キューバ革命後、アメリカ合州国などに亡命したキューバ人とアメリカ合州国が革命政府の打倒の企てをたびたび繰り返し、その試みは今に至るまで続いています。その代表的事件が1961年のプラヤ・ヒロン危機(ピッグス湾危機)と1962年ミサイル危機でした。
1961年4月14日亡命キューバ人が操縦するアメリカ合州国の爆撃機B29がハバナ市内を空爆、17日にはキューバ島中部南海岸のプラヤ・ヒロンにアメリカ合州国軍隊に訓練されたキューバ亡命者が侵攻してきました。
結果としてはいずれもキューバ政府軍が侵攻軍を撃退してキューバ革命の基盤が強化されました。
写真はハバナの革命博物館展示されていた侵攻軍を撃退した戦車です。
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