100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ヨーロッパ小国訪問記」編 モナコ→フランス(ピレネー山脈)→アンドラ ピレネー山脈1

2019年03月18日 08時05分55秒 | フランス

 

スペイン領リヴィアを後にしてアンドラに向けてピレネー山脈を走ります。その風景はすばらしく見とれしまいました。(添乗員の三浦さんのメモ)そこで以下4枚の車窓からの風景を紹介します。


「ヨーロッパ小国訪問記」編 モナコ→フランス(ピレネー山脈)→アンドラ リヴィア3

2019年03月15日 08時12分13秒 | スペイン・ポルトガル

 

 喫茶店で休憩してコーヒーをいただきました。写真はコーヒーではなく「オルホ」というブドウの搾りかすで作られたリキュールでお店のサービスでした。珍しい日本人客だったからかな? かなりのアルコール度でした。


「ヨーロッパ小国訪問記」編 モナコ→フランス(ピレネー山脈)→アンドラ リヴィア1

2019年03月15日 08時07分23秒 | スペイン・ポルトガル

 

 フランスに取り囲まれたスペインの飛び地リヴィアでちょっと休憩。標高1224m、人口1689人の村です。1659年のピレネー条約でこの地の多くはフランスに割譲されましたがここリヴィアは村でなく町であったという理由からスペイン領に留まりました。国境はよくわかりませんでしたが、写真の郵便ポストはスペインのものだそうです。


「ヨーロッパ小国訪問記」編 モナコ→フランス(ピレネー山脈)→アンドラ モン・ルイ1

2019年03月12日 08時05分51秒 | フランス

 

標高440mのヴィルフランシュ・コンフラン村を出てピレネー山脈を進みます。 高度は高くなり1516m~1608mにある人口288人のモン・ルイ要塞村でちょっとの観光。ヴィルフランシュ・コンフラン村は以前あった村を要塞化したものですが、モン・ルイは最初からルイ14世が1679年に対スペイン政策のためヴィルフランシュ・コンフラン村を強化したヴォーバンに命じて作らせました。かなりの難工事だったようです。


「ヨーロッパ小国訪問記」編 モナコ→フランス(ピレネー山脈)→アンドラ  ヴィルフランシュ・コンフラン村10

2019年03月06日 08時05分10秒 | フランス

 

 レギュラー編に戻ります。

 前回この村をヨーロッパ中世の趣と紹介しましたが、それを最も象徴しているのがこの看板だと思います。中世では文字の読めない人が多かったのでこのように店の看板が大切な役割を果たしていました。ところが現代の私にはこの看板からは店の商売は読み取れません。皆さん分かったら教えてください。以下4枚紹介しますがいずれも分かりません。