部屋のテーブルにこのような紙が置かれていました。キリル文字、フランス語、英語などの文章です。これは英文に翻訳したもののようです。よく見るとラブレターですね。1836年6月19日の日付がありますね。興味のある方は拡大してお読みください。私も一度でもよいからこんなラブレターを書きたかったなー
部屋のテーブルにこのような紙が置かれていました。キリル文字、フランス語、英語などの文章です。これは英文に翻訳したもののようです。よく見るとラブレターですね。1836年6月19日の日付がありますね。興味のある方は拡大してお読みください。私も一度でもよいからこんなラブレターを書きたかったなー
その後1850年3月二人は正式に結婚します。バルザックの女たらしは有名ですが正式に結婚したのはこのハンスカ夫人だけでした。しかしバルザックは同年8月死亡します。バルザックは大食いで糖尿病だったと言われています。
このホテルに泊まったのはバルザック一人だけではありません。彼の愛人ハンスカ夫人と一緒でした。ハンスカ夫人(1801~1882)は現在ウクライであるヴェルヒヴニァという村で3000人の農奴を持つポーランド貴族ハンスキ伯爵の妻でした。彼女が暇を持て余しパリ在住のバルザックに手紙を書いたのが(1832)きっかけになりついに1833年スイスで密会をします。
1841年ハンスキ侯爵が死にバルザックは1847年ウクライナにやってきます。その時にとまった宿がこのジョルジョホテルと言うわけです。そこで部屋にはこのような物が飾られていました。