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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

番外編 お墓 イタリア ローマ カタコンベ2

2005年12月29日 08時58分10秒 | 

 というわけで、日本に帰り色々調べたところこのカタコンベとキリスト教徒迫害とは関係がないことを知りました。なぜ日本の高等学校の世界史の教科書に誤った記載があるのでしょう。

 カタコンベが単なるキリスト教徒の地下墳墓だとすればわざわざ教科書に取り上げる価値はないと思います。私が調べたかぎりでは一冊だけカタコンベに触れていない教科書を見つけました。

 「実教出版 高校世界史B 平成14年版」でした。

 そこでは迫害についても「ローマ帝政は宗教にがいして寛容でキリスト教は下層民や奴隷のあいだで信者を獲得し、上層民の信徒もしだいにふえていった」(P24)どうもこれが真実に一番近いようです。

 私は海外旅行のための基礎知識として世界史の教科書を読んでみました。そこでいくつかの基本的な誤りを発見しました。それをここで述べる場ではないのでやめますが機会があればと思っています。一つだけ指摘しておきます。それはプロテスタント史観に偏っているのではないかです。

 写真はカラカラ浴場です。



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2 コメント

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そのほうが納得できます (colo)
2005-12-29 10:27:07
 ウーン、そう言われればその通り、なぜ今まで教科書を鵜呑みにしていたのかと我ながら可笑しくなります。人間はだまされやすい・・・

 宗教に不寛容なのはローマじゃなくユダヤ教・キリスト教の側ですよね。プロテスタントに偏っているというのも同感です。
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納得できません (bosch)
2006-09-02 21:40:43
キリスト教徒はローマのネロ帝による、ローマの大火の責任転嫁ややディオクレティアヌス帝によって大迫害を受けました。事実、ペテロ、パウロは殉死しています。カタコンベは本来墓地ではなく、迫害されたキリスト教徒が地下に作った信仰の場所です。303年以降キリスト教の大迫害はなく、その後何度もの会議が重ねられて少しずつ認められていきましたが、キリスト教成立初期の頃はローマの全ての皇帝が寛容だったわけではありません。
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