ヴィクトリアの滝はザンビアとジンバブエ両国に接しています。最初はザンビア側からの観光でした。
ナニこれ? 本当ですか? 南米のイグアス滝、北米のナイヤガラ滝とともに世界三大瀑布とされるこのヴィクトリアの滝が?と誰でも思います。添乗員の川窪さんのメモには「滝観光というよりは岩観光?」とありました。それはここを訪れたのは10月で乾季だったからです。今見える岩壁は雨季には多量の水で見えなくなります。ところで、なぜこのような季節にここを訪れたのか、というと、すでに紹介したサファリーツアーとのバランスにありました。サファリーツアーの場合は雨季では草が繁茂して野生動物が見づらくなるのです。したがって滝観光に重視する方は雨季の3~7月がお勧めです。
村長のロモニさんと私です。村長さんには2人の奥さんと10人の子供さんがいるそうです。
帰国後、永松真紀著「私の夫はマサイ戦士」という本を読みました。彼女はマサイ人ジャクソンのもとへ2番目の夫人として嫁ぎました。結婚後も旅行ガイドとして仕事をするということで子供が生まれたら1号夫人(1号夫人の方が若い)に面倒を見てもらうということで婚約したそうです。また子供が女の子だったら割礼をしないという約束をしたそうです。彼女は現在もツアーガイドとして活躍しており日本の旅行業者とも契約しているそうです。彼女の案内でマサイ村を訪れるのはなかなか興味がありますね。
2007年にタンザニア、ケニア、ジンバブエ、ザンビア、南アフリカ、ナミビアを旅行し、それをこの表題「東南アフリカ」で紹介しましたが、途中で中断したまま今日に至っています。そこで今回からかなり記憶がボケていますが、後半部分を始めます。
マサイ人についてはケニアでマサイ人を無断で写真撮影をして怒りに遭ったことを2007年10月25日に紹介しました。今回の紹介はタンザニアのマサイ人のエシラレイ村訪問記です。この訪問は本来のツアーコースにはなかったのですが、私が発案し皆さんの同意を得て特別に実現しました。したがって各人10ドルの特別出費でした。
歓迎の皆さんです。
私の思想の出発点はアメリカンデモクラシーのような気がしています。新制中学の2年生の時に出会った例の文部省の「民主主義」です。私は忘れていましたが、この中学の同窓会の時当時の担任教師の話によれば「生徒会の規約は山田が作った」そうです。ネタはどうもこの「民主主義」ではなかったかと今は思います。
私は大江健三郎をあまり好きでありませんし、彼の文章は晦渋で私には良く判りません。朝日新聞によく書いていますが殆ど読んだことはありません。しかし、その彼が確か40年ほど前?彼の民主主義の原点が「民主主義」にあると主張したことがあり、わが意を得たりと思ったことがあります。
中学時代の思い出話をもう一つ。学級新聞を作ることになりました。どうも原稿は私が殆ど書いたようでした。今覚えている記事はアメリカ大統領選挙の解説です。スチーブンソンとトルーマン?だったかな。スチーブンソンに好意的に書いたような気がします。もう一つは以後自分が生きていくうえで最も大切なこととしたものでした。(それがその後本当に実行されたかは?)それは朝日新聞の「天声人語」に書かれていたことでした。文芸誌に大家とされる人の文章が巻頭やあるいは活字を大きくして載せられている。しかし問題は中身であって大家であるというだけでその文芸誌で大切にされることはあってはならない。それにヒントを得てこの学級新聞の論説?に以下のようなことを書きました。ホームルームでの発言で成績のよい人などの発言を先生は大切にするが、成績の悪い子や先生に嫌われるような人の発言はその意見が正しくても取り上げない。これは良くないことだ。
その後(10年ほど前?)もとになった「天声人語」を見つけようとしてその頃の朝日新聞を図書館で調べましたが見つかりませんでした。したがってその記事は「天声人語」でなかったかもしれません。
私の人格形成、思想の基層はもう少し年少のときにあるような気がしています。それはいずれ後日。
以上の文章は数年前先輩で畏友の近井さん(故人)が肝臓がんに侵されことを知りエンディングノートを書くことを勧めたとき私が呼び水的に私の書いたエンディングノートの一部を少し改変したものです。
写真は中学卒業時のものです。左が私で帽子が嫌いで中、高、通じで被らなかったのですがこのときだけはなぜかこのような姿になっています。(帽子はたぶん他人のものだったと思います)右は親友の宇高晃平(故人)で彼が「民主主義」を「一生の愛読書になるだろう」言った言葉はいまも忘れることはできません。