熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

市川海老蔵主演の松本清張「霧の旗」

2010年03月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先日、日本テレビで、松本清張生誕100周年記念放送の「霧の旗」を放映していた。
   市川海老蔵が、現在劇初出演と言うことで、かなり話題になっていたようだが、婦人公論に連載されていて、単行本として出版されたのが1961年だと言うから、もう半世紀前の深刻な社会派推理小説の世界に、若き未来有望な歌舞伎界きってのプリンスが、どう対向するのかに非常に興味を持ったので、珍しく、TVドラマを最後まで見た。

   NHK BSやWOWWOWでも、生誕100年記念で、清張の映画作品が多数放映されていて、偶々、1965年松竹制作の山田洋次監督作品の「霧の旗」を見ていたので、その対比も面白く、海老蔵のパンチの効いたドラマを、大いに楽しませて貰った。
   原作には、比較的忠実なのではあろうが、中身を多少現在風にアレンジして、身近な現在劇として蘇らせていたのが、印象的であった。

   原作を読まずに語るのも気が引けるのだが、このドラマなり映画の筋は次の通り。
   九州の片田舎で起こった金貸しの老女が殺害された事件で、金を借りていた中学教師柳田が検挙されるのだが、その冤罪を晴らす為に、思い余った妹の柳田桐子(相武紗季が、上京して、敏腕弁護士大塚鉄也(海老蔵)に必死になって助けてくれと頼むのだが、一蹴されてしまう。
   無期懲役の判決を受けた桐子の兄は、控訴審中に獄死する。
   その後、ある意図を持って上京して銀座のクラブのホステスとなった桐子は、素朴な田舎娘から妖艶な女へと変身して行くのだが、機会を捉えて関係人物に近づき、大塚弁護士の愛人河野径子(戸田菜穂)の弱みを握って、その証拠品を隠蔽して、更に、その証拠品を取りに訪れた大塚弁護士を誘惑して強姦させて、絶体絶命の窮地に立たせて破局へと追い込む。

   当然、このドラマの主人公は、桐子の筈なのだが、このTV番組では、御曹司海老蔵を担ぎ上げたのだから、海老蔵に焦点をあてて話が展開して行く。
   桐子役の相武紗季に付いては、殆ど記憶はないのだが、私の故郷宝塚の出身とかで、今回、海老蔵を相手に互角に渡り合って達者な芸を披露していて、単なる魅力的な美人女優と言うだけではなく、大器の片鱗を見せていて興味深かった。

   尚、大塚と桐子のどちらを主演にするのかは、桐子の復讐の凄まじさに焦点をあてるのか、あるいは、著名な名うての敏腕弁護士の凋落破局をテーマにするのかによって何れも可能であろうが、これまでのテレビドラマでは、大塚弁護士を、芦田伸介、仲代達矢、古谷一行が演じた時には、大塚弁護士を、桐子を、栗原小巻、植木まり子、大竹しのぶ、安田成美が演じた時には、桐子の方が主役になっていたようである。
   唯一の映画版山田洋次作品の「霧の旗」では、主役は、倍賞千恵子の桐子で、滝沢修の老練な大塚弁護士が、丁々発止の素晴らしい舞台を見せてくれて感動的である。

   さて、今回の日本テレビ版の「霧の旗」だが、冒頭は、日常裁判結果の放映のように、裁判所から飛び出して来た人が、報道陣の前に「全員無罪」などと言った巻物を広げて、冤罪を二度も暴いた人気もののエリート弁護士大塚鉄也の絶頂からスタートするのだが、海老蔵も言っているように「エリートの傲慢さが仇となって窮地に陥り、破局へ追い詰められて行く・・・まさに光と影に彩られた壮絶な人間模様」が、テーマとなっている。
   海老蔵だが、弁護士としてはどうかと言った疑問は多少あるとしても、そっくり返ったような嫌味な姿ではなく、自然に備わったエリート然とした弁護士像は、流石である。
   また、真実の恋に目覚めて、殺人罪に問われて獄中にある愛人河野径子に、獄窓口から、貴方なしには生きて行けない・必ず冤罪を晴らして自由の身にすると必死になって心情を吐露して、桐子に、豪雨の中で土下座して、真実の供述と証拠品提示を懇願する姿の凄まじさなど、この激しいメリハリの利いた演技は、やはり、天下のプレイボーイとしての地がそうさせたのか、あるいは、歌舞伎役者としての本領発揮なのかどうかは分からないが、兎に角注目に値する。

   この松本作品のサブテーマは、大塚弁護士と河野径子の大人の真実の愛で、この愛ゆえに、大塚が、桐子の姦計に引きずり込まれて行くのだが、戸田菜穂は、中々魅力的な恋人役を演じていて良かった。
   他のTV番組の、芦田伸介と草笛光子、三國連太郎と八千草薫、森雅之と岡田茉莉子、田村高廣と阿木耀子、仲代達矢と満田久子、古谷一行と多岐川裕美のとカップルが、どのような愛の軌跡を演じたのか、興味のあるところである。

   このテレビ版は、映画版より、多少フィクションを加えながら筋を丁寧に追っており、大塚弁護士の先輩沢木検事(中井貴一)を登場させて、桐子が隠していた殺人犯のライターを郵送で受け取らせて、犯人逮捕のシーンを最後の字幕で映して、ハッピーエンドを匂わせている。
   橋本忍脚本の山田洋次の映画版では、ラストシーンで、倍賞千恵子の桐子が、このライターを海中に投下するところで終わっている。

   私は、山田洋次版の方が、松本清張の意図に近いような気がする。
   冒頭は、桐子が示した上熊本から東京都区内まで と書いた国鉄切符の入鋏から夜汽車での東京行きでスタートするのだが、もう45年も前の映画で、モノクロの所為もあるが、全体のトーンは実に暗い。
   滝沢修と径子の新玉三千代の恋は新鮮で、倍賞千恵子が、酒に酔わせて滝沢修に愛を迫るシーンなどは、全くイメージ違いだが、若かりし頃の大器倍賞の演技に全幅の信頼を置いた山田洋次も大監督だったのである。
   私は、松本清張晩年の作品を殆ど愛読していたが、清張がちらりと覗かせるどこまでも善意・純粋一途のこのような理屈抜きの人間の姿を見せているのに気づいて感激していた。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする