ここにこのような日本人の像がありました。私はこの羽鳥又男(1892~1975)を知りませんでした。びっくりしました。彼は1942年に台南市長になりこの赤嵌楼の修復したことでこのように碑まで建立されたようです。
「赤崁樓の修復作業は1943年3月1日に始められ、1944年12月20日に完了した。総工費65,000円。この修復作業は台湾總総督府の支持を得られず、日本軍も作業を妨害したが、羽鳥は赤崁樓の修復を完遂した」(ウィキペディアより)
ついで余談話を一つ。
1897年森川清次郎という36歳の日本人が巡査として台湾に赴任しました。その彼が今村の廟に慈愛公として永遠の村の守護神として祭られています。その詳細は「台湾の歓び」(四方田犬彦著)p303~305をご覧ください。
以前台湾の親日は2・28事件に由来すると書きましたが、それだけではないようですね。