100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「フィリピン」編 サンチャゴ要塞6 リサール記念館4

2018年05月18日 08時13分10秒 | フィリピン

 

 彼は多芸多能の人でトカゲの新種を発見しています。(写真)

 彼は日本との関係も深いようです。

 2つだけ紹介しておきます。1888年アメリカ経由でスペインに向かう途中に日本に立ち寄り2ヶ月滞在しました。滞在中彼が思いを寄せた「オセイサン」こと「白井勢以子」がいました。彼女の肖像画がこの記念館にあるのですが、なぜか私のカメラにはありませんでした。

 また彼の記念碑が日比谷公園にあります。

なお彼以外のフィリピン独立派の人々も日本との関係は深いものがあります。そのこともあってこの「フィリピン」編の冒頭に紹介したように日米の「桂・タフト密約」ができたのではないかと私は妄想しています。一例を挙げておきます。

 リサールの独立思想を引き継いだバニファシオなどの秘密組織「カティプーナン」の機関紙「カラヤーン」の実際の発行地はマニラでしたが紙上では横浜となっていました。「これらの偽装は当局の捜索を撹乱するための工作であったが、それ以上の意味も託されていた。発行地が横浜であるということは****日本が、カティプーナンに何らかの支援を与えていることを暗示するものであった」とは池端雪浦著「フィリピン革命とカトリシズム」p106でした。


「フィリピン」編 サンチャゴ要塞3 リサール記念館1

2018年05月18日 08時05分06秒 | フィリピン

 

このサンチャゴ要塞にはホセ・リサール記念館があります。フィリピン独立の国民的英雄ホセ・リサール(1861~96)が「反乱・扇動」の罪で投獄されていたところが現在記念館になっています。

 彼はメスティーソと呼ばれている中国人とフィリピン人の混血の裕福な家庭に生まれました。スペインに2度の留学をして次第に民族意識に目覚め、帰国後、「ラ・リガ・フィリピナ」を組織しました。その思想的立場は急進的な革命を望むものではなく、スペイン統治下のまま暴力を用いずに穏健な改革を望むものでしたが、この方針をも危険視したスペイン植民地政府当局によって逮捕され処刑されました。その後、バニファシオらのカティプナンの革命運動に引き継がれます。現在は独立革命運動の教祖としてあがめられ国は1956年に、「リサール法」を制定し、全ての学校でリサールの生涯、著作を教えることを義務付けています。

 写真は記念館にある彼の蝋人形です。


「フィリピン」編 サンチャゴ要塞1

2018年05月15日 08時08分12秒 | フィリピン

 

 首都マニラにスペイン植民時代の城塞都市イントラムロスが残さされています。そこに1571年に造られたのがこのサンチャゴ要塞です。ここは歴史上重要な役割をしたところです。スペイン統治時代には牢獄、アメリカ統治時代には米軍陸軍本部、日本統治時代には憲  兵隊本部や牢獄として使われました。


「臨時特別編」 カタコンベについての教科書会社からの回答

2018年05月12日 08時06分33秒 | 

 

4月3日に以下のようなことを書きました。

 

「先日(3月22日)カタコンベと「広辞苑」と題して書きましたが、依然として現在の高校の世界史教科書にはカタコンベをキリスト教徒の迫害、避難と関連付けて記述しているのがありました。いくつかの出版社には連絡をしておきました。」

 

この件について教科書会社から回答を頂きました。(写真)

写真が見難いかもしれないので主要な部分を転記し、私の意見を述べておきます。

「***この件につきまして、著者に確認いたしましたところ、カタコンベを迫害されたキリスト教徒の避難所とする学説は、近年では否定されつつあるということでございました。つきましては、「迫害」「避難所」といった記述を、平成31年度版より「初期キリスト教徒の地下共同墓地として使用された。」といった内容に変更する方向で検討します。なお、教科書の記述を変更するためには、文部科学省に申請を行い、承認を受ける必要がございます。***」

 この文章で「近年では」と書かれていますが、ちょっと引っかかりました。というのは私がそれに気づいたのは1996年のイタリア旅行のときでこのブログに書いたのは2005年と2006年でした。その時、参照した文献の一つがヨーロッパで共通の歴史認識を共有しようとして15歳から16歳を対象として書かれた欧州共通教科書「ヨーロッパの歴史」で当時に日本でも話題になりました。その出版は1992年のことでした。そこにはカタコンベの記載はありますが、迫害とか避難場所とかの記述はありません。(英語版p90)

 また1977年出版の「世界宗教史叢書 キリスト教史ⅠⅡⅢ」には全く記載はありません。というわけで「近年」のスパンをどのように考えるかでしょうが、かなり昔からカタコンベ→迫害の説は無かったのではないかと考えられると思います。

3月25日に以下のように書いています。

 

なぜこのような間違いが教科書などにあるのか私のそれ以来の疑問です。最近の私の妄想ではどうも「米欧回覧実記」(明治9年1876年)が元凶ではないか。日本にカタコンベが最初に紹介されたのはこの「米欧回覧実記」の記述からと考えれば腑に落ちるような気がしています。

 

 

 


「フィリピン」編 キアンガン戦争記念館 山下将軍投降の地4 (附)山下財宝伝説

2018年05月03日 08時13分50秒 | フィリピン

 

 降伏文書調印の場ですね。

 ここでちょっとした余談話、「山下財宝伝説」。(ネタは「現代フィリピンを知るための61章p136~p140」」

 それは太平洋戦争末期山下将軍が戦争遂行のための巨額の財貨(金塊、宝石、貨幣など)を埋蔵し、それが現在に至るまでフィリピン国内に残されているというお話です。そこからいろんな話が派生しています。一例を紹介します。以前にも紹介した元大統領マルコスは生前不正蓄財疑惑に答えて、国庫から横領して裕福になったのではなく、以前山下財宝を自ら発見して手に入れたと釈明しました。