呼ばれこの祭りのハイライトで今年は1月21日でした。私たちはこの「グラ・パレード」を見学しました。このお祭りにはフィリピン全国から毎年400万人が集まるといわれています
この「シヌログ」という言葉はこの地のヴィサヤン族の「河のせせらぎを模したダンス」という意味でアニミズム信仰の行事でした。それがマゼランが残した子供時代のイエス・キリストの像「サント・ニーニョ」を称えるお祭りになり現在に至っています。
写真は以前紹介したサン・オウガスチン教会にあった「サント・ニーニョ」とその由来が書かれた掲示です。
彼は多芸多能の人でトカゲの新種を発見しています。(写真)
彼は日本との関係も深いようです。
2つだけ紹介しておきます。1888年アメリカ経由でスペインに向かう途中に日本に立ち寄り2ヶ月滞在しました。滞在中彼が思いを寄せた「オセイサン」こと「白井勢以子」がいました。彼女の肖像画がこの記念館にあるのですが、なぜか私のカメラにはありませんでした。
また彼の記念碑が日比谷公園にあります。
なお彼以外のフィリピン独立派の人々も日本との関係は深いものがあります。そのこともあってこの「フィリピン」編の冒頭に紹介したように日米の「桂・タフト密約」ができたのではないかと私は妄想しています。一例を挙げておきます。
リサールの独立思想を引き継いだバニファシオなどの秘密組織「カティプーナン」の機関紙「カラヤーン」の実際の発行地はマニラでしたが紙上では横浜となっていました。「これらの偽装は当局の捜索を撹乱するための工作であったが、それ以上の意味も託されていた。発行地が横浜であるということは****日本が、カティプーナンに何らかの支援を与えていることを暗示するものであった」とは池端雪浦著「フィリピン革命とカトリシズム」p106でした。
このサンチャゴ要塞にはホセ・リサール記念館があります。フィリピン独立の国民的英雄ホセ・リサール(1861~96)が「反乱・扇動」の罪で投獄されていたところが現在記念館になっています。
彼はメスティーソと呼ばれている中国人とフィリピン人の混血の裕福な家庭に生まれました。スペインに2度の留学をして次第に民族意識に目覚め、帰国後、「ラ・リガ・フィリピナ」を組織しました。その思想的立場は急進的な革命を望むものではなく、スペイン統治下のまま暴力を用いずに穏健な改革を望むものでしたが、この方針をも危険視したスペイン植民地政府当局によって逮捕され処刑されました。その後、バニファシオらのカティプナンの革命運動に引き継がれます。現在は独立革命運動の教祖としてあがめられ国は1956年に、「リサール法」を制定し、全ての学校でリサールの生涯、著作を教えることを義務付けています。
写真は記念館にある彼の蝋人形です。
首都マニラにスペイン植民時代の城塞都市イントラムロスが残さされています。そこに1571年に造られたのがこのサンチャゴ要塞です。ここは歴史上重要な役割をしたところです。スペイン統治時代には牢獄、アメリカ統治時代には米軍陸軍本部、日本統治時代には憲 兵隊本部や牢獄として使われました。
マニラの夜は「1912年の開業以来、世界各国のVIPをゲストとして迎え入れてきた格式の高いマニラホテル」(「地球の歩き方)p98」でした。
というわけで?警備も厳重なようでこのような銃を持った警備員がいました。