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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「忘れられない」編 トレヴィア50 ツアツア

2024年02月07日 07時55分00秒 | 忘れられない

 
 ブータンでは死後遺体は僧侶によって魂が抜かれ(ポアといいます。オーム真理教を思い出しますね)故人の魂は休む間もなく次の生を受けて転生します。(輪廻転生)したがって、遺体はただの物体になり火葬されます。火葬後遺灰は川に流されます。(ヒンドゥー教とここまでは同じ) ただ遺骨の一部が遺され粉々に砕かれ粘土と混ぜあわされ、それを円錐形の鋳型で固めます。数十個から百個くらい作ります。これをツァツァといいます。これを天日干しにして21日目にチョルテン。寺の屋根や壁、または道端に奉納し、その後はそのまま放擲し数年で風化しあとかたもなくなります。
 お寺に置かれたり(写真上)、なにもない道端(写真下)にもありました。
 本林靖久氏はこのことについて以下のように述べています。
 「ブータンでは遺体や遺骨に対する執着はなく、遺骨を保存し、長く供養する考えをもたないといえよう。しかしながらツァツァの儀礼が行われて以上、ブータン人も遺骨に何らかの意味を与えているようにも思われる。この点については今後の課題としたい」(「ブータンと幸福論」p145)
 ついでに余談話を2つ。
 最近フィリッピンでの遺骨収集のことが話題になったので遺骨に対する日本人の考えについての本林氏の考えをついでに紹介しておきます。
 「(日本人は)葬送儀礼においても骨に対する執着が強すぎ、死者の儀礼の行きつくところが、遺骨の処理や保存に囚われすぎではないかと思う」(同上p135)
 ついでにも一つ。
 「お墓があるのは、仏教国では日本だけである。日本人は仏教と言えば、お墓を連想するほど、仏教にとっては不可欠なもの、仏教の一部だと思い込んで、お墓のない仏教など夢想だにしない。しかし、現在仏教が信奉されているアジアの各地を訪れれば明らかのようにお墓はどこにもない」(今枝由郎著『ブータンから見た日本仏教』p115
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