スリランカに最初に来た交易商人はアラブイスラーム教徒でした。その交易の拠点がゴールでした。そこで現在でもイスラーム教徒がたくさん居住しています。写真はゴールで出会った「マスシド」(モスクは英語)です。(注)現地ガイドの「サナ」さんは何か恐ろしいものを見るようにして紹介してくれたのが気にかかりました。いまどきの風潮か?以前からか?
(注)マスシド(アラビア語)→メスキータ(スペイン語)→モスク(英語)については2008年6月12日紹介しています。スリランカでは「マスジド」と呼ばれていました。
スリランカに最初に来た交易商人はアラブイスラーム教徒でした。その交易の拠点がゴールでした。そこで現在でもイスラーム教徒がたくさん居住しています。写真はゴールで出会った「マスシド」(モスクは英語)です。(注)現地ガイドの「サナ」さんは何か恐ろしいものを見るようにして紹介してくれたのが気にかかりました。いまどきの風潮か?以前からか?
(注)マスシド(アラビア語)→メスキータ(スペイン語)→モスク(英語)については2008年6月12日紹介しています。スリランカでは「マスジド」と呼ばれていました。
ポルトガルによるスリランカ植民地化への流れは次に登場するオランダ(1658~1796)に引き継がれ次のイギリス(1796~1948)によって完成します。ゴールにオランダ時代の教会が残っていました。写真を見ていただければわかるとおり”reformed”という単語が見えますが、これはイギリス時代に改築されという意味です。イギリスが同じプロテスタントの教会ということでこの教会を継承したというわけです。
スリランカは仏教、ヒンドゥ教だけの国ではありません。写真の人物は最初に宿泊したコロンボに近い海岸線にあるホテル(ポン引きに出会った、2015年12月3日~6日)の前で撮影したものです。海岸線に住む人だからカトリック教徒ではないかと見当をつけて尋ねてみるとそうだとの返事でした。
スリランカが最初に接触したヨーロッパは日本と同じカトリックのポルトガルでした。その時、スリランカの漁民は不殺生戒の仏教からカトリックに改宗したのです。というわけで写真の人物はカラーワと呼ばれている漁民カーストの人のようです。キリスト教の人口比率は約8%で主にカトリックです。
最初のヨーロッパが日本と同じのポルトガルというわけで日本とスリランカではポルトガル語起源の「パン」など共通の言葉があります。なおポルトガルのスリランカでの目的はシナモン貿易の独占にありました。
写真の人物の仕事はトゥトゥと呼ばれているこの三輪車のタクシードライバーです。このトゥトゥはスリランカでは多く走っている車(インド製)で、このようにタクシーや自家用にも使用されています。
今まで主に仏教施設を紹介してきましたが、スリランカではもちろん人口の20%を占めるタミル人のヒンドゥ教徒のお寺もあります。写真はポロンナルワからキャンディに向かう途中で出会った現役のヒンドゥ教のお寺です。
たくさんの仏教遺跡を紹介してきましたが、スリランカでは今(で)も仏教は多大の影響力があることは周知のことですが、その証拠品?の一つが私たちがスリランカ旅行でお世話になったこのバスの仏像のような気がしています。
満月の日はポヤデイといって国の祭日です。銀行など休みです。実際どの程度の機関が休みなのかは私にはわかりませんでした。このポヤデイにスーパーマーケットに入ったところポヤデイなので生肉の販売はしないと書かれている張り紙を見ました。横隅に見えるようにソーセージはあるようなので加工肉はよいようですね
ここまで書いてきて疑問に思ったのはこの張り紙が英語(スリランカでは英語は第二公用語的地位を占めてはいますが)だけで書かれてということと、ご不便をかけて申しわけ無い(We regret****)とあることです。今になって考えるとこのスーパーマーケットは外国人向けであったのかな、と思ったりもしていますが、よくわかりません。
クワドラングルはまだ残っていますが、遺跡ばかりなのでここで少し気分を変えてポヤデイという祭日を紹介します。クワドラングルを観光していたとき添乗員の松本さんが今日はポヤデイという祭日なのでお酒は飲めませんよ、といわれました。そこで毎日飲んでいて、この日だけ飲まなかったお酒を紹介します。”ARRACK ” というココナッツを原料とした蒸留酒です。Lonely planetによれば二日酔いの危険性がということでしたが、量をセイブしたので毎日おいしくいただけました。美味ですよ。
ポロンナルワの王朝は後期にはヒンドゥ教徒の王が現れヒンドゥ寺院が建設されるようになりました。その代表的なお寺がシヴァ神を祭ったこのシヴァ・デーヴァーラです。リンガ(男根)が祭られているそうですが見ることはできませんでした。