BC18世紀からBC12世紀にかけて史上初めて鉄器を使用してトルコ起点としてシリア、メソポタミアまで版図を広げたヒッタイト王国のボアズカレにある王都ハットゥシャシュの遺跡を訪れました。
この遺跡は1834年に旅行家でフランス人考古学者のチャールズ・テキシェによって発見され、1906~1907年の間にドイツ人考古学者のウィンクラーなどの指導で発掘作業が実施されました。
ウィンクラーはヒッタイト王国とエジプトとの世界最初の平和条約(BC1269年)のヒッタイト語版の粘土板を発見しました。この世界最初の平和条約の成立の陰には二人の女性が重要な役割を果たしていました。それは政治面でも影響力を有していたヒッタイト王国ハットゥシリ3世の妃プドゥヘパとエジプトラムセス2世の妃ネフェルタリが王たちよりも盛んに書簡を交わし、その双方の働きによりこの世界最初の平和条約が成立したことです。この両妃の書簡(粘土板)を首都アンカラのアナトリア博物館で見ました。(写真左下)平和条約については事前に少し知っていましたが、この条約に二人の女性が深くかかわっていたことは知りませんでした。この書簡については現地ガイドからも添乗員からも紹介がなくある意味で偶然にこの博物館で見かけたというわけです。わたくしの知る限りでのガイドブックなどにも記載はありません。ちょっと感動、興奮しました。この説明文(写真上不鮮明)のfriendly correspondence”は今も忘れられないフレーズです。この書簡はあまり知られていないようですが、世界史的に見てもっと知られてよい資料(書簡)だとわたくしは思うのですが。
平和条約そのものは残念ながら見ることはできませんでした。私が見落としたのか、ここになかったのか。世界最初の平和条約ということで国連本部にレプリカがあるそうです。
写真左上は大神殿の遠望です。写真右はこの城門に侵入者を見張るライオンです。
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