この記念館にありました。山田五十鈴(1917~2012)は誰でも知っている戦前から戦後にかけての銀幕の大スターです。ここにあるのは戦時中に軍隊に慰問に来ていたからでしょう。
川島芳子(1907~1948)は7月6日に紹介した李香蘭(山口淑子)とは眞逆の人物です。本名が愛新覺羅顯㺭でわかるように清朝の皇族です。日本名を名乗り李香蘭(山口淑子)とおなじような活躍をし、日本軍のスパイ(正確な詳細は不明)ということで日本の敗戦後漢奸(売国奴)して処刑されます。
この記念館にありました。山田五十鈴(1917~2012)は誰でも知っている戦前から戦後にかけての銀幕の大スターです。ここにあるのは戦時中に軍隊に慰問に来ていたからでしょう。
川島芳子(1907~1948)は7月6日に紹介した李香蘭(山口淑子)とは眞逆の人物です。本名が愛新覺羅顯㺭でわかるように清朝の皇族です。日本名を名乗り李香蘭(山口淑子)とおなじような活躍をし、日本軍のスパイ(正確な詳細は不明)ということで日本の敗戦後漢奸(売国奴)して処刑されます。
水師営会見に隣接して記念館的な建物がありました。そこで見た書面です。停戦条約のようです。拡大してみてください。
「露軍の勇敢なる防御を名誉とするにより露国陸海軍の将校及び官吏は、帯剣及び直接生活に必要なる私有物携帯を許さるべく」
と、このような一節があります。私はいかなる戦争にも反対の絶対的戦争反対論者ですが、この文章を読むと私の軍国少年時代の「鬼畜米英」とはずいぶん違うと思いました。
この水師営会見所の各部屋の壁にはたくさんのこの当時の写真が貼られていました。その一枚に私はギックとして立ち止まりました。私の父親のアルバムにあった写真と構図が全く同じだったのです。父親は職業軍人で日中戦争(日露戦争ではありません)にも従軍していました。そのアルバムにはたくさんの写真があったように思いますが(今はほとんど忘れています)この構図の写真だけはなぜか鮮明にいまだに記憶しています。ところが敗戦後父親が帰還して数年後そのアルバムから消えました。そのためか、ますます私の脳裏から離れません。なぜか?皆さん想像してください。
なお、この写真の説明文の冒頭の字は「無」の簡体字で「無辜」(罪の無い)となります。終わりから2番目の字は「殺」ですね。これで意味はわかりますね。