100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「台湾」編 台南4 赤嵌楼(セッカンロウ)4

2018年01月06日 08時18分19秒 | 台湾

 

 ここにこのような日本人の像がありました。私はこの羽鳥又男(1892~1975)を知りませんでした。びっくりしました。彼は1942年に台南市長になりこの赤嵌楼の修復したことでこのように碑まで建立されたようです。

 「赤崁樓の修復作業は1943年3月1日に始められ、1944年12月20日に完了した。総工費65,000円。この修復作業は台湾總総督府の支持を得られず、日本軍も作業を妨害したが、羽鳥は赤崁樓の修復を完遂した」(ウィキペディアより)

 ついで余談話を一つ。

 1897年森川清次郎という36歳の日本人が巡査として台湾に赴任しました。その彼が今村の廟に慈愛公として永遠の村の守護神として祭られています。その詳細は「台湾の歓び」(四方田犬彦著)p303~305をご覧ください。

 以前台湾の親日は2・28事件に由来すると書きましたが、それだけではないようですね。


「台湾」編 台南1 赤嵌楼(セッカンロウ)1

2018年01月06日 08時11分00秒 | 台湾

 

 高雄から台南に向かいました。台湾(島)には2千数百年前にオーストロネシア語族が住み始め約400年前まで近代的意味での国家は形成されていませんでした。そこに国家権力を背景にしたオランダ人が來島し、中国大陸からは漢民族の移住が始まります。そこで両者の争いが始まり、その主要な舞台が台南でした。それ故この地には両者の争いのあとが残っています。その代表的建物が赤嵌楼です。1653年にオランダ軍が建てプロビデンシャル城(紅毛城)と呼ばれていました。1661年日本でも有名な日本人を母に持ち浄瑠璃「国姓爺合戦」のモデルになった鄭成功がオランダを駆逐します。そしてこの赤嵌楼は台湾全党の中央機関になります。清王朝と対立していた鄭成功は病死しこの地は清王朝の支配下になります。その後は略。