ヴェネツィアの次の観光地はヴェローナでした。
「丘陵に囲まれ川が流れ、ローマ時代のアーチにゴシック期の柱廊という、外国人がイメージする典型的なイタリアの一都市がここにある」(「読んで旅する世界の歴史と文化 イタリアp97」
というわけで、丘陵から眺めたヴェローナです。
最初にカタコンベが単なるお墓と書いたとき、以下のようなコメントをいただきました。
納得できません (bosch)
「キリスト教徒はローマのネロ帝による、ローマの大火の責任転嫁やディオクレティアヌス帝によって大迫害を受けました。事実、ペテロ、パウロは殉死しています。カタコンベは本来墓地ではなく、迫害されたキリスト教徒が地下に作った信仰の場所です。303年以降キリスト教の大迫害はなく、その後何度もの会議が重ねられて少しずつ認められていきましたが、キリスト教成立初期の頃はローマの全ての皇帝が寛容だったわけではありません」
わたくしは最近までこのコメントは普通のキリスト教徒(会)の普通のカタコンベ理解だと思っていました。ところがそれは全くわたくしの誤解、勉強不足でした。
最近いくつかのキリスト教会に電話をしました。鹿児島のカトリック教会の方はカタコンベと迫害は全く関係ないと話していただきました。プロテスタント教会の方も同じでした。「ものみの塔」も同じでホームページを見てくださいとのことで拝見しました。ホームページにはかなり詳しくカタコンベについての記述がありましたが迫害については一言もありませんでした。
日本バプテスト鹿児島基督教会の牧師田淵さん(65歳)の話が面白かったので紹介します。最初に電話をした時の回答は「高等学校の教科書で迫害とカタコンベについてそう習い今もそのように思っています。神学部時代にもそう習ったような気がします」そこで私が「神学部時代の資料があれば教えてください」とお願いしました。その後お便り(写真公開了承済み)をいただきました。神学部時代の教科書には記載がなかったのですね、迫害とカタコンベについての知識は山川出版の「世界史教科書」のみだったのですね。なんだか変な話ですね。
ますますわたくしの疑問は深まるばかりです。なぜ高等学校の歴史教科書が誤った記載をしたのか? 田淵さんの神学時代の本には1957年出版(翻訳本なので原著はそれ以前)というかなり古い本があります。最近になって迫害とカタコンベの関係が否定されてきたという言い訳は甚だ疑問ですね。
博物館でいろいろなガラス製品を見ましたが、これもわたくしはチンプンカンプンでした。
今回で「ヴェネツィア」は終わりますが、体調不良(ボケ)のため紹介忘れを2つ。
ゴンドラ観光の時、水の汚れがひどいと思いました。ところが今回のコロナウィルスのため観光客の激減のためこの水がきれいになったという報道がありました。
もう一つ。当時のわたくしの簡単メモに「ドゥカレ宮殿。貞操帯を見る。写真に撮れなかったのが残念」とありました。ドゥカレ宮殿はほとんど撮影禁止でしたが、特に貞操帯については今も残念というわけです。貞操帯?十字軍の兵士たちが残していく妻の浮気を心配して妻につけたものです。具体的にどんなものかは皆さん妄想をしてください。
「三十日 晴れ
九時ヨリ舟ニ上リテガラス(原文漢字)製造場ニ至ル、0是場ハ府ノ北方ナル島中ニアリ、町会所ヲ以テガラス博物館トナセリ、威尼斯ニ於テガラスヲ製スルコトハ、其起リハナハタ久シ、抑ガラスヲ製スルノ濫觴ハ、4千年の古ヘ***欧州ニ誉高ク、全島内ニ此工ヲナスモノ4千人アリ」(「米欧回覧実記」岩波文庫㈣p355~6)
「米欧回覧実記」はその他製造法やその歴史について2ページにわたって記しています。
自由時間にこの文章に惹かれて世界的に有名なヴェネチアンガラスのムラーノ島へ向かいました。勿論現在も製造しています。ところがイタリア語はもちろん英語もほとんどわからず、ほとんど何もわからず仕舞いでした。
マルコポーロはこの地ヴェネツィアに生まれたというのが通説です。しかし場所は特定化されてはいません。写真は見にくいですが、看板にはマルコポーロ生誕地と書かれていました。なお、クロアチアのコルチュラ島説もあります。クロアチアの公式観光リーフレットにもそう書かれていました。2006年7月26日にコルチュラ島の生誕地を紹介しています。
ヴェネツィアは水の都ですからこのようにゴンドラというこのような小舟に乗っての観光でした。昔はこの型の船が主要な交通手段でしたが今では観光用です。車は禁止です。「米欧回覧実記」は「当府中ハ、ミナ舟ヲ以テ車ニカエ、島上ノ道路ハ、僅ニ人ヲ往来セシメルニ足ル」(岩波文庫㈣p348)と記しています。
1996年5月16日にローマ近郊のカタコンベを訪れ、その時従来のわたくしのカタコンベについての理解(主に高校世界史教科書から)が間違っていたことに気づき2005年~2006年にかけてそのことをこのブログに書きました。2018年各教科書会社に連絡(電話)したところ「帝国書房」から訂正の手紙が来、それをこのブログに今年4月20日に紹介しました。その他の教科書出版社からは連絡はありませんでしたが、多分もう修正されているからだと思っていました。山川出版社にも連絡(電話)をしましたが電話であったせいかクレーマー扱いで「ケンモホロロ」の応対でその後連絡ももちろんありませんでした。ところが、今年山川出版の教科書英訳本を見るとやはりまだ間違いの記述がありました。そこで今度は手紙でそのことを連絡しました。この30日に返事があり、間違いを認めて訂正の回答がありました。写真はその手紙の主要部分です。写真は少し見にくいので主要部分を転記します。
頂戴したご質問は、47頁「catacomb」の解説について、「place of refuge and clandestine worship during the persecution」とあるが、この記述は誤りではないか、とのことでしたかと存じます。
このたび、本書のもととなる『詳説世界史 改訂版』の執筆者に確認しました所、確かにご指摘のように、キリスト教徒のカタコンベは迫害がない時代から造られており、またキリスト教に限らず「異教徒」のカタコンベもローマから延びる街道沿いによく造られたことから、「迫害されたから地下墓地に難を逃れてそこでひそかに礼拝していた」という理解は、現在では適切ではないだろうとのことでございました。つきましては、『詳説世界史』並びに『英文詳説世界史』の該当部分は、執筆者と相談の上、今後修正をさせていただきます。ご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます。
この後「こうした記述にいたった背景は***」との説明がありますが、わたくしにはよく理解できなかったので省略します。しかし、私とってなぜこのような間違った記述が長い間高校教科書にあったかの疑問は残ったままです。したがって、帝国書院の釈明の冒頭の「近年では」、同じく山川出版社の「現在では」には引っ掛かりがあります。
なお、以前にも紹介したように、わたくしが調べた範囲では唯一実教出版社「高校世界史B」のみが「迫害→避難→カタコンベ」の記述がなかったことを付け加えておきます。