この地は1941年グレンミラーの作曲の「チャタヌーガ・チュチェ」でも有名です。音楽好きの人には記憶にあると思います。 この地を走っていた鉄道の旅客列車の愛称に由来します。そこには古の列車が展示されていました。
テネシー州チャタヌーガを訪れました。チャタヌーガとはネイティブ・アメリカン(インディアン、アメリカ先住民)のチェロキー人の言葉で「岩が迫ってきている所」という意味です。2017年9月8日に紹介したように彼らはジェファーソン大統領によって立案されジャクソン大統領が実行した「強制移住法」によって西部に強制的に移住させられました。このことは私の手元にあるアメリカの4学年~6学年用の歴史家庭学習書にも記載があります。以下その一部を抜粋紹介します。
The Cherokees lived and farmed for hundreds of years on land in *****Tennessee. They wrote their own constitution in 1827 , based on the U.S.Constitution , and declared that their territory was an independent nation . However , the state of Georgia would not recognize their independence. *********
***********
In the fall of 1838 , the move began . It was over 800 miles to Oklahoma , and disease, and bitter cold took the lives of another 2.000 Cherokee .By the time they reached their new home ,one-fourth of the Cherokee nation had died .That is why the journey became known as the Trail of Tears.
写真はウィキペディアからの借用ですが彼らは文字を持ちその文字による新聞も発行していました。
このチェロキーの血を引く人のなかにエルビ・スプレスリー(後日紹介)がいることをこのウィキペディアの日本語版で知りました。英語版には記載がありません。
「余計なお節介」
このチェロキーなどの強制移住などについては私の手元にあるハワード・ジンの「民衆のアメリカ史 上」がかなり詳しいようです。