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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

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「出会いふれあい」編 語学音痴の会話2

2024年09月08日 07時52分19秒 | 出会いふれあい

ついでに中央アジアでの私の接したコトバ事情(2004年当時)について紹介しておきます。ガイドはいずれもロシア語が堪でした。3人いましたが、ひとりについては不明ですが、他の二人はいずれも母国語(ここではあえて母語でなく母国語とします)がやや不自由でした。トルクメニスタンのガイド、マヤさんの弟は母国語に堪能だそうです。これはソビエト連邦崩壊後の教育だということは容易に考えられるところです。すなわち、現在各国政府は自国の民族語教育に力をいれていることは明らかです。
 今回挨拶に、この地域の共通語であるロシア語を最初に用いました。もっとも知っている単語は(ありがとう)「スパシーバ」と(さようなら)「ダスビダニア」だけなのですが。これは知識層と見える人たちには良い反応が見られるのですが、一般庶民の反応はいまいちという感じでした。その後現地語を使うようになって反応がよくなりました。「アッサラム・アクイレム」(丁寧な?「こんにちは」に相当するアラビア語起源で原義は「平和があなたと共にありますように」)が一番でした。なお、この「アッサラム・アレイクム」はイスラーム圏では共通語です。この挨拶をすると必ず握手を求めてきました。というわけで、もともとあった民族語への敬意がソ連邦崩壊後強くなっているのではないかと思いました。そのことを強く印象付けたのが帰りのタシケント(ウズベキスタンの首都)空港でのやり取りでした。パスポートチェックの時係りの女性に「スパシーバ」(ロシア語)というと彼女は間髪を入れずに、しかし、にこやかに「ラフマット」(ありがとう)(ウズベク語)と訂正してくれました。次の「ダスビダニア」にも、「ハイール」(さようなら)(ウズベク語)とすばやく、毅然として、笑みを浮かべながら、訂正してくれました。
(注)1995年まではロシア語とウズベク語が公用語。以後ウズベク語だけが公用語。

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