彼は多芸多能の人でトカゲの新種を発見しています。(写真)
彼は日本との関係も深いようです。
2つだけ紹介しておきます。1888年アメリカ経由でスペインに向かう途中に日本に立ち寄り2ヶ月滞在しました。滞在中彼が思いを寄せた「オセイサン」こと「白井勢以子」がいました。彼女の肖像画がこの記念館にあるのですが、なぜか私のカメラにはありませんでした。
また彼の記念碑が日比谷公園にあります。
なお彼以外のフィリピン独立派の人々も日本との関係は深いものがあります。そのこともあってこの「フィリピン」編の冒頭に紹介したように日米の「桂・タフト密約」ができたのではないかと私は妄想しています。一例を挙げておきます。
リサールの独立思想を引き継いだバニファシオなどの秘密組織「カティプーナン」の機関紙「カラヤーン」の実際の発行地はマニラでしたが紙上では横浜となっていました。「これらの偽装は当局の捜索を撹乱するための工作であったが、それ以上の意味も託されていた。発行地が横浜であるということは****日本が、カティプーナンに何らかの支援を与えていることを暗示するものであった」とは池端雪浦著「フィリピン革命とカトリシズム」p106でした。