私は言語音痴のため現地の人たちとの接触は少なく薄いものになります。一番近いには現地ガイドさんですが、それもなかなかです。その中で日本語を話す現地ガイドさんの場合は積極的に話しかけるよう努力しました。というわけでわたくしの乏しい英語でコミュニケートした人を含めて忘れられない現地ガイドさんを幾人か紹介しようと思います。
2000年10月2日〰16日「トルコ物語」というツアーに参加しました。
今回の15日間のトルコを通じての現地ガイドはハーカーンさんでした。写真左上はエフェソスの遺跡で説明しているハーカーンさんです。写真左下はハーカーンさんの名刺です。「波歓」の印鑑はカッコいいですね。
最近になって知ったのですが、「ハーカーン」は北アジア史の文脈で伝統的に使用されてきた由緒ある最高支配者の称号「可汗」に由来する称号****オスマン帝国の支配者使用(岩波講座 世界歴史09 p84)
最近になって知ったのですが、「ハーカーン」は北アジア史の文脈で伝統的に使用されてきた由緒ある最高支配者の称号「可汗」に由来する称号****オスマン帝国の支配者使用(岩波講座 世界歴史09 p84)
イスラーム教の信者ではなくトルコでは珍しい存在だと自分で説明していました。なかなかのナショナリストでビザンチン帝国を1453年滅ぼしたオスマン帝国の征服王メフメトⅡ世(在位1951年~81)を尊敬していました。また4世紀にエジプトのカルナック神殿から運ばれてきた(合法?非合法?)オベリスク(写真右)がイスタンブールにありますが、これを見て私がハーカーンさんにからかい気味に「エジプトが返してくれといっているよ」というと絶対に返さないと本気でいきまいていました。
彼の日本語は完璧でした。バスの中で日本からの添乗員が日本語に詰まった時すかさず助けを出した時は全員拍手喝さいでした。日本人よりも上手な日本語の使い手でした。その彼は日本語を始めてから5年くらいで、英語は子供の時からでペラペラのようでした。英語のガイドもするそうですが、日本語の方が疲れないそうです。語順が同じからだそうです。
ちなみに、トルコでは半分以上の大学に日本語学科があるそうです。
彼の祖父は現在のギリシャ領に住んでいたそうです。第一次世界大戦でトルコが破れ当時ギリシャに住んでいたトルコ人は現在のトルコ領に戻り、トルコに住んでいたギリシャ人はギリシャに戻りました。
彼の日本語は完璧でした。バスの中で日本からの添乗員が日本語に詰まった時すかさず助けを出した時は全員拍手喝さいでした。日本人よりも上手な日本語の使い手でした。その彼は日本語を始めてから5年くらいで、英語は子供の時からでペラペラのようでした。英語のガイドもするそうですが、日本語の方が疲れないそうです。語順が同じからだそうです。
ちなみに、トルコでは半分以上の大学に日本語学科があるそうです。
彼の祖父は現在のギリシャ領に住んでいたそうです。第一次世界大戦でトルコが破れ当時ギリシャに住んでいたトルコ人は現在のトルコ領に戻り、トルコに住んでいたギリシャ人はギリシャに戻りました。
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